滅殺ブラッドジェノサイダーZERO

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■終末の坂道

「うけーっ!」
「「!」」
 坂道に辿り着いた途端、空から声が降ってきた。
 地面に槍が突き刺さる。
 事前に警戒していた僕たちは、すんでの所で回避していた。
「ち……反応早いなあんたら」
 たん、と地面に降り立ったのは道化師だった。
 ピエロ。
 派手な装飾の道化師はあまりに小さい。
「おいお前ら、一体どうやってここを嗅ぎ付けたんだよ。九条シンジに高瀬アユミ」
「………」
 この子は犯人じゃない。犯人の協力者ってところだろう。
 何故なら、道化師の向こうに見えていたからだ。その、異様な空気を纏ったラスボスが。
「さて、やっと出会えたわけですが……」
 ピエロは身軽に彼のもとへと跳ね、大きな肩に着地した。
「……一体何なのさ、そこの人。本当に人間?」
「き、キングに手ぇ出したらブッ殺すかんな!」
 キングと呼ばれた怪人は、黒いローブに身を包んでいた。
 どこぞの残酷少女に『魔界の住人』と言った気がするけど、あの男こそその単語が相応
しい。
 白塗りの、呪文のような模様の仮面。
 大きい。2mくらいはありそうだ。坂道の、この壊れた街の頂上に立ち、キング氏は不
思議な声音でそれを唱えた。
高瀬アユミはひ弱だな・・・・・・・・・・
「っ!?」
 途端に、アユミちゃんが肩を沈めた。
 まるで両手のナイフが突然重くなったように。ふらりと倒れそうにさえなる。
「14歳。本来の腕力なら、そんなナイフも重く感じる年頃だろう」
「!」
 嘘の具現化。やはり、彼がこの夜の犯人だ。
「名はない。キングでも別に構わないが、そうだな——ここはダヴリル帝爵とでも呼びた
まえ」
 不思議な声だった。
 青年のような声だが、老人にも少年にも女性にさえも聞こえる曖昧な声。それが、演技
がかった動作で右手を差し出し言ってくる。
「ダヴリルの意味は『魚』だ。4月1日、この日はフランス語では4月の魚プワソン・ダヴリルと呼ぶ。まぁ、
君らにとっては、忌まわしき名前かも知れんがね。既に見て回って来たのだろう? この街で
現実化した、数々の嘘たちを」
「……もう1度聞くよ。あんた、一体何者なんだ」
 僕は無力化されてしまったアユミちゃんを背後に庇いながら、カッターナイフを構える。
 槍の道化師が身構える。
 ダヴリル帝爵は変わらず穏やかに、自身の正体を語り聞かせた。
「魔王現象。1年1度の嘘つきの夜、人々の嘘を束ねて世に降る呪い」
「嘘だよ」
 アユミちゃんが遮った。
「……違う。あなたは絶対に違う。もっと別の何かだよ」
 その強い声に、帝爵の声がかすかに笑った。
「ごもっとも、我ら虚飾の道化師なり。この口は絶えず嘘を吐き、また巧い嘘とは真実を
混ぜることにある。だからこそ、我々にはすべてが嘘というロジック縛りもまた効かない」
 右腕を掲げ、ばさりとローブをはためかせ、帝爵は闇に向かって名乗りを上げた。
「誰にも正体は暴けない。夜から生まれた何者か、虚無で不確かで曖昧だし、それでもこ
こに実在している誰か。今宵、我はダヴリル帝爵という名を得た。この壊れた縁条市を支
配する者だ」
 その声は、広く真っ直ぐに、異様な感触で胸を射抜いた。
「な……え?」
「繰り返そう。“誰にも正体は暴けない”と言った。たとえ君らが知識を掻き集め、知略
を駆使し、脅迫を使って私の正体を暴こうとしたところで無意味だ。霧を掴める人間がい
るかね? 私を知ることなど誰にも出来ない。この身はここに在る、という嘘によって成
立しているのだから。無論それこそ嘘の嘘なのだがね」
「………あんたは、」
 嘘の具現?
 虚飾のヴェールを身に纏い、自身の存在すら隠蔽してしまった何者か。
「………」
 じり、と1歩距離を詰める。
 視線を強める。
 僕の眼は常日頃からユーレイと一緒にいるお陰で、人より少し強い霊視を宿している。
なのに。
「くそ…………何なんだ」
 おかしい。仮面の模様が直視できない。
 見つめているうちに2mあったはずの大男が僕と同じ高さになり、見上げているような
錯覚になり、見上げられているような印象になる。
「何なら挑んでみるといい、私という嘘に。虚飾を剥がしこの仮面の下を暴いてみるとい
い。もっともこれは素顔なのだがね。剥がした所で何もない、という嘘の裏の真実は虚飾
であるが」
 くつくつくつ、と魔人が愉快そうに喉を鳴らした。
 アユミちゃんは愕然と聞き返した。
「分類、不能……?」
「どうかな。5つの内のどれかに属す可能性もある、というこれは真実で実は嘘だ」
 知識のない僕には、その会話の意味は分からなかった。
「嘘というのは怖ろしい」
 帝爵は、嘆くように胸に手を当てた。
「疑心を誘い、不安を駆り立て、腸で首を絞めるようにじわりじわりと生気を奪う。それ
こそ亡霊じみた不吉さだろう。そうは思わないか九条シンジ。騙されることは恐怖だろう、
いまそうやって、君が私の騙し討ちを警戒しているように」
「……」
 見透かす仮面。じり、と靴底を鳴らした。
「ではこういう例え話はどうだろう。君たちは手を組んでいる。だが、ひとたび自覚して
しまったらどうなる? アユミは僕に嘘をついている。嘘を吐かない人間などいない。常
日頃から、或いはごく自然に見える会話の端で、自分は彼女に騙されていた——と」
 何故か、背後のアユミちゃんが息を呑んだ。
 帝爵はその不安の正体を暴き晒す。
「高瀬アユミ。九条シンジに素性を話すことが出来ない、というのは嘘だろう?」
「あ……」
 魂を抜かれたような声が、背後で上がった。
「見事な演技だったよ。君が九条シンジに自身の素性を話そうとするたび、喉が詰まると。
声が出ないと、君は2度も実演して見せた。実際は、そんな縛りなど掛かっていなかった
のだがね。いやはや、女性というのは空恐ろしい」
「……ちが……あれ、は……」
「嘘と疑心。人間関係はシーソーゲーム。さて、どのセリフが真実かな。どの表情が、演
技かな?」
 ゆったりと、帝爵は大きな人差し指を掲げた。まるで魔法を唱えるように。
「高瀬アユミは、君に嘘を吐いていたのだよ」
「……アユミちゃん」
「仕方ないのだ九条シンジ、彼女は高瀬アユミの素性を知らない。その高瀬アユミは私が
用意したヒロインだ。私の道化師は双子でね。そこにいる偽アユミこそ、もう1人の姉妹
というわけさ」
「嘘……騙されちゃダメだよシンジ君」
 坂道が、不穏な空気に満たされていく。
 錯覚。
 ゆらゆらと大気の波が揺れる。
「そう、嘘というものは逆流の可能性を秘めている。人間関係をこなすための嘘なのに、
ひとたび自覚してしまえば信頼は疑心に変わる。嘘だけどね、というセリフは逆に『本当
かも知れない』という疑念を誘う。以上のセリフが私の吐いた嘘だ。と言ったら君は一体
どれを真実と捉えるね?」
 魔人の肩が楽しそうに震える。くつくつくつ、という声が大気に染み渡って聴覚よりも
っと奥の何かに触れる。
「………う」
 空気が掻き混ぜられていく。
 まるで催眠術。
 意識がじっくり溶かされて、見えない箇所から黒い不吉に浸食されていく。
 ——さぁ、君の心はどのような嘘を抱えている?
 不吉な声が胸に突き立つ。
 ——その嘘を、私に喰らわせてくれないか。
 抉り、潜り、精神の奥に踏み込んでくる。
 ——その嘘によって、君が隠しているものを。
 黒い魔手が、僕の根底に手を伸ばす。
 そして。
 体現者の声が、僕の脳を揺さぶった。
 ——私のこの両眼に、それを暴かせてはくれないか。
「…………」
 頭の中で、ざくん、と何かを断ち切る音がする。
 そこで意識は回帰する。
 坂道の真ん中。
 僕は呆然と立ち尽くし、不動の魔人を見返していた。
 仮面の双眸は何も伝えない。
 何も主張しない。
 ただ僕の目に、不吉に映るだけだった。
「………ひとつ」
 僕の唇が、うわごとを零す。
 手の平を伝わって体に憑依している呪い。
 残酷少女の血液が、僕に質問を吐かせていた。
「……ひとつだけ、答えてよ」
「ほう? いいだろう。何なりと聞いてみたまえ」
 どくん、どくんと熱が脈打つ。
 確証はない。
 ただ、この質問で何かを掴める予感がしていた。
 視線を強める。
「このまま日付が変わったら——」
 ひとつの嘘も見逃さないように。
「この街に呼び寄せられた人たちは、」
 声を沈め、その質問を、口にした。
「今夜のことを………………覚えてるの・・・・・?」
 しばし、沈黙があった。
「…………」
 仮面が小さく声を漏らす。
 ゆったりと右手を差し出すように。
 その一挙一動に目を凝らし、吐かれる言葉に僕は、全神経を集中した。
「——決まっている、パーティの終わりは潔く。すべての記憶は無に還る」
 不完全。
 あと一押しだ、いけ——っ!
「それは……一体、どういう意図で?」
「ゼロの美学だよ。私は爪痕を残さず、もと在る人々の記憶に残ることもよしとしない。
今夜の出来事は、1人残らず忘れてもらう」
 言った。
 ハッキリと、嘘の魔人はそれを述べてしまった。
「…………へぇ。そっか、そうなんだ」
 顔を伏せる。
 唇が勝手に歪んでしまう。僕は知れず、性格の悪い笑みを浮かべていた。
「この質問、“嘘”なんだけどね」
 静かに、呟いた。
「…………何?」
「ダヴリル帝爵。ひとつ、つまんない話を聞いてもらっていい?」
「……ふむ」
 僕は右手のカッターナイフに視線を落とした。
「もっすごい性格の悪い子がいてね。金髪で、ゴスな服装のヤバイ美少女。もうなんか悪
党なんだよ。心の底から悪党で、ヤンデレで、悪の誉れみたいなヤツ」
 思い返すように、帝爵が視線をもたげた。
「……イレギュラーか」
「あー、あいつか。呼んでもいないのに勝手に割り込んできたヤツ」
 ピエロさんが視線を上げる。
 へぇ。あいつ、わざわざ割り込んで来てたんだ。
「そいつが言ってたんだよ。本物の悪党は、役目を終えたオモチャはポイしちゃうんだっ
て。それが悪党のやり方なんだって。そりゃそうだよね、悪党は赤の他人を同じ人間とも
思わないから悪党なんだよ」
 帝爵の仮面は何も主張しない。
 変わらない無表情に、突き付ける。
「帝爵さん。あんたはさ、ここに呼び出した人たちをポイ捨てしないんだね」
「………………ほう」
 そう、帝爵は答えてしまったんだ。
 この夜の記憶だけを消去すると。
 すべてを忘れ去ってもらうと。
 そこに、僕の仕掛けた嘘がある。
「……なるほど記憶。確かに死者には必要ないものだ。先の質問では、回答がYESでもN
Oでも『生かして帰す』という返答になってしまうな。君が与えた真の選択肢は『回答』
か『無回答』かであったか」
「な、お前……!?」
 ピエロさんが声を上げる。
 魔人は僕をまっすぐ見返し、言った。
「九条シンジ。君はこの私を誘導尋問に乗せ、謀ったのだな? 結構。これはよく出来
た嘘だ。憎らしいくらいにな」
 ぱん、ぱん、と魔人が緩やかに手を叩いた。演技がかった動作で、威嚇とも思える空気
を纏って。
「…………」
「…………」
 無言で、僕らはじっと睨み合う。見守る少女2人を置き去りにして。
 膨れあがる緊張。
 刺すように変質していく大気。
「ふ……」
「………くく」
 どちらともなく、硬質な声を漏らした。
 みし、とカッターナイフを握りしめる。
「は……何がおかしいんだよあんた。ねぇ……ふふふ」
「く……君こそなんだ。笑うのをやめたまえ……くくく」
 しかし。
 こんな膠着状態に耐えきれるのは、ここまでだったんだ。
 緊張が。
 音を立てて、イスカンダルまで吹っ飛んだ。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!」
「わはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
「「は?」」
 あとずさる少女2人を無視して、僕は魔人の鳩尾に拳を打った。
「ぶは、はははははははっ!! やば、やばいって、はは、ははははははは!!」
「くっ! ははっ、わははははははははは!! ぶげほっ、痛い、痛いではないか少年、
加減したまえ、は、はははははは——ッ!!」
 ばしばし、と派手に魔人と叩き合う。
 2人して声が裏返るくらい爆笑しながら。
「……あれ……シンジ、君?」
「キ、キング? なんかの発作ですかい?」
 魔人の巨体がげらげら笑う。
 それがまたおかしくて僕はいっそうツボっていく。
 何故ならもう既に、分かっていたからだ。この人は、敵なんかじゃないのだと。悪役っ
ぽい口上で僕らをからかっていただけの大嘘吐きなのだと。
「はははっ、あはははは!!! 有り得ないって! なにそのラスボスチックな1人仮装
大賞、有り得ないから! 何が有り得ないってあれだよ、もうなんか、ははははっ!!」
「くくっ、ふはははははははっ!! やるではないかこの嘘つきめ、いいだろう、ああ褒
め讃えようとも、この嘘の体現に真正面から嘘を仕掛けるか!! そして答えを勝ち取る
そのふてぶてしさ!! 面白い、面白いぞ少年、これはわざわざ呼び寄せた甲斐があっ
た! くは、ははははははッッ!!」
 夜の坂道に、しばらく僕らの声だけが木霊し続けた。
 半眼になってる女の子たちから目を逸らして。あ、アユミちゃんいま笑った。
「ひー、ひー……はは、そっか。要はそんだけの企画だったんだ」
「応とも、メインイベントは既に完成している。あの賑やかな街こそが私の目的。土台、
私には人を傷つける理由がない」
 不吉に見える仮面こそが虚飾だったんだ。嘘の体現。対峙しただけで不安を誘う大男。
 でも。
「そう、本当に恐ろしいのは嘘ではない。騙されまいと疑う心こそが恐怖を生み出す。騙
そうとする悪意こそが人の卑しさ。嘘自体に危害があるわけではない。だろう?」
 なるほど確かに。
 僕ちょっと卑しかったかも。
「だが、だからこそ。今日のこの日は、嘘の日こそは人の斜術が暴かれる」
「え?」
 帝爵の声にどこか、真新しい静けさが入り交じる。
「君はどんな嘘を謳うね。楽しませる嘘か? 困らせる嘘か? 傷つける嘘か? 消え去
るという嘘か?」
「…………」
「嘘つきの日、騙されているのは嘘を吐く側である。我々は暴かれている。この身に宿る
本性を。消え去るという嘘を吐くのは寂しがり屋の証だろう。困らせる嘘は対人が苦手な
証だろう。傷つける嘘は傷が消えない苦痛の証だろう。嘘は嘘のまま、嘘に変換されて自
身の胸に突き刺さる。人を呪わば穴2つ、という格言の通りに。呪った分だけ暴かれるの
だ」
 嘘吐きが、嘘ではない何かを語っている気がした。
「騙す、という嘘の目的に、我らの斜術は剥がされる。できることなら、裏切る、という
前提の下でもまだ優しさを保てる。誰かに笑顔を与えられる。そんな人間で在りたいとは
思わないかね?」
 同意を求める仮面の向こうに。
 慈愛の溢れる双眸を見た。
「……そうだね帝爵さん。僕もそう思うよ」
 確かにはた迷惑だったけど。
 僕とアユミちゃんは出会い、同じ騒動を過ごした。解決しようと駆け抜けた。まるで学
園祭のダンスのように。初めて訪れた旅行先を案内してもらうように。
 この時間は。
 決して、不安を誘い合うような不吉なものではなかったんだ。
「つまり……あんたの目的は、みんなでこのお祭りを楽しむこと。悪事でも危害でもなん
でもない、ただ楽しむためのパーティにみんなを招待すること。そうだよね、ダヴリル帝爵」
 嘘の帝爵は足を進め、僕とすれ違い、遠い街に目を向けて。
 僕の背後で、穏やかにこの夜を謳うのだった。
「みないずれ気付くのだよ。『来年は、もっと楽しい嘘を吐きたい』と。そう、嘘つきの
日というトリック。本当は『人を騙す日』ということ自体が根底の嘘なのだ。何故なら、
この日の本質は、嘘と名の付いた『楽しむための祭り』に過ぎないのだから。この日だけ
はすべての人間がエンターテイナーになり、その力量を試され、そしてそれらがわずか2
4時間という枠内にすべて集結する」
 振り返る。
 帝爵の横顔、仮面の隙間から彼の素顔の唇が見えた。
 宴会の隅で、バカ騒ぎを肴に1人酒。そんな感じの微笑が僕に問う。
「君は……私の祭りを楽しんでくれたかね?」
 それが、その笑みこそが、この虚飾に覆われていた事件の真相だった。
 僕は辿り着いたんだ。アユミちゃんと一緒に。
 目を閉ざす。遠い喧噪。馬鹿騒ぎの夜の光景が目まぐるしく駆け抜けた。
「ウルトラ関西人がやばかったね。あれは正直やりすぎだって」
「社会情勢を加味してみたのだ。ナチスの如き怖ろしいリアルが、現代日本人なら誰でも
知っているヒーローに蹴散らされるという痛快劇。時事ネタはいつでも重宝される」
 生粋のエンターテイナーらしい。
「わたしは、先生の魔法少女姿がちょっとショックだったかな……」
「すまない。少し演出過剰になりすぎてしまったな、こちらの不手際だ。なかったことに
したのだが、やはり印象が強すぎたか。君の尊敬の念を汚してしまったことについては謝
罪させてもらおう」
 律儀なおじさん。
「ああところで、高瀬アユミの嘘の件だが」
「あ! ちょっと待って、それはその、シンジ君にだけは……っ!」
 アユミちゃんがわたわたとパニクる。帝爵は『分かっている』と言うように頷いて、先
を続けた。
「察してやってくれたまえ。彼女はこの街を守る番人として、自身の身分や怪奇現象に関
する情報に、一定の秘匿義務が課せられているのだ。  という固有名詞まで教えてしま
ったら、何より九条シンジに迷惑が掛かる。そういう判断だったのだろう?」
 ん?
 その固有名詞とやらがよく聞こえなかった。くりぅど? かりうぞ? どうにも帝爵
が伏せたみたいだ。
「うぅ……シンジ君、嘘言ってごめんね……あのとき咄嗟に言いかけちゃったんだよ……」
「や。全然いいよ」
「まぁ、私の異変が原因だとしたのは悪くない。だが君は、もう少しうまい演技を覚えた
方がいいな。あれは酷かった」
「まったくだぞお前、あーんな寒い演技に騙されるのは、猿とガキんちょと九条シンジだ
けだっつーの」
「はい……精進します……」
 ちょっと待ってピエロさん、いまさりげなく僕をバカにしたよね?
「…………」
 静かな沈黙。
 遠い大混乱のバカ騒ぎと、それを隣で見守るキング。
 縁条市の夜風が肌を撫でる。
 坂道の真ん中に佇んで、僕らはただこの嘘の日を見届ける。まるで花火でも眺めるよう
に。
 僕の目の前に、身軽なピエロが降り立った。
 じっと興味深そうに見上げてくる。
「……どうかした?」
「おう。やったなお前ら、今夜はなんと、素敵な特別サービスもあるんだぜっ」
「え?」
 ピエロは陽気に軽薄に笑った。帝爵の右手が首根っこを捕まえ、その言葉を引き継ぐ。
「この坂道がゴールだ。私を目指して辿り着いた者には、ひとつだけ、私がその者の望む
嘘を現実化する」
 へぇ。特典付きだったのか。
「さあ、何を望むね自称平凡。何を望むね怪力少女。ちなみに君らは2番目だ」
「…………」
 さてどうしよう。
 金銀財宝、英雄色を好む、食は最大の娯楽なり——って、あれ? なんかラストだけ引
っ掛かるな。
「もしかして」
「ああ、1番目は1人の少女だ。夜が始まるなり真っ先にここへ来た」
「…………」
 目に浮かぶ。
 あの坂道の真下に、無言で現れた1人の少女。
「…………そっか」
 アユミちゃんは首を傾げる。僕は小さく笑みを浮かべた。
「裏飯屋探すって?」
「ああ、裏飯屋を探してくるそうだ」
「見付かるかな」
「希望通りを用意した。きっと見付けられるだろう」
 やられた。先を越されていたとはね。
 少し悔しかったので、帝爵の肩に腰掛けたピエロに問う。
「ねぇ、君ってさ」
「あたい?」
「うん。君ってもしかして13歳?」
「んげ——っ!?」
 引きつった声を上げる。
「きききキング! やばいって! あいつあたいらの正体に気付いてるよ!?」
 勝った。前回ヤマトに騙されて、いろいろ調べておいた甲斐があった。
「なんだ。キングと13歳って言えば、正体不明でもなんでもな、」
「巧い演技だろう? 彼女は最高の道化師なのだ」
「へへっ」
「…………」
 騙されたのか、どうなのか。それは僕には分からない。きっと、誰にも。
「さて、いま1度問う。君らは一体、どのような嘘を私に望む?」
 言われて顎に手を当て思い出す。
 任された、という声が聞こえた。そうだな。やっぱり約束は守らないと。
「鬱になってる小学生たちがいたんだ」
「ふむ」
「本来は元気な子たちなんだってさ。せっかく会えたんだから、見てみたいよね。あの子
たちの、本来の笑顔を」
「…………」
 もう察したのだろう。愉快そうに顔を伏せた帝爵に、僕は宣言した。
「“あの子たち、今日だけは、いつもより元気になっちゃうらしいよ?”」
「心得た。君の嘘を叶えよう」
 帝爵が右手を掲げる。
 刹那の内に。
 不可視の何かが、その右手から波紋となって駆け、僕らを通り過ぎて街全体に広がった。
 仮面と視線を交わし合う。
 約束は果たした。
「アユミちゃん、これでよかった?」
「もちろん。お疲れさま、シンジ君」
 にっこりと、アユミちゃんは嬉しそうに笑みを深めた。
 今度こそ、帝爵とその道化師は背を向ける。
「では、残り数時間という所だが」
「せいぜい楽しめよお前ら。たぶん一緒に遊べるのも今日が最後だぜっ。じゃーなぁ」
 さてそれは嘘か本当か。
 そんなことを考えているうちに、坂道から2人の姿は消えていた。
「………」
 夜風だけが取り残される。
 お祭りの縁条市。
 まだまだ変わらず、祭囃子が遠く響いている。
「シンジ君、聞いてもいい?」
「なんでもどうぞ」
 アユミちゃんは不思議そうな顔をしていた。
「13歳って……どういうこと?」
 ああ、そのことか。
「仮説だけど。エイプリルフールの起源はね。結構、悲しくて虚しいものなんだ」
 それは、嘘の日の始まりの一説。
 場所はフランス。
 暦を巡る、王と人々とのつまらないいざこざ。
 シャルル9世という王様がいた。
 王が新しく取り入れた、1月1日を新年とする暦制度に反発した人々がいた。
 どこにでもある話だろう。
 人々は王へのあてつけに、旧来の4月1日を新年とする『嘘の新年』を盛大に祝った。
 バカ騒ぎの街。
 王は憤慨し、『嘘の新年』に町でバカ騒ぎしていた人々を片っ端から捕まえ処刑した。
 歴史を掘れば、残酷な話はいくらでも出てくる。
 そして、そんな騒乱に巻き込まれて死んでしまった、小さな子供の話もまた。
「……じゃあ、13歳って」
「そう、処刑された人たちの中にいたんだ。まだ13歳だったのに、『嘘の日』騒動で処
刑されてしまった女の子が1人」
 何も生まない、誰も幸福にならない悲劇だった。
 それを誰かが祭りに変えた。
 エイプリルフール。
 あまり知られていないけど、この日は、ある少女に向けた追悼のお祭りでもあったんだ。
「…………なんだか、悲しいね」
「そうだね。確かに救われない話だ」
 ——けど。
 この悲しみの忌念日を、楽しいお祭りに変えようとした人がいたんだ。
 たくさんの笑顔を贈ろうとした人がいた。
 それがあのダヴリル帝爵だったのか、はたまた別の人だったのか。そしてあのピエロが
犠牲になった女の子だったのか。それは誰にも分からない。
 けど。
 笑顔を捧げるお祭りは、いまでもこうして、ずっと続いている。そんな、ささやかな歴
史のお話。
「さて。そんじゃ、僕たちも行こうか」
「え?」
「元気になった小学生3人組。あの子たち連れて、裏飯屋さんでも探そうよ」
「裏飯屋さん?」
 僕は、踵を返す。
 帝爵が去っていった方向に背を向け。
 まだまだ騒がしい街へと向き直ったんだ。
 今日の道連れ、穏和な少女に向かって笑う。
「知らないの? ユーレイでも行ける高級料理店なんだよ。なんか、ものすごく美味しい
んだってさ」
 騒がしいこの夜が暮れるまで。僕は、精一杯踊らされることにしたんだ。




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