斬-the black side blood union-
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静かになった境内で。
香澄はギタリストの前に立ち、言った。
「音楽は……心を豊かにする芸術」
「違う! 音楽《ロック》は叩きつけるものだ! 突き付け叫び決起させるための表現だ!」
ギタリストは吠えるように叫び返す。
「……それは間違ってる」
「ふざけるなッ! 他人に俺を、俺たちの作り上げてきたものを否定される覚えはねぇ!」
息を切らし、睨み上げる。
まるで傷ついた野良犬のようだった。それを見て香澄は目を閉じる。
「……ううん、間違ってるよ。いくらでも否定する。だって」
膝を折って視線の高さを合わせる。
睨み返してくる大きな男に、少女は目を開け、言った。
「…………苦しそうだった。見てれば分かるよ。あなたの音楽が不幸にしたのは、他でも
ないあなた自身」
息を呑む。
その双眸は、ただ悲しそうだった。
ギタリストの瞳が揺らぐ。
何かを叫ぼうと口を開きかけ、しかし何も言えずに視線を伏せる。
香澄は揺るがない。
ただ真っ直ぐに、淋しそうにギタリストを見ている。
「……音楽は……人を幸せにする芸術だと思う」
そう言って立ち上がり、香澄は小さな背中を向けた。
「………」
ギタリストは自分の手の平を見た。
傷だらけの指。
傷だらけのギター。
ひとりぼっちの、鋼の心。
「……さっきの曲。愛の挨拶っていうの」
「何?」
「カトリックだったエルガーさんが、プロテスタントだったアリスさんに贈った曲」
そして少女は振り返る。
夢見る少女の、儚い笑みを浮かべて。
「……婚約記念の曲だよ。いろんな人の反対の中で、結婚を押し切ったんだって。ロミオ
とジュリエットみたい」
暖かに、少女は謳った。
星の瞬く双眸で。
「なん……だよ」
それを見て、ギタリストが顔を歪める。
皮肉に物悲しく。
「何なんだ、なんで…………」
乾いた声が零れる。
――芸術は宇宙だ。
そう語ったのはどこの馬鹿か。知らない。くだらない。そんなのは電波野郎の戯れ言に
決まっている。
なのにギタリストは、少女の双眸に星の海を見てしまった。
恐ろしくなるような深さを見てしまった。
「香澄ちゃん!」
「香澄っ!」
「……?」
突き飛ばすように少女を捕まえて、雛子と優奈が口々に叫ぶ。
「あたし初めて見たし! 香澄ちゃんが楽器弾くとこ! マジびびったし! 超うまい
しぃいいいい!」
「ね、ね、もう1回! もう1回弾いてよ香澄! さっきの曲! すごく綺麗だったぁぁ
あああ!」
勝手に左右で握手され、ハイテンションで腕を上下にシェイクされる。眠そうな顔でさ
れるがままの香澄。
「いや、お前やっぱすごいよ。ビバ影の組長様々だな。アンコールはあるのか?」
「あ、いいねそれ。すごかったよ香澄ちゃん。他にはどんな曲弾けるの?」
「うにゅ……」
不良少年と赤髪の少女が、左右から香澄の頬を軽く引っ張る。その両肩から顔が現れた。
「ふん、やるなおまえ。だがきいておどろけ、じつは碧はおまえよりうまい」
「まつのです藍、それはしじょうまれにみる無茶振りなのです」
双子が左右の肩にしがみつく。
「はいはい、いいからあんたたちはもう少しだけ素直になりなさい。っていうかスタンド
どこ仕舞ったのかしら」
「ったくてきとーな巫女様だな。コンセント失くしてたらいまごろバカ弟子が半分になっ
てたぞ」
揉みくちゃにされる。
ギタリストが呆然と見上げていると、少女はほのかに声を発した。
「……私の、音楽は……」
愉快な仲間たちに囲まれながら。
「聞いてくれる人が、いなかったから……」
それを聞いて、ギタリストはとうとう敗北を受け入れた。
「……そうか」
――いつの間に忘れていたんだろう。
1人目は姉貴だった。
誰にも届かなかった叫びを、姉貴が掬ってくれていたんだ。
それからたくさんの人間に出会って。
きっと多くの仲間を作れたはずなのに、結局は1人きりだった。
叩きつけるだけだった。
叩きつける以外のすべてを忘れていたんだ。
聞いてくれる者に、感謝する。
そんな簡単で、何より大切なこともいつの間にか忘れて――。
「こんなだから俺は……失っちまったのかな」
静かに肩を落とす。
香澄はようやく解放されて、ふらふらと揺れて隣に尻餅をつく。
黒レスポールの傷に指を触れて、笑った。
「……どうだろうね」
「厳しい先生サマだなぁ。よいっと」
「む……」
少女の軽い体重を、ギタリストの逞しい腕が持ち上げて立たせる。
両者が真正面に対峙する。
かなりの身長差。
同じ音楽を愛し、しかし別々の道を歩む2人。
固い信念が無言で削り合う。
先に動いたのは、ギタリストの方だった。
「悪くねぇな、クラッシックも」
差し出された手の平を見て、香澄は不思議そうな顔をした。
見上げると。
ギタリストはあの禍々しい狂笑ではなく、挑戦者のように精悍な顔をしていた。
それに香澄は、右手で答える。
「ロックだって……嫌いじゃない」
固い握手が交わされる。
小さな右手と大きな右手。
幼き音楽家とインディーズの帝王が、ただ静かに、お互いの健闘を讃え合った。
「これにてステージは閉幕だ。今日のところは引き下がる」
レスポールを肩に担ぎ上げ、御堂恭司が背を向ける。
「だが覚えておくといい。お前たちが目の前にあるものを見失い、何かを蔑ろにして争い
ばかりするようになった時――」
振り返った眼光は、やはり野良犬のように挑戦的で。
そしてどこか人間らしさを取り戻した、荒々しいダーティヒーローのような輝きだった。
「メタルハートは何度でも蘇る。世の嘆きを音にしてお前の鼓膜に叩きつけるだろう。ゆ
めゆめ忘れないよう、覚えておくんだな」
ぱちんと御堂が指を鳴らす。
スモークを上げる境内隅。
ずごごごごと音を立てて左右に割れる神木。現れたのは、地下へと続く長い階段。
「さらばだ、愛しき豚野郎共。そして小さな音楽家……お前にひとつだけ言っておいてや
る」
「……え?」
一瞬だけ淋しそうに笑って。
「何だって楽器は………………ケースに入れとくもんだぜ」
あの懐かしき、縁条UGの小さなハコへと。狂気のギタリストは1段1段と階段を下り、
親指を立てながら帰っていったのだった。
取り残されたのは秋風と沈黙。
ボロボロになった早坂神社と。
「結局、何だったんですか? アイツ」
「さぁ」
「あああああっ!? ま、また私の仕事場が、いつにも増してよりいっそう……がくっ」
「姉様!? 姉様!」
「たたた大変なのです!? だれか、だれか姉様にぼーなすを! おもわずコーフクにな
っちゃうくらいのびっぐまねーを投与しやがれなのです!?」
それを見て、少年が香澄の両肩に手を置いた。
「出番だ香澄。景気よく雪音さんを励ましてやってくれ」
「え……」
見上げる。
期待の視線が香澄に集まる。
雛子と優奈がキーボードを支える。
観念したように頷いて、香澄は鍵盤に手を触れた。
「……じゃあ……椎名林檎、『幸福論』」
「はらのたしにもならねーのです!? 音楽なんてふもうなのですッ!」
その時。
常に無表情だった香澄がかすかに拗ねるように、唇を尖らせた。
「む……そんなことない。お腹一杯になる。感性も豊かになる。何もかもが全部、どうで
もよくなってくる」
「え――香澄?」
かなり不穏な注目の中で。
香澄の指が撫でるように鍵盤を押し込む。
響く和音。
スピーカーから滲み出し、響き渡り、静寂に溶けるように消えて、余韻を残す。
「………」
恍惚に緩んだ表情で、西條香澄は仄暗く言った。
「……ああ……うっとり」
「ジャンキーか」
「ジャンキーだね」
「ジャンキー……」
「ジャンキーだったんだ」
めでたしめでたし。
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