名も無き花

第2話

 渡り行列というものがある。それは、魔物だらけの世の中を安全に生きていくために考案された必然。
 町の外には魔物がうろついている。山も森も、自然界には魔物が生息しているのだ。人の住む町の周辺では積極的に討伐されることもあるが、それで魔物が完全にいなくなるわけではない。
 だから、町を出るには多大な危険が伴う。死と隣り合わせなのだ。それこそ、一人で町の外を歩くなどあってはならないことだ。腕の立つ人間と一緒でなければならない。出来うるなら、プロの魔道士に同行してもらうのが一番だ。
 でも、どんなに呼びかけても、死者はあとを絶たなかった。当然だろう、絶対の安全など無い。魔物は凶悪で、魔法は難しくて、人間は悲しいくらいに弱かった。けれど小さきものたる人間たちは、いつだってその知恵をもって工夫をこらし、妙案を考えだすのだ。
 それが渡り行列。毎週土曜の日の出くらいに街を出て、土曜日中に別の町へ渡る、大規模な行列なのだ。
 町レベルで人を集め、何人もの魔道士に厳重警備してもらい、みんなで助け合いながら別の町を目指す。そう、解決策は「人数」だったのだ。何百人規模で一緒に行動していれば、少々の魔物が襲ってきても数に物を言わせて身を守ることができる。魔道士たちだって護衛してくれる。例えば狼一体に対し、一人なら生存率は危ういが、狼一体に三百人で一斉に掛かれば決して負けることはない。なんて人間らしい、数を生かしたアイデアだろう。これで格段に死亡率は下がった。
 けれどまだまだ問題はある。例えば、町に侵入しようとする魔物。大体の町は高い塀で囲って外界と隔絶し、その上警備兵をつけて安全を保っている。けれど、その兵には必ず危険が伴う。みんなの町を守る最前線に立って、もし魔物が襲ってきたら、絶対に追い返さなくちゃいけないのだ。
 そして、あの酔っぱらい店長も、その重大な任務に準じて死亡したそうだ。
「……………………」
 西側の門の周辺には、かなりの数の人が集まっていた。その中心で、魔道士たちが生き残りの兵士から事情を聞いているらしかった。傷を負った兵士は、憔悴して泣き叫ぶように魔道士に訴えていた。
 絶望的な戦いだった。
 先輩が死んでしまった。
 体が水でできた化け物を相手に、先輩は一歩も引かず幾度も幾度も魔法を行使していた。
 化け物があまりにも巨大すぎた。
 先輩の決死の魔法も、化け物の体の一部分を凍らせるだけで、反撃を受けて先輩はやられてしまった。
 手傷を負った魔物はそのまま帰っていった。先輩が追い返したんだ。先輩がこの街を守ったんだ……。
 兵士は泣き崩れ、魔道士がその肩を支えていた。そのすぐそばに、布を掛けられた死体があったことに気付いて、目を逸らす。すると目が合った。金髪の美人さん。昨日の男前の郵便屋さんだった。
「やあ、こんにちは。大変なことになってしまったね」
 郵便屋の青年は、鎮痛そうに事態の渦中を見ていた。
「……厄介なものだ。町は安全かと思いきや、稀に外から襲い来る。きちんと警備しているとはいえ、たまに来られるととても警備がしにくいだろう」
 力なく、笑ってしまう。まるで店長のような難しい口ぶり。なんて顔に似合わないんだろう。
「……うちの上司なんだ」
 郵便屋さんは、くしゃりと申し訳なさそうに眉間に皺を寄せた。
「そうか――気が付かなくてすまない。キミの気も知らずに無思慮なことを」
「なんでさ。いいんだよ、仕方ない。町を守って戦って死んだんだ。私、部下としてあの人を誇りに思うよ。口うるさい酔っ払いだったけど、キメる時はキメる男なんだって最後に分かったから……」
 酔っ払うたび、部下たちの家を回るのだ。いまどき安月給のアイス屋台なんかやってるのは訳ありばかり。ひとりひとりの家を回って、別に込み入った話をするわけでもなく飽きたら帰る。独り身の私たちは、もしかするとあの酔っぱらいに少しだけ元気づけられていたのかもしれない。
 ああ、悔しいな。まるでなんだか良い人みたいじゃないか。死んだら良い人なんて笑えないにもほどがある。
「そんなに多系統を扱えたわけじゃないけど、強い魔法使いだったんだよ。年季ってやつかな。きっと一芸を極めてたんだと思う」
「ああ、俺も魔法を学ぶことにするよ。よく分かってしまった。剣だけで十分だと思っていたが、いざという時に使えるものは多くないとダメだ」
 郵便屋さんは、どこかへ行くのか踵を返してしまう。
「魔石を買ってくる。どこに売っているかな」
「大通りにいくらでもあるよ。安いのは、ピザ屋と肉屋の間にあるマリー道具店ってところかな。ご入用なの?」
 魔石っていうのは、そのまま魔法を封じ込めた宝石のことだ。かなり値の張るものだけど、値段以上に高威力で命を救うこともある。何より、魔法を使えないものでも一度きりの魔法を行使できる。旅には持って行きたい道具だ。
 郵便屋さんは、とても厳しい目をしていた。まるで門前での、店長たちの死闘を見通すかのように。
「巨大な液状の怪物らしい。剣では何もできない。……俺も、外を歩いている時に遭遇したら一巻の終わりだ」
 そう言い残して、郵便屋さんはそよ風のように去っていってしまった。颯爽としていて王子様みたいだった。魔石を買えるなんて、結構なお金持ちだ。

 ――――程なくして、“埋葬士”がやって来た。



 渡り行列は、この国で生きている人々の姿そのものだろう。一歩町の外は危険だらけ。だから身を寄せ合って、みんなで助け合いながら次の町を目指す。それに対し、“死んでしまった人々の姿”がこれだ。
「……………………」
 みな静かに見守っていた。布の下の店長の死体と、その前に立つ一人の男。目深にフードをかぶった、どこか宗教的な神妙な出で立ちだった。その手には大げさなくらいの装飾杖。誰とも会話せず、さっきから呪文のようなものを唱えながら儀式的な動作で幾度も祈りを重ねている。
 埋葬士。見た感じ動作が厳粛で、恐らく地元の、信のおけるベテラン埋葬士なのだろう。
「あ……」
 フードの奥の顔が一瞬見えて、知っている顔だと気付いた。髪の短い、気難しそうな男。以前、とあるお金持ちの婦人の埋葬に立ち会った際、話した事がある埋葬師だった。
 布の上、おそらくは店長の胸のあたりに、宝石をひとつ置いた。魔石だ。透き通った青水晶。埋葬士によって発動《トリガー》の魔力を篭められたそれは、すぐさま輝きだし、強く光ったかと思うと魔法陣を形成していた。
 店長の上で、国旗のように輝く。青い、複雑な文様を幾重にも折り重ねた、いっそ美しくさえある高度な術式だった。魔力の波濤、吹き上がる大気に周囲を青く照らす強い光。見物人たちの頬に青を照らしつけながら、しばし何かを浄化するように波打ち続けた。
「祈りを」
 終盤に差し掛かったのか、黒いローブの埋葬士が、みんなに向けて声を発した。みんな手を組んで祈りを捧げる。私も祈った。ただ一心に、みんなして縋るような必死さで、店長がキチンと天に召されることを。
 メル――。
 店長の声に呼ばれた気がして、色抜けた青空を見上げ、私は一瞬の空白に見舞われた。
「………………………………」
 誰もいない。ただ空を鳥が横切っていっただけだ。
「……無事完了した。ご協力感謝する。あとのことは、魔道士に――」
 青い魔法陣が、燃え尽きるように消滅する。埋葬士の仕事が完了したのだ。魔道士に引き継いだ埋葬師も、集った人々もみなざわざわと口々に話しながら解散したようだった。
 私はぼぅっと、魔道士が店長の死体を袋に収容するのを見ていた。そして不意に、私はこの街に来て、仕事がなくて困り果てていた時に店長に拾われた日のことを思い出したのだ。
「あ……」
 ……たばこ臭いおじさんが、私の命の恩人だと思えた。
「あ、あの――っ!」
 気が付けば魔道士に声を掛けていた。遺体が運び去られる寸前だった。紫コートの魔道士が、私の顔を見るなり怪訝そうな顔をする。
「何だ、どうした」
「その人、知り合いなんです。最後に顔を見ておこうかと思って……」
「ああ、そうか……」
 一生懸命戦って死んだのだ。せめて顔くらい目に焼き付けておいてあげてもいいと思った。多少、うなされることになっても構いはしない。
 しかし、魔道士たちの反応は煮え切らなかった。顔を見合わせて気まずそうにしている。
「……顔、見ちゃいけませんか」
「いや、いけないというわけではないんだが……しかし、」
 何なんだろう。それほどまでに苦しそうな顔なんだろうか。少しだけ決心が揺らぎそうになった時、頷きあった魔道士が私に耳を寄せるように合図してきた。
「……はい?」
「いいから、耳。耳を」
 しきりに周囲を気にしながら、言ってくる。何なんだろう。訳も分からず私は耳を寄せた。
「すまない、被害者の身内なのに。とても、言いにくいのだが……」
 布で隠された店長のご遺体に目を向けながら、魔道士が耳打ちしてきた。そういえば、店長はこんなに小柄だったろうか。もしかして人違いなんじゃないかと逡巡した瞬間、
「首がないんだ」



 自室のベッドでぼうっとしていた。まだ昼間だっていうのに、何もする気が湧かなかった。
 ただただ、この世界の残酷さを思い返す。現実は不条理だ。身一つで町の外を歩く馬鹿娘は死ななくて、鎧着て町にいた店長が死んでしまったっていうんだから。
「…………葬儀どうするんだろ……」
 店長は身寄りがなかったはずだ。一応既婚者で娘が一人いたって聞いた気がするけど、とっくに別れてもう消息も分からないとも聞いた。
 それにしても、首がない? 胃がキュッと縮んで痛んだ。魔物ってやつはどこまで最低なんだろう。昨日はタバコすってた店長の顔を食いちぎって、腹の中で溶かしやがったんだろうか。なんでわざわざ、死者の最後の尊厳とも言うべき顔を、よりにもよって顔を奪ったんだろう。
 あんまりにもいたたまれない。あんまりにも惨い。一体、あの人が何をしたというんだろう。あまりの理不尽さに世界がグラグラ揺れてるような気さえした。
 私の微熱を冷まさせるように、ドアがノックされる。誰? 面倒だ。このまま居留守でもしていよう。そんな私の無気力を、ドアの向こうの女の声が遮った。
「メル、いるんでしょう。開けて。店長のことで、みんな店に集まっているわ」
「…………はぁ」
 観念して体を起こす。同じアイス屋台の同僚の声だった。



 お淑やかな同僚に連れられ、白日の下を歩いた。何を話したのかまるで覚えていない。
 倉庫前はにわかに騒がしかった。滅多に集まることのない同僚たちが、川辺で拾い集めた石のようにまったく不揃いな顔を並べていた。
 似ている顔などひとつもない。誰も彼も訳ありで、本当に人種からして違う気がした。私に気づくなり、みんな駆け寄ってくる。
「メルちゃん、店長が……」
「知ってる。私、埋葬士が来た時その場にいたから」
「そう……」
 それきり、誰も何も言えなくなる。仕方ないだろう。誰かが死んだ時に何かを出来る人間なんて少ない。そして私たちは、経営者を失った烏合の衆だ。
「……アイス売り……どうなっちゃうんだろう」
 それは私も疑問だった。私たちは、みんなして路頭に迷うんだろうか。
「それで……店長の、葬儀のことなんだけど」
「葬儀?」
 古参が語り出した内容に、比較的まだ新しかった子が疑問符を浮かべた。古参のほうは、私の次くらいに入ってきて、一時期店長に気があるのではないかという噂もあった子だった。
「ほら、店長って身寄りがないじゃない? だから誰も葬儀をやってくれる人がいないの」
 私は口を閉じて黙っている。なんとなく、明るい顔をしたその子が何を言わんとしているか理解してしまったからだ。
「だからね。みんなでお金を出しあって、店長の葬儀をしないかな、って」
 みんな黙った。曇った顔を見合わせている。それは地雷だ。アイス売りなんかをやっている私たちに、そんな余裕が有るはずないのだ。
「えっと……ごめん、その。お金が惜しいってわけじゃないんだけど……」
 一人、いつもは大声を上げて話す明るい子が、今日に限っては周囲の顔を伺いながらおずおずと手を上げた。
「葬儀って、いくらくらい掛かるもん、なの、かな……」
 私は知っている。あの子は、旦那の借金があって本当にお金に困っているのだ。
 彼女だけじゃない。みんな、それぞれ自分の生活があるのだ。誰も余裕なんてない。お世話になった店長の葬儀をやって、そのためにその分の借金を背負ってしまうような生活状況なのだ。そもそも、店長がいなくなってしまった今、明日からの仕事もどうなってしまうか分からない。
 みんな重苦しい顔をした。言い出した子は、周囲の様子に悲しそうな、申し訳無さそうな顔をしている。みんな気持ちは分かるのだ。葬儀をしてあげようという気持ちも、生活が苦しいという気持ちも分かる。
「はぁ……」
 思わずため息が漏れてしまって、何人かに見られる。私たちはなんて情けないのだろう。ここにいるほとんどが、たったのひとつしか魔法を使えない。それも大したスキルじゃない。身寄りも学力もなくて、本当に無力なのだ。
 無力な人間に、世界は非情だ。だから誰かが言わなければならない。
「結構な大金よ。そんなの、出し合ってまかなえるもんじゃない」
「え……っ?」
 私が前に出て、突きつける。葬儀をしようと言い出した子が、傷ついたように私を見た。
「みんな自分の生活がある。そんな大金払えないでしょう。あなただって、そうなんじゃない?」
「メル……!」
 止めようとする者を、手で制する。別に私だって文句が言いたいんじゃない。
 すう、と大きく息を吸い込む。
「――――店の資産があるでしょう。それはお店のものなんだから、店長の葬儀くらい使ってもいいんじゃない?」
「あ……っ」
 皆が目を見開いた。言い出しっぺの子に安心させるように笑いかける。
「無理しないで。あなただって、そんな裕福じゃないでしょう?」
 生活が苦しいのは皆同じだ。本当にみんな同じなんだ。思えば、私達はみんなあの酔っぱらいに養われていたようなもんなのかも知れない。
「残ったお金でお店のこれからを考えましょう。誰か、異論はある?」
「ないよ。それでいこう」
「お店の資産で、お世話になった店長の葬儀を」
 みな少しだけ元気を取り戻していた。壊れかけた信頼が守られ、繋ぎ直されたように思えた。
 地獄の底でも、喧嘩はしたくないものだ。