斬-the black side blood union-
back | top | next
延々と続く三振の嵐。
それでも少女は諦めない。何度も何度も何度でも、俺に催促してくる。
「なに勝手に休憩してんの!? 早く投げろへぼピッチャーっ!!」
クソ元気な小娘である。
金に染め上げたツーテールを揺らしながら、汗だくになってもバットで「ビシ!」と俺
を差してくる。
「つ……はぁ、うるさいぞ小娘、タイムだタイム」
こっちはとっくに満身創痍だってのに。
今の所一度も打たれていない。打たれてはいないのだが、こうも延々と投げ続けていれ
ば体が保たない。もう3桁は投げたんじゃないか?
「ったく、だらしないなぁ。もういいよピッチャー交代。次はおねえちゃん投げてみて」
「え、わたし?」
「ば──ッ!?」
まずい。これはまずい展開になってきた。
「ほらほらはやく~。ね、お願い。1回だけでいいからっ!」
こちらの焦燥など知らずにあの小娘はアユミに甘えてかかる。
一度でいいからボールを弾く感触を楽しんでみたいって所だろう。年上とはいえ相手は
女性なのだし、そんな大したボールは投げられんだろうと。
「や、やめろバカ! マジ危ないって!!」
「うっさいなぁ、あたしがおねえちゃんに向けて打ち返したりするわけないじゃん。さ、
早く早く!」
ずいずいとアユミの背中を押して立たせ、少女はバットを振りかぶった。
距離は俺の半分くらい。ハンデのつもりだろう。しばらくボールの感触を確かめていた
アユミは少女に向き直り、言った。
「うーんと、それじゃ1球だけね。大丈夫、加減はするよ」
「ふっふーん。たとえおねえちゃん相手でも、あたしは全力でいくからね」
すぅぅっと何気なく振り上げられるボール。
それが投げ放たれる、寸前。
「ちょっと待てえええええええええええええええええええええええっっ!!!!」
俺はクラウチングスタートを切り、カールルイス走法で駆け出していた。
まずい、本当にまずい。
アユミにボールを投げさせるなんてダメだ。確実に死人が出る。なんせアイツは、ドア
ノックで鉄扉を吹き飛ばすような原理不明の怪力女なのだから。
「えいっ!」
「くッ!」
しかし間に合わない。あのバカ、少しは自分が人間外だってことを自覚しろ!
「──へ?」
投げ放たれたボールを見て、少女は今度こそ目を点にした。
アユミの投球に煽られて、公園の雑木林が纏めて仰け反った。風だ。暴風だ。俺のピッ
チングなんかとは桁が違う。走り始めていた俺はあまりの風圧に押し戻され、公園の地面
に転ばされてしまった。
空気摩擦によってバチバチと音を立てたボールは発火。死のファイヤーボールとなって、
無垢なるバッターの眉間へと襲いかかるっていや待て待て待て。
人間外の怪力に天性のアレ(不器用さ)を足されたそれは、兵器クラスの大暴投という
災害を生みだしてしまった!
「躱せッ! 死ぬぞ!?」
立ち上がりながら絶叫する。
しかし人間が拳銃の弾丸を躱すなんてのは漫画の中の話だ。ただの小学生に、滅殺ミサ
イルなんて回避できるはずもない。あるとすればそれは──
「は……」
──偶然による幸運、それのみ。
へたり。
死球炸裂の寸前で、少女の腰が砕けて地面に倒れ込んだ。
その頭上を。発火ボールが駆け抜けていく。大気の壁をブチ破り、ぶしゃしゃしゃずぼ
ぉおおおおと火の粉を撒き散らかし、雑木林を突き抜け枝葉を一斉に舞い上がらせ、モー
セの十戒ヨロシクな感じに池の水面を2つに割って上昇し、白球は高く高く空の上へと呑
み込まれていった。
「………………。」
3人一緒にそれを見送る。沈黙。
はっと正気を取り戻し俺はアユミに駆け寄り、そのあたま目掛けてスパコーンとグロー
ブを振り抜いた。
「アホっ! どんな大暴投だッ!? 危うくなんかこう赤と灰の混じった泥を見るところ
だっただろうが!!」
「ごごごごめんなさい、ほんとにほんとにごめんなさいッ!!」
「うるさい黙れ目を回せ、三半規管クラッシュの刑で死ぬほど反省しろッ!」
「うにゃあああああああ!?」
アユミの腕を掴み、ぐるんぐるん地獄車みたく振り回してから投げ捨てる。
ふらふらと地面にへたり込んだ彼女は、青ざめぱたりと突っ伏したまま動かなくなった。
自業自得だ。
「チ。おい、ケガしてないか。うちのバカが本当にすまなかったな」
「………………」
対して少女の方はというと、いつまでも夕焼け空を見上げて呆然としているのだった。
+
こうしてたったひとつのボールを失くし、俺たちは3人並んでベンチに腰掛けていた。
「……」
ちらりと少女を盗み見る。
さっきの発火ボールは目の錯覚だと納得することにしたらしく、ぽけーっとしたまま足
をぶらぶらさせている。
アユミの方はいまだに頭を押さえて苦しそうに唸っている。結構効いたようだ。
「ふーむ……」
やることもなくなってしまった。俺は仕方なく夕日の公園を横切っていく人々に目を向
ける。
老婆がいる。サラリーマンもいる。買い物を終えた主婦の集団もあって、さっきからず
っと井戸端会議している。話題は近くの市で起こった誘拐殺人のニュースについてだった。
それから最後に学校帰りの学生達を見付けて、俺は隣の少女に聞いてみた。
「……なぁ、そういえばさ」
「え、何?」
見上げてくる少女の顔は笑っていた。
「お前、学校はいいのか?」
「──────」
そんな上機嫌が、唐突に色を失う。
沈黙。
表情を喪失した少女は俺から視線を逸らし、黙り込んでしまった。
気不味い空気。余計なことを訊いてしまったかもしれない。
「……………………。」
完全な無言状態が続く。秋風の中で俺は、少女の小さな横顔を静かに見下ろしていた。
「──いいよ。フトウコウのデキソコナイだもん、あたし」
そしてまた、笑った。どこか影の差す笑顔で。彼女は自分のことを、「デキソコナイ」
だと嘲った。
「うんとね、これでも勉強はけっこうできる方なんだよ。だからなのかな。授業に出ても
なんにも面白くないし……」
そう語る彼女の横顔は、何故か。元気に叫び回るだけの少女とはまったく噛み合わない、
大人びた理性の光を宿しているように思えた。
「……うそ。本当はね、学校は好きだったよ。毎日ともだちと遊んで、テストで100点
とって褒められて、給食の揚げパンとかも大好きだったな。でもね、あたしもう学校には
行けないんだ」
通り過ぎる学生達のお喋りを遠く見つめながら。
「あたしはね、先生にも友達にも好かれるイイコだったんだよ。うちのクラスはみんな仲
が良くて、遠足だってみんなで回ったし、友達といろんな所遊びに行ったりもした」
楽しい思い出を語っているはずなのに。少女は寒そうに、膝を抱えた。
「でも……ある日を境に、みんなあたしを遠ざけるようになったの」
色抜けた地面を見下ろして。
「理由はつまんないことだった。本当につまんないこと。そんなことでお母さんが学校に
乗り込んできて、先生や校長先生に叫び散らして、そしてあたしの手をムリヤリ引いて帰
っていった。それだけ」
……それは、最近ではどこにでもあるイヤな話のひとつだった。
大人になりきれていない親が子供を産み、学校に入れ、そして学校側に身勝手な不平不
満を喚き散らして帰っていく。
この子の親が、そうなんだ。
「その次の日学校に行ったらね、昨日まで仲の良かった子があたしを避けるの。先生も。
校長先生も。用務員さんも、クラスメイトもみんなみんな──」
そのとき、一瞬だけ、彼女の笑みが悲痛に歪むのを俺は見ていた。
ほんの一瞬だけ。
すぐにまた気丈さを取り戻して、彼女は笑う。
「イジメってわけじゃないんだよ。ただね、みんなあたしのお母さんを怖がって話したが
らないだけ。だって、何されるかわかんないもんね。そんなのと関わるなんてあたしだっ
てイヤだと思うよ」
何の配慮もなく。
自己以外は誰のことも省みず、ただ自分のルールだけを他者に押し付け、少女の人間関
係を無惨に破壊し尽くし、ひとり満足して帰っていった。
そんな母親に手を引かれながら、この子は一体何を思っただろう。
その大きな背中を見上げながら、力ずくで手を引かれ、一体どんなことを考えたのだろ
う。
「ま、そうしてあたしはフトウコウのデキソコナイになったわけですよ。家に帰ってもお
母さんは夜中まで帰ってこないし、もしかしたら出て行っちゃったかも知れないね。今朝、
大喧嘩しちゃったから」
ひょいと少女は立ち上がり、振り返ってまた笑顔を浮かべた。
夕日の公園を背にして。
ひとり陰に覆われた彼女は、とても弱々しく思えた。
「今日はありがと。また一緒に野球しようね、お姉さんにお兄さん」
「あ、おい……」
元気に手を振り去っていく。
その背中を何故か。
いますぐに呼び止めて、何かを言わなくてはいけないような気がした。
「ま、あたしの気が向いたら──なんだけどね」
「え」
唐突に、小悪魔に変化した笑顔を向けられる。
──それで理解した。俺があの子に掛けてやれる優しい言葉なんてない。あの子はとっ
くの昔に、自分の足で立つと決めている強い子なんだ。
「……は、クソガキめ。そんなに三振したいのなら、またいつでも投げてやるよ」
「ふん、次は絶対ホームランだしっ。見てなさいへぼピッチャー」
ニヤリと挑戦的に笑い合う。だが俺は。
「…………ああ、そうだ」
「うん? なに?」
少女は屈託なく聞き返す。
俺は迷いながらも口にした。
「お前さ……名前、なんていうんだ?」
「─────え?」
名前を聞く。
それは、他人であることをやめるということ。
また、今度。
その口約束を本物に変えるということ。
「雛子。吉岡雛子だよ、可愛いでしょ」
嬉しそうに名を告げる少女。
アユミは呆然と俺を見ていた。
当然だろう。だって、いつもなら俺が「関わるな」って言う場面だ。
「…………」
小さく笑みを浮かべる。
でもいいんだ、これで。
きっと面倒なことにはならない。
見てれば分かるさ。この少女は、俺がそう自信を持って確信できるくらいに頭がいい。
──きっと、面倒なことには、ならない。
「ついでだから持っていけ。お前にやるよ、雛子」
「え?」
俺は足元にあったバットを拾い上げて、少女に投げ渡してやる。
「気が向いたら練習しとけ。バット振ることに慣れてないようじゃ勝負にもならないから
な。特大ホームラン、期待してるぜ」
親指を立てて笑いかける。
少女は手にした金属バットを不思議そうに見下ろして、言った。
「くれるの? あたしに?」
「ああ、それはもうお前のものさ。振るなり折るなり好きにしろ。うちの倉庫にあったヤ
ツだけど別にいいよな、アユミ」
問い掛けると、アユミはくすりと笑顔を浮かべて言った。
「うん、いいんじゃないかな。がんばって羽村くんを撲殺してね」
「違う。俺は野球の練習をしろと言ったんだ」
「あれ? 金属バットで素振りとくれば撲殺じゃないのかな、かな?」
「断じて違うことさらに違う。妙な先入観は捨てろ、いますぐに」
「…………。」
そんな俺たちを見て。少女もくすりと、笑みを浮かべた。
「ありがと。ぜったい大切にする」
呟いて、去っていく。
大きなバットを小さな両手で大事そうに抱きかかえながら。
野良猫みたいな少女は、夕日の公園をあとにした。
「……かわいいね、雛子ちゃん。とっても健気でいい子だよ」
「ああ、そうだな。あれで暴力さえなければ俺もそう思うよ」
錆びたベンチに取り残されて、赤く染め上げられた噴水を眺める。
アユミの横顔は変わらず笑う。
「羽村くんってさ……ときどき優しいよね」
そんな的外れなことを言われて。
「─────」
ふと自分の胸に手を当てると、とくん、とくん。
氷の鼓動が鳴っていた。永劫埋まらない空白が。
「……違うさ……そんなんじゃない。そんなことはありえないんだ」
「え?」
──ところで。
行き場を無くした子供たちは、一体どこへ行くのだろう。
太陽のない世界に置き去りにされて。
視界を覆い尽くすたくさんの大きな背中を見上げながら。
……どんな感情を、抱くのだろう。
back | top | next
|