滅殺ブラッドジェノサイダーZERO

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■残酷少女は恋をする

「————へ?」
 何が起こったのか分からなかった。
 気が付けば僕は、バスケットコートの真ん中に座り込んでいた。
 背中に温度。息を切らす赤髪の少女が、僕を支えていた。
「あ、アユミちゃん?」
「シンジ、君……ケガ、してな、い?」
「ケガ、って——」
 なんだ?
 何が起こったんだ。
「どれだけ私の身体能力を貸してあげたところで、しょせん体はあんたのポンコツ。この
くらいで気を失っちゃうほどヘボなのよね」
 かつ、かつ、とブーツの厚底を鳴らして、バスケットコートにカッターナイフの悪魔が
現れる。
 転がっていたボールを拾い上げ、どこへともなく転がしながら言った。
「分からないの? 投げ飛ばしてあげたのよ。私が、あんたを」
「は———?」
 てん、てんとボールが僕の横を通り過ぎていく。
 投げた? さっき僕が立っていた場所から、ここまで? 嘘でしょ?
 悪魔はライトの逆行の中、残酷な笑みで僕たちを睥睨する。
「……死になさい。死ね」
 温度のない声が夜に木霊した。
 肌が粟立つ。
 気圧されている。僕は必死で声を返した。
「待った。なんでそんな怒ってるのさ」
「さんざん私を文房具呼ばわりしてくれたでしょ? たまにはお礼くらいしとかなきゃ」
 踏み込んでくる。2人して後ずさる。
「たまにはって、僕の命は1つきりしかないんだけど?」
「それが何? そんなの殺されるヤツが悪いのよ。空を見なさい、ここはもう暖かいひだ
まりの世界じゃないの」
 ぎちぎちぎち、ぎちぎちぎち。
「太陽がない暗がりはバケモノの食卓。この私が、憎悪あいを籠めて喰らってあげる」
 アユミちゃんが強く見返した。
「あなたがこの街を、縁条市をおかしくしてる犯人?」
「大はずれ。私はただのイレギュラー、引き当てた馬鹿にゲームオーバーを与えるボラン
ティア大凶」
 きんとカッターナイフを投げ上げる。
 高速回転するそれを掴み、刃を真っ直ぐ僕らに向けた。
「私は私で遊んでるだけよ。別に誰にも頼まれてないし、この異変を解決しようとも思わ
ない。悪い? いいじゃない別に。どうせ遊びなんだから、殺しなんて」
 アユミちゃんは僕の前に立ち塞がった。
 両手のナイフを強く握り直し、固く冷たい声で返す。 
「あなたにとっては、人を殺すのが、遊び?」
「そう遊びゲーム。人の命はTRPGの駒。足を進めて手を動かして、歯車のように ターンを進
めて最期にお片づけ。いらないクズはゴブリンに食わせるか、背中から撃ち抜 くか、弾避
けに使うかぐらいでしょ。そんな程度のお戯れ。違う?」
 悪魔はなぜか、姉妹に向けるような親愛を投げた。
 アユミちゃんは答えない。ただナイフを逆手に持ち変えるだけだった。悪魔も姿勢を低
くして問う。
「……殺るの?」
「事情は知らない。あなたが誰かもわたしは知らない。でも止める、それだけ」
「そう。私の目的はそっちのアホ面だし、あなたは殺さないでおいてあげる」
 ぎちぎちぎち、ぎちぎちぎち。
 凍り付いていく空気。
 ぎち、と刃を伸ばしきった所で、ふと悪魔は何でもないように言った。
「死なないでね。アユミ・・・
「!?」
 ずん、とアユミちゃんが砂埃に包まれた。
 周囲の地面を何重にも切り裂かれ、目潰しに使われたんだ。
「つ……!」
「アユミちゃん!」
 僕も立ち上がって周囲を警戒。見回すがどこにもいない。消えた……?
「なんで……」
 アユミちゃんは真っ直ぐに、バスケットのゴールを見上げていた。
「どうして、わたしの名前……!」
「さあどうしてでしょう、そんなの秘密に決まってるじゃない。でも一目見れば分かった。
赤髪に怪力で、聞いてた通りの甘ちゃんだもの」
 悪魔はゴールに腰掛けたまま、どこか嬉しそうに声を零した。
「ねぇ高瀬アユミさん、あなたのことは嫌いじゃないよ。才能も持ってると思う。もっと
もっと強くなって、がんばれば頂点に立つのも夢じゃない」
 僕らは身構える。
 悪魔はかすかに哀れむように、±0度の目を細めた。
 まるで高見から見下ろすように。
 消え入りそうな声で、囁いたんだ。
「……でも無理だよ。あなたは人間外にはなりきれないから。私たちの領域には、届かな
い」
 決着は一瞬だった。
「「!?」」
 周囲の地面に亀裂が走り、波のように決起した砂に囲われる。
 視界が奪われた。
 枯れ色の目潰しに藻掻く最中、すぐそばでアユミちゃんの苦鳴が聞こえた。
「がっ!」
 即座に、僕も襲われてしまった。
 煙の中をカマイタチのように駆けていた悪魔に。恐ろしい俊足。抗いようのない荒々し
さが、肘関節に絡みつく。
 視界が回る。
「…………」
 地面に引きずり倒されている。
 煙幕が晴れきる頃には、夜の空をバックに背負い、僕を靴裏で踏みつけているそいつが
いた。
「…………」
 見下ろしてくる残忍な瞳。
 夜風に溶けるように流れる金髪。
 向けられた鋭利な刃に嘆息しながら、僕はつまらないことを口にしていた。
「君はあれか。あれだったんだね」
「なによ?」
「魔族」
「黙りなさい天然皮肉。あんたのそういう所が嫌い」
 心底の憎悪に顔を歪めた。おー恐い。
「でも……そうね。そうなのかも。確かに魔界の住人かもね」
 黒プリンセスは拗ねるように声を沈めた。
「私は昔からいろんなものを殺してきた。私が住んでた街はね、夜になると大量の亡霊が
出る特殊な場所だったから……だから殺した。延々と殺し続けて強くなった」
 ようやく足をどけてくれた。骨が痛い。体を起こしながらふと思う。そういやこの子、
名前なんだったかな。
「あんたみたいな平凡が、そうやって無防備に歩いていい場所じゃないの。莫迦ユーレイ
はどうしたの? この甲斐性なし」
「へ?」
 唐突に半眼で言われる。
 甲斐性なし?
 あーなるほど。怒ってるのはそこだったんだ。
「面倒見のいい魔族だなぁ」
「死になさい。あんたの血が混じっちゃっただけよ、きもちわるい」
 ぎちぎちぎち、ぎちぎちぎち。
「クズはクズ同士、ちゃんと2匹で守り合いなさいよ。なのに他の女と仲良くデート?
あんたが遊んでる間に殺されちゃったらどうするの?」
「悪いけど、僕は灰崎を信頼してる。灰崎も僕を信頼してくれてるから、今頃元気に遊ん
でるんじゃないかな。僕に問題解決を任せて」
「はぁ?」
「灰崎のことだ、ぜったい裏飯屋さん探してるよ。食は最大の娯楽なのです! とか言っ
ちゃってさ。まったく気楽なユーレイだ」
「……」
 悪魔は性格悪く唇を歪める。
「……なによそれ。のろけ?」
「友情」
「ふーん」
 どうでもよさそうにそっぽ向かれる。聞いてないな絶対。
「平凡、どうしてこんなことになったか教えて欲しい?」
「え」
 うー、と頭を押さえながらアユミちゃんが目を覚ます。
 それを確認して、僕は訳知り顔の悪魔を見上げる。
「……何か知ってるの?」
「知ってるわよ。誰でも気付けるんだけど、案外見逃しちゃうものよね」
 黒い背中が肩を竦める。気怠そうな声で、妙なことを言ってきた。
「今日この街はね、4月1日なのよ。どこの日付を見ても4月1日」
「はぁ? 何言ってるんだよ、時差ボケも大概にしなよ。もう7月だってーの」
「え? 待ってシンジ君、いまは秋だよ?」
 あれれ。3人とも時差ボケしてるし。
「私たちの時間なんて関係ないのよ。この下手人には」
「どういうこと?」
「呼び出されてる。みんな纏めて、いつかの4月1日に」
 呼び出されてる? 4月1日?
 その辺りで僕は、一体この街が何を現実化してたのか理解した。
「……そうか、“嘘”だったんだ。みんなの嘘が具現化されてたんだ」
 数々の異変。いつか誰かが吐いた嘘。
 でも。
「春にしては、やたらめったら寒いんだけど?」
「そうね。一体どこの誰なのかしら? いまは秋だ、とか真っ先に嘘ついたバカは。本当
迷惑」
 アユミちゃんがごーんと沈む。
「……ごめんなさい」
「「あんたかい」」
 過失事故。
「さて、このまま日付が変わったらどうなるのでしょう。こんな異変を起こした下手人が、
大人しく全員をもとの居場所に帰してくれると思う?」
 悪魔は酷薄な微笑で述べる。
「私だったらしないわね。だって面倒なんだもの。使い終わったオモチャはゴミ箱へぽい、
これが悪党のやり方よ」
 さすが悪党、よく分かってらっしゃる。
「…………」
 ゴミ箱へぽい。
 この悪魔はどーでもいいけど、僕もアユミちゃんも幽々子さんも朝野君も、あの小学生
たちも灰崎も。
 それは困る。
 ギリ、と思わずカッターナイフを握りしめちゃうくらいに困る。
 悪魔はさりげなくどこかへ去ろうとしていた。
「どこ行くのさ」
「会いたい人がいるの。死んでも会わなくちゃいけない相手。ま、こんな亡霊以下の存在
じゃ相手してくれないだろうけどね……」
 まるで失恋少女みたいに儚い横顔。
 なんだ。好きな人でもいるのか、この街に。
「ねぇそこの赤髪。いいこと教えてあげよっか」
「え?」
 続けられた言葉に何故か、アユミちゃんは絶句していた。
「私の名前ね。××ミサキっていうの」



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