暇潰しの夜 02/13

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 僕の名前は九条シンジ。
 高校2年、背は低い方で美化委員。このたびめでたくあの有名な「メリィさん」に目を
付けられてしまいましたとさ。
「いやはや楽しみ極まりないですねぇ」
 ふふふと笑ったH崎は、僕のベッドで正座している。
 急須に茶菓子に新刊の漫画雑誌まで用意して、本気で都市伝説相手に接待しようとして
いるようだった。でも湯飲み忘れてるよユー。
「む〜ん……」
 対して僕は椅子にしなだれかかり、さっきからずっとぐるんぐるん意味もなく回ってい
るのだった。
 場所はしがない僕の部屋。
 いつも綺麗に片付いていることだけが自慢の、つまらない普通の部屋だった。
「あれ? どうしたんですか先輩、もしかしてびびってます?」
「いやそうじゃないんだけどさ……」
「あ、なるほど。持病の平凡症候群が疼くんですね」
 H崎はくすくす笑ってベッドに倒れ込んだ。
 何が言いたいのか知らないが、僕はびびっているわけでも妙な病気の発作を起こしてい
るわけでもなく、ただ単にいやな予感がしただけなのだ。
 だって迷子のメリィさん。
 すっっっごく面倒な香りがする。ぴぴぴっ、電波受信。
『送信者:メリィちゃん
 本文:わたしメリィちゃん。いまあなたの家の玄関にいるの。えっとあのその、すいま
せんけどお邪魔してもいいですか?』
 と来たので、一言「どーぞ。靴だけは脱いでね」と返しておいた。
「ああ、早く来ないかなおっぱい林檎。一体どんな甘美な味がするんでしょうか」
 ほわほわと夢見ているH崎はどうでもいい。人のベット寝ころんで足ぱたぱたするなと
だけ言いたい。
 僕はぴ、とテレビのスイッチをオンにして、ポテトチップスの袋を開けた。
「あ、先輩先輩。私8チャン希望です、月9ドラマの再放送やってますよ」
「マジ? 何やってるの?」
「ええとですね、確か木更津リトルバサウターズっていう……」
 ぴぴぴっ、電波受信。
『送信者:メリィちゃん
 本文:わたしメリィちゃん。いまあなたのお部屋の前にいるの。ちなみにおうちのロー
カルルール的には、もしかして“ノックくらいせんね”派ですか? それとも“わたしの
心はアンロック”派ですか?』
 と来たので、てきとーに『連続ヘッドバッティング』と返しておいた。
「…………」
 すぐさま聞こえる謎の打撲音がいっぱい。
 しかし何故だかやけに遠い。不思議に思って耳を澄ますと、隣りの部屋から言い争うよ
うな声が聞こえてきた。
「ちょ、ノックくらいせんね!? っていうか誰!? 透けてる!? ユーレイ!?」
「ちわっすわたしメリーちゃん、異世界の果てまでタッチして帰ってきて、ようやく辿り
着きましたよ〜ってあれ!? 違う!? 部屋間違った!? うそ!?」
「ひやあああああっ殺す! ヌッコロス! 喰らえ猫拳! にゃにゃにゃにゃんぷしー!」
「あづっ、何!? この人なに!? 恐っ!? 鬼恐っ!?」
 どたばた、がしゃきばりーん。
 そんな物音を聞きながら、H崎が薄暗い笑みで呟いた。
「いやぁ、さしもの都市伝説さんもやはし彩ちゃんには勝てませんですか。予想以上に魔
王ですあの子。相変わらずいい妹さんですね、先輩?」
「バファリンどこ仕舞ったっけ」
「2番目の引き出しです。あ、いま北斗真拳って聞こえましたよ、ほわたたた。決め台詞
までマネてます。いつの間にそんな新ネタ仕入れたんでしょうか」
「……この前さ、初めて満喫連れて行ったんだよ。どうしても行きたいっていうからさ。
入った瞬間にアイツうるうる涙ぐんで感動してた」
「ほうほう」
 ぴぴぴっ、電波受信。
『送信者:メリィちゃん
 本文:たすけて』
 どたばた、がっしゃーん、ずがしべきぼきゃーっ!
 そんな騒音が以後30分も続いたので、とうとう耐えかねた僕は妹に「何騒いでんの、
うっさいよ。ところで緑茶とお茶菓子とジャンプ新刊あるけどほしい?」とメールしてお
いた。



「わたしメリィちゃん。いまあなたの後ろにいるの」
「あたい灰崎ちん。いまメリィちゃんの後ろにいるの」
「ひ──」
 邂逅開始わずか1秒。
 まったく物怖じしないH崎が、メリィちゃんの首筋に囁きを浴びせたので事態混迷。
「きゃぁぁああああああああああッ!?」
 ずささささーと引いていく彼女を見ながら、僕たちは平和に呟き合った。
 とても重要な問題が起こったからだ。
「──メリィ“ちゃん”?」
「なんか可愛いですねぇ、鼻につきます」
 べきぼきばきと拳を鳴らすH崎嬢、表情がモノノケ。
 そんな怖ろしい様子に耐えかねてか、あるいは他に理由でもあったのか。都市伝説メリ
ィさんこと半透明な女の子は、かちかちと歯を鳴らしながら言ってきた。
「ゆ、ゆ……ゆぅっ!」
「湯?」
 首を傾げる僕とH崎に、メリィちゃんは指差しながら叫んだ。
「ユーレイ!? なんで当たり前のようにユーレイがいるの!?」
 はたと疑問符を浮かべて4秒停止し、僕はふわふわ飛んで隣に降り立ったH崎を視界に
収めた。
「……あ、そーいえば君もユーレイだったね灰崎」
「いやいや、忘れますか普通。それはそれで嬉しいですけど」
 やははと笑った女子高生、H崎こと灰崎ヒカリ。
 僕・九条シンジに取り憑いて、四六時中そばに居腐る自称「十字架ピアスの素敵ユーレ
イ」である。
 彼女は正真正銘の悪霊だ。
 だってことあるごとに僕の暗殺を目論んで、同じユーレイ仲間に引き込もうとしてくる
し。
「あそうだ。聞いて灰崎、僕の考えた新しい念仏。逝けるよこれ絶対」
「先輩、今日は夕陽が綺麗なので早めに首吊りましょうです。いまなら無料ペアチケット
あげますよ、灰崎ちんと一緒に東京1周観光旅行、浮遊霊の旅」
 ばしゅっ、すかっ。こうして僕の物理攻撃はすべて無効化されるのだった。
 普通に会話する僕たちの日常、そんな様子をみやってびっくりしている彼女を観察。
 あれはもしかして中学生ですかね。見覚えのない制服だけど、まぁわりと似合ってるん
じゃないの。茶髪になんでもないセミロング、なんだか地味かつ普通すぎて親近感が湧い
てきた。
「な、なによ……見ないでよっ」
 壁にもたれ掛かっていた彼女はシュババっと起き上がり、服装を正した。
「あ、そうだメリィちゃん。メリィちゃんってやっぱ源氏名でしょ? 本名はなんていう
の?」
「それ、私も気になります。お名前はなんていうんですか? なんでしたら私の本名もお
教えしますよ」
「実は近藤神風っていうオカマなんだよね」
「えへへ。死んじゃえーっ」
 灰崎がジャンプ先週号を投げてきた。ナイスキャッチ。今週号はさっき妹に強奪された。
 半眼ユーレイがこそこそと言ってくる。
「……あのですね。近藤? 神風? 根性男児すぎやしませんか」
「でもオカマはゲンナリ本当」
「きっぱりとウソですっ! 美少女要素が掻き消えたらどうしてくれるんですか!」
 妙な心配してるなぁ。
「……田中芽衣李」
「「 へ? 」」
 灰崎とハモった。
 じっと見つめているとメリィちゃんはだんだん赤くなってきて、肩を震わせ、終いには
がおーんと絶叫してきた。
「だから芽衣李! め・い・り! 本名は田中芽衣李なの! 悪い!?」
 地味っ娘メリィ、初めての反抗。
 思わずそんなタイトルを付けてしまいそうになった。
 はぁはぁと息を切らす彼女を見ながら僕たちは呟き合う。
「……1行で分かる都市伝説の真相。メリィさんは強気系の萌えキャラ」
「待って下さい先輩。めいりをもじってメリィちゃん。これ、意外とセンスよくないです
か。ちょっぴり嫉妬してみたり」
「そだね。神風もじってヒカリよりはまだ」
「死ねばいいのに!」
「ごっほ!?」
 がしゃきん。
 何かが音を立てて首に掛かった。ギリギリギリ。灰崎締める。首締める。
「そうだいますぐ一緒に死にませんか先輩死にましょうさぁいますぐに死にましょう!」
「しゅーべるとッ! ちょ、嬉しそうに紐状の物体で首を絞めるな!」
 みしみしと首の骨が鳴って僕ドッキリ。
「め、メリィちゃん……ありがとうさようなら」
「は!? え!? あの、あのあの……!」
 メリィちゃんがあたふたしている前で、灰崎が僕の首をめきめきと絞め、邪悪に笑う。
「ぬふふふふふふ。うふふふふふふふふふふふふ」
 酸欠って目の前で星明かり爆散、すごい速さで意識が遠のいていく。あ、セピア色の走
馬燈。
「だ、ダメだよ何してるの!? そんなことしたらほんとに死んじゃうよ!」
 メリィちゃんがぱたぱたと駆け寄ってくる。
「殺人は重罪なの! ダメ! それはユーレイだからって許されることじゃないんだよ!」
 僕を絞める手を引き剥がそうと、必死でがんばる姿に灰崎が胸きゅんしている。
「は、放して! 手を放してよ……っ!」
 すごい一生懸命。
 そんな本気で締めたりするわけないのになぁ。
「だってさ、灰崎。ここはストップで」
「はい、了解です」
「……え?」
 灰崎があっさりと僕を解放。
 逆ドッキリしているメリィちゃんの前で、僕たちは平和に会話する。
「うん、思ってたよりいい子だねぇ。大した害もなさそうだし、どうしよっか灰崎」
「いいんじゃないですか? 淋しがり屋さんっぽいですし、1人じゃ危なっかしそうです
し。しばらく傍にいさせてあげましょうよ」
 はぁ……そうか、また僕の悩みが増えるのかぁ。灰崎といいこの前の殺人鬼さんといい、
なんたってこう次から次へと非現実が現れるのだろう。
「こんにちはメリィちゃん。私は灰崎、もしよかったらお友達になりませんか?」
「わぉ。なにそれマイミク申請? 別にいいけど、2人とも悪いことだけはしないでね」
 僕はのほほんと言っておく。すごぉい不本意な顔で。
 馴れ馴れしい灰崎に抱き寄せられて、メリィさんこと芽衣李ちゃんは、そのまましばら
く呆然としていた。
 けれど唐突にわなわなと震えだし、立ち直って、叫ぶ。
「ふ、ふざけないでっ!」
 ぱし、と灰崎を振り払った。
「許せない……毎日道端で自販機の釣り銭集めるような地道な努力を積み重ねて、がんば
ってがんばってメジャーな都市伝説にまで上り詰めた、ホコリ叩きユーレイであるこの私
に……!」
「ホコリ叩きって言ったよね? いまぜったい噛んだよね?」
「それより都市伝説のニュアンスが芸能界っぽくて浪漫を感じました。先輩、明日から私
もメジャー目指しますね」
「えぇ〜? やめときなよ灰崎、ぜったい上り詰めてもむなしいだけだよそれ。あっはっ
は」
「ですよねー。うっふっふ」
「だ、黙りなさいっ!」
 びし、と地味っ娘が人差し指を突き付け、宣言してくる。
「いい!? あなたたちはわたしを騙した! このわたしを敵に回した! こうなったら
もう——」
「あ。灰崎、ドラマ始まったよドラマ」
「先輩。ケータイ鳴ってますけど」
「こうなったらもう、絶対に、絶対にあなたたちを怖がらせて屈服させてあげるんだか
ら! そして必ずバカにしたこと後悔させてあげる! だから覚えてなさい!」
 言ってドタバタと逃げていく。ご丁寧に窓とか壁とかじゃなく、ちゃんとドアを開けて。
 その小さな背中を見送って、部屋には静けさだけが取り残された。
「……行っちゃいましたね、都市伝説」
「えーと。あれはどういう意思表示?」
 灰崎はふわふわと宙を漂いながら答えた。
「さぁ? 怖がらせて屈服させてあげる、って言ってましたけど」
 それはあれか。僕たちに何やらホラーチックなドッキリを仕掛けてくるという挑戦状か。
 だけど、人を怖がらせて一体何になるんだろう。一般人な僕には都市伝説さんの感覚が
理解できない。
「ま、別にいいけどね」
 害は無さそうだし。少なくとも危険なことする子じゃないだろう。巷に出回ってるメリ
ィちゃんの噂だって、結局最後は振り返っても誰もいないオチだもんね。
「うーん……1人で大丈夫でしょうか」
「さぁ、どうだろうね」
 2人ぼっちの夕暮れ自室、半透明が去ったあと。
 キラキラと舞う埃が目に優しい。
 それにしても、ここ1週間はヤケに平和だった。何かが間違っているくらいに平穏な
日々だった。
 遠く街の音が聞こえる中で、翳った部屋で、僕はぽつりと声を零した。
「……どうだろうね」
「え?」
 平穏な日々の最後に、身の回りに堆積していた不吉を見やる。
 窓の外を横切るカラス。
 電柱に群れているカラス。
 隣の窓では黒猫が寝ていて、空は黙って逢魔の紫。終わってる。これ以下なんて有り得
ない。
 僕は静かに溜息を吐く。灰崎はかすかに目を見開いていた。
「先輩……まさか」
 見つめてくる彼女に、平静の笑顔を返しておく。
 ──予感がする。
 なんとなく僕は、机の上で眠っているカッターナイフに目をやった。




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