名も無き花

第4話

 聞けば、個人の郵便屋さんというのはまったく儲からないそうだ。
「……へぇ」
「そうなんだ。なにせ単価が怖ろしいほど安い。」
 何故か近所のカフェで郵便屋とお茶しながら、雑談なんだか何なんだか分からない話に花を咲かせる。
「……郵便が儲からないんなら、どうやって生活してるの?」
「傭兵だ。郵便屋をやっていると、無駄に戦闘の経験値ばかり溜まってしまってね。俺としては由々しき事態だ」
 郵便屋やめて傭兵を本業にすればいいのに。そんな指摘は黙っておいた。……兵士は、ダメだ。
「……そもそもなんで郵便屋?」
「ふ――よくぞ聞いてくれた」
「は?」
 コーヒーカップ片手に、女の子みたいな男が微笑した。本当にお姫様みたいに目をキラキラさせたのだ。
「――手紙を届けるというのは、人の心と心を繋ぐ仕事なんだ」
 儚げだった。紳士然と、勝手に鎮痛そうに胸に手を当てて何か言ってる。
「昨今、魔物被害による都市間の連絡は芳しくない。皆、町を出ることを嫌う。故に荷物ひとつ届けるだけでも値が高いんだ。運搬は危険を伴うからね。町の外側に向いた連絡というのは、現状では郵便局員に手紙を渡し、週に一度の渡り行列で持って行ってくれることを待つのみだ。あるいは伝書鳩なんて手もあるが、正直、半分も届かない」
 語ってる。たいそう熱のこもった調子で。突然の変わり様に、私はただ呆然と見ていることしか出来なかった
「だからこそ、俺は個人で郵便屋をやっている。遠くの誰かに届けたい言葉や、どうしてもいますぐに届けたい手紙があれば任せて欲しい。手紙一つに値が張るなんて愚かしいかもしれない。信用出来ないかもしれない。――――しかし、俺が、責任をもって相手のもとへ届けると約束する」
 確かに、個人の郵便屋なんて、手紙を預かるだけ預かって代金を受け取り、こっそり捨ててしまわないという保証もない。届ける途中で魔物に襲われる線も濃厚だ。信用。個人がそれを勝ち取るのは難しいが、しかしここまで真剣に言われてしまえば、信じてみたくもなるものだ。
 人の心と心を繋ぐ仕事。もしかすると、恥ずかしげもなくそんなことを言える人間でないと、郵便屋なんてものは務まらないのかもしれない。
「……ふふっ。おかしな人だね」
「よく言われるよ。このご時世に一人旅なんて正気じゃない、ともね」
 爽やかに笑ってる。本当にその通りだ。一人旅なんて正気じゃない。いつかの田舎娘にも言ってやりたい。
「ねぇ、誰かと組まないの? 一人で行き来するなんて絶対やめたほうがいいよ。もしどこかで怪我したら……」
 それは、死を意味する。言いながら気付いた。目の前で朗らかに笑っている青年は、本当に危険なことをやっているのだ。
「…………うん。相棒とか、仲間とか。絶対一緒に旅した方がいいよ」
「相棒、か……確かにそうかも知れない。考えたことはなかったな」
 腕を組んで考えこむ青年。その姿に不安を感じた。布を掛けられた店長の姿がよぎる。いつか、この気のいい青年もあんな風に布を掛けられてしまうのだろうか。
 一人旅をするような人間は、変な所で意固地になってしまうものだ。その意固地が身を滅ぼしてしまうと知っているのに――。
「そうだな、考えておくよ。一人旅は気楽だとはいえ、命には替えられないからね」
「そう……よかった」
 ほっと胸を撫で下ろす。運命が、書き換わった気がした。
「そうだその件に関して……少し、教授してもらえないかな」
「はい?」
「見てくれ」
 ごとり、と郵便屋さんが机の上に置いたもの。それは透き通った赤色の宝石だった。見覚えはあるけど、なんとなく私の知っているものより輝きが鈍く感じる。極端に言えば、安っぽい。
「……魔石? なんか、妙な感じだけど」
「妙? それはまた、どういった意味合いで?」
 ケチを付けるのはやめておこう。魔石って結構高い買い物だし、せっかく高いお金出して買ったものを悪く言うのも失礼だろう。
「いや、なんでもないよ。それよりこの魔石がどうかしたの?」
「ああ、買ったはいいがまったく使い方が分からなくてね。どうやって使えばいいのか教えて欲しい」
「…………」
 魔石の使い方? えっと。
「……単純に、微弱でもなんでもいいから魔力を通して、投げつければそれでいいはずだけど」
「うむ。魔力とはなんだ」
「この魔法全盛時代に、何を言ってるんだいアナタは。魔法の発動ができなくても、単に魔力を放射するくらいそこらの子供でも出来るでしょうに」
 要は、念じればいいだけの話である。生き物はそもそもほとんどが微弱な魔力を生まれつき内包していて、肉体の運用にも活用されているはずなので、出来ないワケがない。例えば超人的な動きをする剣士というものがいるけど、あれらは単純な筋力のみでなく、無意識の内に潜在的な魔力を運用しているせいでもある、というのを聞いたことがある。
「念じるといいよ。誰でもできる」
「いや、出来ない。小一時間ほど頑張って、通りすがりの主婦にも頼んでみたがビクともしない」
「できるから。ちょっと貸してみなさい」
 赤い魔石を奪い取って、手のひらの上に乗せる。間違って発動してしまっては危険なので、本当に本当に微量の魔力だけを走らせる。するとどうだろう。
「…………あれ?」
 何の反応もない。と、いうか――。
「ねぇこれ、どこで買ったの?」
「道端の露天で。今時はあんな値段で魔石が買えるんだな、驚いたよ」
「……何個買った?」
「思わず六つほど。財布はカラだが、これで長旅でも安心だ」
 ゴトゴトと魔石を取り出して、ふっふっふと笑んでいる郵便屋さん。さすが魔法素人、全然気付いていない。
「パチモンだよこれ。魔法なんか発動しない」
「……は?」
「いいもん掴まされたね。魔力なんかすっからだし、術式もゼロ。材質もなんか安っぽいし、完全にただの『石』だよ。部屋にでも飾るといいよ」
「…………」
 呆然とした顔をしたと思ったら、静かにテーブルに沈んだ。しくしく泣いてる。お可哀想に。
「……新素材だと。いまが買いだめのチャンスだと」
「そう吹きこまれたわけね。残念だけど、埋葬詐欺が流行ってるような時代だもん。むしろ旅に出る前に気付いてよかったんじゃない?」
 致命的な問題に繋がる埋葬詐欺といい、この手のパチモン魔石によるボッタクリといい。本当に、どいつもこいつも最悪なことをやる。もし郵便屋さんが魔物に襲われた時、魔法を期待してこんなものを投げつけていたらどうなっていたことか。
「…………そういえば、魔石というものは不思議な発明だ。どうして地域を問わずに発動できるのかな」
 テーブルに沈んだ郵便屋さんが、気を紛らわせるためかそんなことを言った。
「……地域を問わずに? ここで買った魔石が、なぜ余所の地域でも使えるのかってこと?」
「ああ。俺は魔法に詳しくはないが、魔法というのはそもそも全てに『魔法結界』が必要になるんだろう? そしてそれらの結界は、地域ごとに独特なものが張られていると聞く。南で魔法を覚えた人間は、北に行けば地元とは魔法結界が変わってしまうから、魔法が発動できないんじゃなかったのか」
 初心者によくある思い違いだ。こういう思い込みがあるから、魔法は帝都のものを覚えなくちゃいけない、みたいなことを吹き込んでる業者もいる。
「……それはちょっと極端すぎるかな。さすがに、そこまで応用が利かないわけじゃないよ」
「そうなのか? では、地域ごとの魔法結界とはどういうものなんだ」
「んーと。まず、この世に“本当の”魔法使いなんてものは一人しかいないって覚えておくといいよ」
「一人? 何故だ。みんな魔法を使えるじゃないか。そこらの主婦だって、料理に火炎魔法を使ったりもする。この喫茶店のコーヒーや軽食だってそうだろう」
 現在、魔法はかなり普及し、人々の生活に深く深く根を張っている。しかしこれらはすべて、過去の偉大な魔法使いたちのおかげ様なのだ。
「大昔の話になるけど、まず、魔法を使える存在っては魔物と、魔法の始祖アンジェリカだけだった。魔法は便利だ。剣がなくても魔物を追い返せるし、呪文一つで巨大な火柱だって生み出せる。みんなアンジェリカに憧れたし、アンジェリカもまたみんなが魔法を使えるようになればいいのに、と考えた。そうしたほうがきっと人類も発展するからね」
 私は、古い知識を参照する。昔お祖父さんの本棚から掘り返した誇り臭い本の知識。何度も何度も読み返した、この世界の積木のような魔法の実態。
「そこで、アンジェリカはひとつの大きな魔法を発動することにした。“大魔法幻想”って呼ばれるそれは、大陸をすべて覆ってしまうほどの大きな魔法結界で、この結界内にいる人間すべてに“魔法の発動”という能力を付与したんだよ」
「……ほう。なるほど、いつも本に書いてあるのはそういう意味だったのか」
「そう。みんなアンジェリカを崇拝して称賛しているでしょう? それは当然、この世のすべての魔法使いはアンジェリカのお陰で魔法を使えているからなんだよ。私たち魔法使いはみんなアンジェリカの弟子で、現在の人間の暮らしはその始まりの魔法結界に支えられているといってもいい」
 だからこそ、この結界が崩壊したらどうなってしまうのか想像もつかないけど。それでも“大魔法幻想”という結界は、いまだ崩壊せず自動的に永続発動し続けている。どんな仕組みなのか想像もつかない。
「で、そこから後続の大魔法使いや大魔導師たちが現れ、またアンジェリカと同じような魔法結界を塗り重ねたの。」
 魔法の簡略化。系統化。効果付与、全体に対する基礎魔力増幅。そういった大型結界が何重も重ねられることによって、より多くの人が簡単に魔法を使えるように、と工夫が為されている。何より、本来は常人の脳では追いつけないほど高度な計算を必要とされる魔法の発動を、大結界によって簡略化しているというのは重要だろう。
 ベースとなる魔法結界を塗り重ねれば、魔法はどんどん容易に簡便になっていく。自然の言語から人間の言語へとランクアップして簡単になっていくのだ。私たち一般人は、そうしてランクアップされた簡単な言語で魔法を行使しているに過ぎない。
「……で、地域ごとの魔法結界というのは、そういったベースがある上での話ね。結論から言えば、南の方で魔法を覚えても、北の方で魔法を覚えても、帝都で魔法を覚えても差はないよ。地域ごとに強化結界が張られていることはあるけど、魔法の発動自体を地域結界に依存するなんてのは、間違った勉強の仕方だから」
 たまに、魔法の超簡易化の結界が流行ったりもするのだ。しかしそういったものは維持が大変だし、憶えても極端に狭い地域でしか使えなかったりする。例えば、街の外ではまったく使用できなかったりとか。本末転倒。そんなものを覚えるよりは、キチンとした地域に依存しない魔法を覚えたほうがいい。そのほうが妙なクセもつかなくて済む。
「……つまり、魔石がどこの地域でも発動できるということは」
「おかしな地域特産の魔法結界に依存してないってことだね。何が起きても大丈夫なように、普通の魔法よりも自然側言語で術式が組まれてて、ひとつふたつ広域結界から外れてても発動できるようになってるモンじゃない?」
 もちろん、自然側言語に寄れば魔石の生成が困難になっていくため、そのぶん値段は張るけど。でも魔石ってのはそもそもそういった時の安全対策なのだ。やはりちゃんとしたものを買ったほうがいい。
「そうだ、たまに魔道士が戦闘中に結界を張ったりしているが、あれも同じような魔法結界なのか」
「そうだね。結界内での魔法威力強化、魔法発動工程の省略、防御強化、効果は色々あるだろうけど、結局は同じものだよ」
 ふむふむと郵便屋さんが感心している。私はコーヒーカップに口を付ける。店長みたいな小難しい長話をしてしまった。
「参考になったよ。ありがとう」
「はい、どうも」
 コーヒーを飲み干して、ようやく私は始めから気になっていた疑問を口にすることが出来た。
「ところで、仕事がないからってなんで私なの? 悪いけど、手紙出してる余裕なんてないよ?」
「ああ――それもあるけど、心配になってね。その、上司さんの件で」
「………………」
 なんだ、気にかけてくれてたのか。
「身内が亡くなった時に、無思慮な発言をしてしまったんじゃないかと。悪かった」
「え? ちょっと、何よ。別に何も言ってないじゃない」
 あの時、彼は何か言っただろうか。何もおかしなことなんて言っていない。だっていうのに、彼は私に頭まで下げたのだ。
「ああもう、いいってば。大丈夫。何も言われてないから顔上げて……」
 周囲の視線が気になって仕方ない。あのウェイトレス絶対へんな勘違いしてる。
「ありがとう。思ったより元気そうでよかった。ここの払いは俺が持つよ」
「ああ、そう。ありがとう助かる」
 気にしなくていいのに、勝手に領収書持って立ち上がる。金欠なので甘えておこう。郵便屋さんはコートを着ながら、訳の分からないことを言って来た。
「ところでキミ、結婚するのか」
「は?」
 何ヲ言ッテイヤガルノダロウ、コノ男。はっはっはとあくまでも好青年的に笑って、金髪ロンゲの郵便屋は言ったのだった。
「一応、手紙の送り主から直接手紙を受け取っているからね。で、どうする? 彼への返事は決まったのか。」
 私は中途半端に口を開け、そのまま頬だけを吊り上げるという微妙な笑みを作ってしまった。そんな折、外から物々しい音を立てて兵士たちが入ってきたのだった。
「魔物だ! 魔物が町に入った! 全員、いますぐこの一帯から避難してくれ!」
「「!?」」
 みな驚愕し、隅のテーブルにいた魔道士たちもすぐ立ち上がる。
「魔物!? 町に入った、って…………あれ?」
 郵便屋さんが静かに、音も立てずにいなくなっていた。代金だけ残して消えてしまっていた。コーヒーはまだ半分ほど残されていた。
 魔道士たちと兵士が話してる。周囲を探せば、ちょうど郵便屋さんが小走りでドアから出て行くところだった。
「…………なに?」
 逃げた? それとも、まさか。