斬-the black side blood union-

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#003 / 天使-Never LandIII-
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 子供の頃、兄に見捨てられたことがある。
「ユウヤ。見てみろアイツらを」
「え?」
 兄の名前は相沢トモヤ。
 成績優秀で世渡りも上手く、何の取り柄もない自分とは似ても似つかない人だった。
 たぶん、尊敬していたと思う。
 塾帰りで商店街を歩いている最中に声を掛けられて、ボクは兄が顎で示した方に目をや
る。
 ゲームセンターの中で、柄の悪い連中が女子高生を捕まえて何か言っていた。
 女子高生は黒セーラー服と長い髪で、誰の目にも明らかな美人だった。
 何よりあの雨夜のように湿った輝きを放つ瞳がすごい。ひとめ見ればしばらく忘れられ
なくなるような人だけど、その表情はとても冷たいものだった。
「チ……煩いな。他を当たれ他を」
 まるで男の人みたいな口調で吐き捨てた美人さんは、ガラの悪い連中に背を向けて立ち
去ろうとする。
 ナンパして、振られたのか。
 必死で女子高生を引き留めようとする連中を見やって、兄はいっそう眼鏡の奧の嗜虐的
な瞳を細めた。
「なぁユウヤ、知ってるか。あーいうのをクズって言うんだよ」
「……クズ?」
 あまり心地よくない響きだった。
「あの間抜けな連中のことさ。
 意味もなくゲーセンで時間を浪費して、美人を見掛ければ尻尾振って媚びを売る。あー
いった連中はね、総じて勉強ができない。きっと中一のお前よりも出来ないだろうね。
 集中力が足りないんだよ、人として必要最低レベル以下。欠陥品なのさ」
 けれど、兄がクズだと言うからにはきっとそうなのだろう。
 兄はいつだって正しかった。
 数学で分からない所があったって、聞けば笑顔で簡単そうに答えてくれるし、テストに
出そうな問題だっていつも優しく教えてくれるし、誕生日プレゼントにゲームだって買っ
てくれた。
 厳格なお父さんとの上手い会話の仕方だって教えてくれたし、なんだって兄の言う通り
にやってればうまくいった。
 ボクにとって、兄は予知能力者みたいなものだったんだ。
 兄が敷いてくれるレールの上、予定表、それを遂行するだけで世界は綺麗に回った。
 兄がクズというのなら、あの連中はクズだ。
 そうだ、見ろあの中身のない卑屈な容姿。
 知性も品位も理性の存在さえも感じられない無力そうな出で立ち。
 兄に倣って侮蔑の視線を送り続ける。
 ──死ねばいいのに、と。
「なんだとコラ」
「え!?」
 心の声が聞かれてしまった。
 違う、間違って口に出してしまったんだ。それを聞き取ったガラの悪い連中がボクに向
かってズンズン歩いてくる。
「おい、そこのガキ。おまえもう1回言ってみろや」
「ははは、いっちゃん振られたからってその中坊殺すなよ?」
「いーじゃんいーじゃん。金持ってそうだしさ、連れていってボコっちゃおうよ」
「あ……うぁ」
 ボクがじりじりと後ずさるスピードよりも、あいつらの近付いてくるスピードの方が速
い。
 高い身長に圧倒されて声も上げられない。
 手が伸びてくる。
 ダメだ、捕まる──!?
「に、兄さ……っ」
 そうだ、兄さん。
 兄さんならきっと助けてくれる。
 こんなくだらないヤツらなんか返り討ちにして、格好良くボクを救い出してくれるに決
まってるんだ。
 蜘蛛の糸を掴む心地で兄の姿を探す。だけど──
「     」
 声が出なかった。
 何故か、兄さんの姿が遠い。大きかったはずの背中が小さく小さく遠ざかっていく。
「なん、で」
 不良たちに捕まり、引きずられていく視界の中で、ただ大量の疑問符だけが脳内を渦巻
き続けていた。
 なんで、どうして兄さん。
 ボクが何か悪いことでもしたのだろうか。
 間違ったことを言って、怒らせてしまったのだろうか。
 ボクが馬鹿だから、嫌われて、しまったのだろうか。
「……」
 けれど、路地裏に血まみれで放り出され、ボクの財布を開けて笑ってる連中を眺めなが
ら、ボクはようやく気が付いたんだ。
 いつもボクを助けてくれた兄さん。
 いつも誰よりも優しくしてくれた兄さん。
 兄さんは──こいつらが恐くて、ボクを捨てて逃げ出したんだ。



 あれ以来、兄さんとまともに会話したことはない。
 家の中ですれ違っても目も合わせないし、勉強も教えてくれなくなった。
「──知ってるか、ユウヤ」
 ガチャリとドアを閉め、自室に鍵を掛けた兄さんを見送りながら1人で呟く。
 あの中身のない卑屈な容姿。
 知性も品位も理性の存在さえも感じられない無力そうな出で立ち。
「ああいう男をね、クズって言うんだよ」
 ケタケタケタとノドを鳴らして嗤う。
 その頃からだろうか。
 自分が生まれつきの予知能力者だったという、おかしな錯覚に染められ始めたのは。




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