斬-the black side blood union-

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 ばさ、と雪が降り注ぐ。
「何……?」
 白い羽。
 狂気のギタリストは空を見上げる。青い天蓋を背景に、小さな影が浮遊していた。
「……天使……だと?」
 目を疑う。
 吹きすさぶ風の中で、天使に手を引かれた少年は笑った。
「すごいな、本当に最速だ。心の準備する間もなかった」
「ゆっくり来た方がよかった?」
「いやいや、お陰様で遅刻せず済んだよ。しっかし……」
 2人は地上で震源地となっている男に目を向けた。
「……なんだありゃ……ギタリスト?」
「音だ……音が呪いになってる。すごい強さ……」
 少年は左腕を天使に預けたまま、右手で腰から短刀を抜く。
 半球体の障壁を観察し、くるくると回しながら対策を考える。
「生身じゃ突き破れそうもないか。どうすっかな――お?」
 ふと。
 下からこちらを見上げていた、1人の少女に気が付いた。
「……へぇ。なるほどねぇ」
 くくく、と嬉しそうに声を零した。
「なぁ優奈。お前、あいつをどれくらい信用できる?」
「え?」
 言われて、優奈は少年が切っ先で示す方向に目を向ける。何かを見付け、くすりと声を
零した。
「100%。いつもは物静かだけど、誰よりも心強い友達だよ」
「そうかい、んじゃ決まりだ」
 天使の翼がふわりと浮上する。
「いくよ羽にぃ」
「おう」
 一転、ロケットスタート。
 垂直の隕石と化して空間を跨ぎ、2人が音の結界に衝突する!
「るああああああああああああっ!!!」
「ハッ! 粉微塵になりやがれええええええええ!」
 咆吼する少年と、絶叫するギタリスト。
 衝撃は咲く。
 視線の交差が爆煙に呑まれた。
 激突という言葉さえなまぬるい。落雷のような重量が地面に打ち付けられ、瞬間的に直
下型地震を起こした。
「ちょ、嘘――羽にぃ!?」
 周囲に風圧がばら撒かれる。吹き飛ばされそうになった雛子が悲鳴のような声を上げる。
「羽村くんっ!」
 踏み留まって呼びかけるアユミ。
 答えはない。
 津波のように駆ける突風。一帯に砂塵を振りまいて、少女たちの視界を覆ってしまう。
 その中で静かに立ち上がる者がいた。
「……おい雪音、いつまで遊んでる。お陰でクソ弟子が1人死んだぞ」
 静かな黒セーラー服の背中。
 それに触れようとした木の葉が何故か弾かれ、地に落ちるより早く燃え尽きた。
「分かってる。行くわよクソ魔女。あの腐れギタリスト、地獄に叩き落とす」
 みし、と柄を握りしめる巫女。
 だが。
「…………?」
 駆け出そうとした2人が、揃って足を止める。
 何か聞こえた。
 消え入りそうな響き。
 相変わらず一帯を埋め尽くしているメタルに混じり、遠く染み渡る、優雅なピアノの音
色があった。
 爆煙の向こうで。
「……うおぉい、さすがにいまのは死ぬかと思ったぞ。やばいって」
 無傷のままで音の壁と拮抗しながら、少年が呟いた。優奈は不思議そうに言う。
「ゆっくり落ちた方がよかった?」
「ああ。危ないから、次から垂直に飛ぶ時はもうちょっとだけ計算しような。お前がケガ
すると色々な奴が心配する」
 少年たちも、音の壁に包まれていた。
 激しく強いエレキギターとは対照的な、ささやかで小さな旋律の球体。それは夕暮れの
海辺のような穏やかさで染み渡る。
 ――エルガー作曲、『愛の挨拶』。
 誰かの奏でる音符の羅列が、世界を優しく染めてゆく。
「クラッシック、だと……!?」
 バチバチと削り合う壁を認め、ギタリストが憎悪の双眸を走らせる。
「誰だ……どこにいやがる……俺のライブでぬるいクラッシックなんぞを弾いてる馬鹿は
どこのどいつだ!」
「……ここだよ」
 煙幕の向こうから声が聞こえた。
 華奢なシルエットに向けて、ギタリストがパワーコードの衝撃を叩きつける。
「ふぬんッ!」
「………」
 呪いは障壁に阻まれた。
 代わりに煙幕を拭い去る。
 現れた少女は西條香澄。
 その姿を見てギタリストは目を見開く。
「まさか……お前も、俺と同じ……!?」
 キーボードを支える双子に挟まれて、香澄の十指が優雅に鍵盤の上で踊っていた。
 紛れもなく、ギタリストと同じ音を物理に変換する呪い。
「油断してると……ジャックしちゃうよ」
 仄暗く笑って、香澄が曲のテンポをわずかに速めた。
 少年たちを包む障壁が膨張し、滲み出し、ギタリストの障壁に繊手を伸ばしていく。
「クソ食らえ――これだから陰気なクラッシック様はよッ!」
 押し返そうと襲いかかるギターの衝撃。
 しかし意に介さず、視界にも入らないように受け流され、逸らされた風は虚しく樹木に
突き刺さる。
「おいおい待てよオッサン、こいつは対バンなんだぜ。3対1だってことを忘れん――な
ッ!」
 少年が、削り合う面の中心に短刀を突き込む。
 香澄の障壁はそれを容易く迎え入れるが、弾き返そうと暴れるギタリストの障壁には亀
裂が走った。
「押せ優奈! このまま突っ切るぞ!」
「うん!」
 風を薙ぐ天使の翼。確かな重圧を感じて、ギタリストの演奏がかすかに揺らいだ。
「やめろ……俺の芸術が、やめろ……やめろお前らああああああああっっ!!!」
「うっせぇ! こっちはさっきからずっと耳が痛くてたまんねーっつんだよ! 大体、テ
メェらギター小僧は時間もわきまえずにジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジ
ャカもうただひたすらに迷惑なんだよ! 音痴! 下手クソ! 才能がねぇやめちまえ
ッ! 受験勉強の邪魔! 家事の妨害! 無性にイライラするから先生が格ゲーも手につ
かなくなってまた俺が刺されるんだよ!! 勝手に人の生活圏脅かしといて、芸術もくそ
も、あるかあああああッ!!」
「黙れ、いいから黙、れ……!」
「うるさい! 静かにしとけファッキンギタリスト!!」
「俺を……俺の演奏を、うるさいと言う、な……ッ!」
 ギタリストの脳裏に、誰かの顔が掠める。
 ――うるさい!
 何かを思い出しかけ、完全に押し切られそうになる。その瞬間に、ギタリストは決起し
た。
「胸に、心に突き刺さるだろうがよおおおおおおおっっ!!」
「「!?」」
 メタルの音色が激しさを増し、少年たちが弾かれそうになる。
「……させない」
 それを、クラッシックの音色が抱き留める。
 濁流じみた衝撃の羅列を受け流し、優しく2人の背中を支える。
 徐々に食い込んでいく切っ先。
 間近のそれを見上げることもせず、ギタリストはただピアニストを睨んで奥歯を食いし
ばる。
「ふざけるな……完璧な演奏、完璧なニュアンス……あんなガキ、が……!?」
 押し負けている。
 このままでは屈してしまう。インディーズの帝王が。鋼の魂が。何故? どうやったっ
て理解できるはずがない。
「ふざけるな、ふざけるなぁぁぁああああああ!!」
 指から血を吹き出すほどに、音色が彼自身の限界まで加速する。
 ――ギターソロ。
「ぬぅううああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
 ガトリングガンじみた瀑布の乱打に、香澄が苦しげに目を細めた。背後に立っていた少
女に呼びかける。
「……雛子ちゃん」
「お。なになに?」
「あの人、強い。私1人じゃ勝てない。だから……力を貸して欲しい」
 雛子が花のように笑って頷く。
「了解! いっくよーっ!」
 友人の力となるべく、金属バットを大きく振り上げる。
 衝撃がギタリストの障壁に突き刺さり、また亀裂を走らせた。
「まだまだ」
 バトンのようにバットを回す。
 次々と紡がれていく衝撃。
 都合28閃が矛先を向けたまま停止している。
 それを、フルスイングと共に、一斉に総射する。
「打ち抜けぇぇええええええっっ!!」
『ぬあああああああああああああああッ!!!』
 雨のように注ぐ衝撃を、ギタリストは苦鳴のシャウトで迎え撃つ。
 しかし掻き消せたのは僅か数閃、そのほとんどが障壁に激突し、びきびきと亀裂を走ら
せた。
「相っっ変わらず強敵だな、アイツは」
「うん。雛子ちゃんは強いよ」
「俺らもいいかげん、決めなくちゃな」
「そうだね」
 言って、優奈の指先が、胸元で揺れていたネバーランドの欠片に触れる。発光。
「“黒羽根”」
 唱えた瞬間に、白い翼は燐光を散らして邪悪な闇色に塗り潰されていた。
「“悪夢の逆算式”」
 伸ばされた腕に応じ、無数の漆黒の羽が矢のように駆け、障壁に突き刺さって黒く燃え
上がる。
 そこからが真価。
 突き立った箇所から滲み出すように、音の壁を融解させていく。
「なんっ!?」
 ギタリストが顔を青ざめさせる。
 まるで酸性毒のように消失させていく。
 それは未来演算とネバーランドを流用した、解析と浸食による無効化。
 呪いや亡霊という半実体をゼロに還す、負の呪いだった。
「おいおい、どーすんだよその悪魔みたいな羽」
「そうだね。誰かの色に、染まっちゃったね」
 舞い散る黒雪の中で、少女は幸福そうに微笑んだ。誰かの渦巻く双眸に似た、禍々しく
不吉な両翼を背負って。
「やめ、ろ……やめて、くれ……」
 ギタリストは恐怖に唇を震わせた。
 だが亀裂は瞬く間に広がっていく。
 少年の短刀に。
 雛子のフルスイングに。
 優奈の黒羽根に。
 そして香澄が紡ぐ障壁に傷つけられ、いまにも決壊しそうになっている。
「あなたには敗けない」
 香澄がはっきりと声を発した。
 双眸をもたげる。
 そこには。
「人を不幸にする音楽には、敗けない」
 静かだが、確かに強い意志があった。
 人を不幸にする音楽。
 その弾劾に、ギタリストは恐怖する。
「違う……俺は、俺は……っ!」
 あの日々の終わりに。
 自分が作ってきた音楽の終焉に恐怖する。
 ずっとがむしゃらに駆けてきた。
 後ろを振り返らずに走り続けてきた。
 そう――だって、自分は。
 ずっと追い立てられてきたんだ。
 その恐怖に。
 何の意味も価値もなかった、あの万引き少年に戻ってしまう恐怖に。
「勝ちたかっただけだ――敗けたくなかった、だけなんだぁぁあああああ!!!!」
 泣き叫ぶような絶叫。
 嵐のように吹き荒れる音波衝撃。
「ぐぅぅうああああああああああああああッッッ!!!!!」
 指が走る。
 連符が叫ぶ。
 機械のように弦を はじ く。
 自身の限界を踏み超える。

 そして――カツン、と音を立てて切れてしまった。

「ぁ………………」
 ギターの3弦と共に、ギタリストの演奏も途絶えてしまった。
 障壁が大破する。
「っ、と!」
「わっ」
 支えを失った少年が着地し、優奈を両腕で受け止める。
 昼空の真下、早坂神社に久しく静寂が訪れる。
 耳鳴りがする。
 長いこと爆音を聞き続けていたせいだろう。
 少年は目を向けた。
 とうとう膝を屈した男に。
「認めるか……俺、は……」
 壊れてしまったラジオのように。
 激しいライブに疲れきったギタリストが、1人悄然と項垂れていた。




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