斬-the black side blood union-

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 ぼうっと天井を眺めている。
「…………」
 夕暮れの自室。
 窓から差し込む夕日が横顔を照らし付ける。こがねに染まった天井を見上げながら、
俺・羽村リョウジはベッドで寝転がっていた。
「…………」
 体中の骨と筋肉が痛い。
 六道沙門の反動。だが、仮眠は取ったので起きあがれないほどじゃない。
 俺が項垂れている理由は肉体面ではなく、精神面だった。
 色々ある。
 相沢、雛子、ネバーランド、優奈と香澄、予知能力──と、本当に色々だ。ひとつひと
つ考えるのも面倒くさい。
「…………はぁ」
 去っていった相沢も、夜になれば動き出すのだろう。ネバーランド。何をする気か知ら
ないが、決まってる。どうせろくなことじゃない。
 面倒だ。
 本当に面倒なことになっている。
 逃げるように顔を横に向け、俺はまつげの長い少女と見つめ合った。
「っ!?」
「…………」
 顔近っ。
 心臓が跳ねて、飛び起きそうになった。
「………何してんだ、お前」
「……」
 俺の枕元にしなだれかかる者がいた。
 赤い髪の少女。無論、アユミだ。アユミの顔が近くにあって、何を言うでもなく項垂れ
ている。笑いもせずに。
「…………」
「……?」
 何がしたいんだ。
 観察か。
 羽村観察か。
「……正座」
「ん?」
「正座しよう、羽村くん」 
「……はぁ?」
 とんとん、とアユミの手がベッド脇の床を叩いた。
 ここに座れと言いたいらしい。
「…………」
 ベッドの上から滑り落ち、指定された場所に速やかに正座する。
 アユミも同じように正座して、俺に向き直った。
 静かに膝を突き合わせ、笑わないアユミの顔を真っ直ぐに見返す。
「…………」
「……悪かった」
「え?」
 言われる前に頭を下げた。
 身に覚えがないわけじゃない。
「……怒ってるんだろ? お前を、相方を置いて1人で行ったこと」
 独断専行。その結果。
 色々なものを間違えてしまった。
 今回はすべて、俺が悪い。ちゃんと謝るのが筋だろう。
「悪かった。もうしない」
「………うん」
 顔を上げると、アユミは穏やかに笑い返してくれた。
 安堵に胸を撫で下ろす。
 よかった。許してくれたか、がしっ。
「………………え?」
 俺の頭の右と左、両耳の上をアユミの手の平が押さえてきた。
 ガッチリと、両手。
 笑顔のままで。
 始また。
「いぎ!? ひ、ぎぎぎぎぎぎぎぎ……!?」
 魔法の握力。
 力を籠めた素振りなんて欠片もなかったのに、唐突に不思議なまでに圧搾され始めた。
 少女にあるまじき怪力で、俺の頭蓋骨を締め上げてくる。ギリギリギリと、万力のよう
に。え、なんで? ちょい待、のうみそ、つぶれ、
「怒ってないよ、怒ってなんてないから。これはね。叱ってるんだよ」
 ああああああああああ!
「ど……どう違うんだよ、そ、れ……!」
「うーんと。感情が先か理性が先かの違いかな?」
 純真無垢な笑顔が素敵に言った。
 ああなるほど、確かに笑ってる。笑ってるよ。こんなに満面の笑顔で俺に体罰してるよ
この娘。
「ひ……ぎが……ぐぐぐぐ」
「えーい。ちょっとだけ解放、アユミ4%だよっ」
 万力じみた圧力の嵐に溺死しそうになりながら、必死でアユミの右腕を叩いてギブアッ
プを訴えた。
「待て……アユ、ミ……だめだ、って!」
「え? 何が?」
 素敵な笑顔だ。険の欠片もない。でもねお嬢さん。
「加減……力加減、間違って……るか、らッ!」
 みしみしと骨が鳴っているのだ。たぶん間も無く壊れるだろう。
「何言ってるの羽村くん、そんなことないよ? これがわたしのお説教」
 なるほど、これか。
 この壊れそうで壊れないという臨界状態こそがお前の望んだ愛の形だったのか。
 それにしてもこめかみ割れる。
 ああ、じんじんする。あれだな。芯にきてるな。
 キラキラ光る。アユミまじ天使。
 意識を保ったまま生々しい臨死体験をしながら、俺の口は、自動で苦し紛れを吐いてい
た。
「に……肉体言語で……年上の、男、を……イジメるなぁ!」
 実は半泣きだった。
「ふふっ。可哀想な羽村くん。もう2度と、あんなことしないで、ねっ!」
「あぎぎいぎいぎぎあああああっ!!?」
 なんてキュートな笑顔だろう。
 そして生まれた教訓がひとつ。
 絶対に──絶対に、高瀬アユミを、怒らせては、いけない。
「は……は、は」
 苦痛の嵐に発狂しながら、それでも、泣かれたり落ち込まれたりするよりはよっぽどマ
シなんだよなぁ──などと相方の優しさに感じ入る俺だっ、いででででああああ



 ようやく解放された後。
 アユミはしおらしく言ってきた。
「……ごめんね。でも」
 閑散とした部屋に、声が落ちる。
「……次は……きっと取り返しがつかないことになるから」
 取り返しがつかないこと。
 それは、俺の死だ。
 1人敵地に赴いた俺が、呆気なく殺され死体になるという結末。それを防ぐのは相方の
役目で、防ぎ合うのが相方同士で、俺は本当に悪いことをした。もっと感情的に怒られて
も仕方ないようなことだ。
「OK、頭蓋骨に……いや胸に刻んどく」
 それをじゃれ合いひとつで許してくれたんだ。
 俺の相方はあまりに優しい。
 次は、次こそはちゃんと、2人で共闘しよう。まだ見習いの半人前、肩を並べて立ち向
かう。それこそが俺たちの本来の姿なんだから。
「あんまり無茶しないでね。1人で食事当番なんて、絶対いやだから」
「おう。お前こそ、隙見せて死ぬなよ。明日はお前が掃除当番なんだから」
 そう言って、ようやく笑みを交わし合う。
 俺たちは死なない。
 互いに、何があっても死なせない。
「……仲いいんだね」
「え」
「あ──」
 いつのまにか、窓辺に少女が腰掛けていた。
「……雛子」
「兄妹みたい。うらやましー」
 棒読みの半眼で言われる。
「…………」
 そっか。こっちはこっちで拗ねてるのか。
「すまん。悪かった」
 結局あの場で相沢を倒し、優奈を取り戻すことが出来なかった。
 やはり、俺は無力だったのだ。
「謝るの? 謝っちゃうの?」
「え」
「……だって。謝るっていうことは、諦めるってことじゃん」
「─────、」
 挑戦的な小悪魔の微笑に、俺はいつもの調子を取り戻す。
「そうだな……そうだった」
「うん。ちゃんと、約束したよ」
「ああ、だから心配すんな。お前は大人しく待ってればいい。ぜんぶ纏めて、俺たちが何
とかしてくるさ」
「…………」
 雛子は笑顔のままで、僅かに考え込むように床を見下ろした。
 細められた瞳は澄んでいた。
「……1人ぼっちの子供は惨めなんだよ」
 その横顔はただ寂しそうで。
「誰にも必要とされなくて。だから、1人は、きらい」
 夕日の中で。
 1人陰に覆われた少女は、とても弱々しく思えた。
「…………なんでもない。ただの独り言」
 誤魔化すように顔を上げ、雛子は窓を開けて立ち上がった。
 秋の枯れた風がなだれこんでくる。
「それじゃね。ばいばい」
「行くのか」
「うん、帰るよ。またどこかで会えたらいいね」
 そして雛子は夕陽を背にした。
 顔まで影に覆われて、少女は小さく笑みながら、嘘を言った。
「優奈ちゃんのこと、任せた、よ」
 風に掻き消されそうな声だった。
 だから俺は、くすんだ微笑に、元気づけるように声を投げた。
「……羽村リョウジだ」
「え?」
「高瀬アユミだよ」
 俺たちはまっすぐに雛子を見上げた。
 もう2度と、雛子が、1人ぼっちの野良猫にならなくてもいいように。
 雛子は首を傾げながら問い返してくる。
「……なに? どうしたの?」
「名前だよ、名前。俺たちの名前」
 名前を教えるということは──他人であることを、やめるということ。
「もう他人じゃない。今度、またどっかで遊ぼうな」
「────」
 少女はかすかに息を呑んだ。
 その瞳が迷い、咄嗟に何かを言いかける。
「あ──あの、あのね……!」
 罪悪感から、さっきの嘘を訂正したくなったんだろう。
 だが賢明な少女は、最後までその言葉を飲み込んで、笑った。
「……ありがとう」
 幽霊少女が去っていく。
 そのあとで。
「……やっぱり、来るのかな」
「当たり前だろ。そういうヤツだ」
 俺たちに任せるというのは嘘なんだ。
 あいつは必ず、自分の手で友達を取り返そうとするだろう。
「…………」
 湿った秋風が葉を乗せて駆け抜けていった。
 錆びれた街の音を聞きながら、夕陽の差し込む自室で黙り込む。
 群青と真紅の入り乱れる飴細工のような空を見上げて。
「……さて、行って来るか」
「え?」
 俺は静かに立ち上がる。
「羽村くん? どこ行くの?」
「おう、まだ出立まで時間あるだろ。買い物だ、買い物」
 財布を開ける。中身は4千円。これから買うものを考えれば、なんとも際どいラインだ
った。
「うげ……足りるのかこれ……」
「あ、わかった。また新しいCD買うんでしょ。いっけないんだー」
「いや、そーいうのじゃないんだが……はぁ。明日からしばらくは金欠生活か。どうすっ
かなぁ」
 途方に暮れる。
 時刻はまだ夕暮れ。
 日が沈むまで、もう少しだけ、時間がある。




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