名も無き花

第1話

 愛嬌には自信がある。この街に来て唯一学んだことと言えよう。
「いらっしゃいませー!」
 私の声は、真昼の広場によく響く。魔法使いアンジェリカ像が中央に設置された、魔道士連盟設立の市民公園だった。けっこうなお金が掛かっているらしく、ベンチは変わったデザインだし、タイルは様々な絵を描いているし、よく分からないアートもちらほら設置されてるしなかなか広い。暇な人たちが行き交う。風景が美しいからここはいつでもちょっとしたお祭りみたいなものだ。そんなオシャレな公園隅で、アイスクリームの屋台なんかやってるのがこの私だった。
 メル・ラヴリル。ありがちな茶の髪を肩より少し上で切った髪型。仕事中はバンダナを付け、お店の制服を着てアイス売っている。容姿的には、我ながら特徴の薄い人物と言えよう。もしかすると地味かも。何年か前に、とある辺鄙な田舎から、一念発起して単身出てきた元・田舎者だ。
 あの無茶な一人旅を乗り越え、今ではこうして、街の隅っこにこっそり紛れ込んで生活している。
 今日はまだ売上が芳しくない。頑張らないとまた怒られるだろう。頭をカラにして声を上げていたら、鎧を身につけた男性の二人組がアイスを買ってくれた。たぶん賞金稼ぎか用心棒とかその辺なのだろう。
「お嬢さん可愛いね、何歳? これから一緒に遊びに行かない?」
「えっ!?」
 私は目を輝かせた。出会いだ。オトコだ。この時代、鎧を纏ってるような職業の人間はけっこう高給なことが多い。格好だけのハズレもかなりいるけど今は考えないことにする。
 私は殿方たちを見上げ、精一杯可愛い声を絞り出して媚びを売る。
       ・・・・
「はいっ、今年二十七歳です!」
「――――」
 途端に、漂白される二人の表情。幽霊でも見たようだった。
「へー、そっ、か……年上、か……なんか意外だな」
「た、確かにな。とてもそうは見えねーよ。お姉さんすごいっすね。十七くらいかと思いましたよ。じゃ。」
「ありがとうございましたーっ!」
 ぷるぷる震える眉間を理性のみで押さえつけ、お客様共を無事・お見送りすることができたのだった。
「…………ちっ。」
 一人、影で本音を漏らす。まったくストレスだ。年上の何が悪いというんだろう、この恵まれすぎた都会の街は。



 都会に出てまず始めに理解したことは、自力で生活していくのは大変だということだった。
「ただいま……」
 ドアを開け、くたびれきっていた私はすぐさま硬いベッドに倒れこむ。もうじき日が沈む。アイスの売り子なんて言ったって実は結構な重労働だ。安宿の窓から、赤色に染まった空の彩度をぼうっと眺める。
 この街へ来て何年が過ぎただろう。あの日、手持ちの水がなくなって干からびそうになりながらこの街へ辿り着いた時、ちょうど年末の冬祭りをやっていてとても騒がしかったのを覚えてる。
 視界を埋める人の姿に、たくさんの出店、都会はいつでも毎日こんな風なのだと思い込んで目を輝かせた。目に映る何もかもが新鮮だった。見たこともないようなオシャレな服を着た女の子たちも、腕利きの魔道士によって制御されたとても複雑な花火も。空高く、炎を操って竜を再現してるのを見た時は倒れそうになったものだ。
 ベッドに体を押し付けたまま、指先で風を躍らせる。氷のように冷たい風。私が持っている唯一の技能。女の独り身で村の外を旅しても平気だった秘密の正体だ。もっとも、こんなものは日々の生活ではアイスを売るくらいしか役立たないのだけれど。
「はぁ……疲れた」
 気分が滅入っていて、枕を頭の上にかぶって顔を押し付ける。時は魔法全盛期、ほんとうに魔法って夢がある。それに引き換え、まったく夢のない暮らしを送っている私は何なのだろう。
 なんてことはない、よくある話。田舎で畑仕事しかして来なかった私は、技能や学歴、職歴がまるでなかったのだ。何の技能も持たない人間にできるのは接客くらいなもんだろう。それプラス、あの田舎を出るためにこっそり鍛えたただ一系統の魔法による職業適性。要約すると、今もらっている薄っぺらい給金が、私という田舎者に付けられた価値だということ。
 本当につらい。まったく足りない。最低限の暮らしを送って、休日になってもろくに遊びにも行かずじっとしているだけだ。こんなはずじゃなかったのに――――なんて言葉さえありきたりな、本当にどこにでもある無知な若者の末路だった。
 友達さえいない、一人ぼっちの毎日。最近昔の夢ばかり見る。田舎においてきたあの幼馴染のボンクラ、ぼうっとしてたし無神経だったけど、優しいところだけはよかったな……。
「ん……」
 カクンと寝落ちしそうになって、目についた。枕元に放っておいた新聞の見出し。暗黒時代到来。騎士無き後、ますます苛烈になる戦場の殲滅魔法の撃ち合いについて。
 騎士団が解散してもう数年になる。王に仕える騎士像という理想が崩れ去り、時代は魔道士連盟が犯罪者を取り締まり、魔法が人々の生活を支える魔法全盛時代と言っても過言ではないだろう。
 朝方、まずベッドから起き出してすることは、赤い魔石を打ち合わせて暖炉に火を灯すこと。火というのは偉大な発明だ。そして、こんな根幹まで魔法は人々の暮らしに根付いている。
 より効率的に、より高威力に。ますます発展していく魔法技術だったが、裏を返すように負の面もあった。威力が上がりすぎたことによる危険性だ。特に、戦争なんかはだんだんと苛烈になって来ているらしい。一人で行使する魔法などたかが知れているが、集団の祈りを集めて行使する儀式や大魔法の類は、ものによっては一瞬で都市を消滅させ得る可能性さえあるそうだ。
 そんなスケールの大きい話とは別世界のように、小さく縮こまった私という人間がいる。
「………………ばんごはん……」
 どうしよう。作るのが億劫だ。こんな時、器用で気の利く婿《ヨメ》なんかがいてくれれば、本当に助かるっていうのに。
「あー……うー」
 ベッドの上で悶え、猫のように唸る。本当に嫌だ。人生がつまらない。ちゃんと保証のある仕事に就きたい。いっそ今から魔法の勉強でもしようかと思いきや、実は育ちの悪すぎる私、難しい言葉が読めないほど学力がないのだ。
 識字率というらしい。田舎者でも字が読めるかどうかという指数。ごく地方民たる私は、その境界線のギリギリに生まれてしまっていたのだ。
 この街のキラキラした女の子たちを見ていると、本当に人生っていうのは不平等だと感じる。ひとしきり悶え、頭をかきむしって疲れ果て、またしても私は頭をカラにするのだった。
「……よし。オムライス作ろう」
 我ながら馬鹿っぽい。つまらない女の一人暮らし。化粧を落とすのも億劫で、そのままフライパンに卵を落とした所でドアがノックされるのだった。なんてタイミングだろう。せっかく火の付きにくい安物魔石でうまく火をつけたばかりだっていうのに。
「…………はい?」
 渋々顔を出すと、この安宿の大家のオバサンがニコニコしていて、とうとう追い出されるのかと不安になった。
「メルちゃん、メルちゃん」
「……なんです?」
「男前さまよ」
「はぁ」
 意味がわからなかったが、男前さまらしい。オバサンに呼ばれて顔を見せたのは、確かに男前さまだったけど、少しだけ伸ばしたサラッサラの金髪が何だか女の子みたいでどうかと思った。そのくせ旅慣れたロングコートなんか着ているのも、腰にご大層で時代遅れなロングソードなんか携えているのもなんだか変な感じだった。どうみたって、兵士と言うよりはスポーツマンみたいな爽やかさなのに。
 その青年はやはり、見た目通りの爽やかさでにこりと笑った。
「失礼。個人経営の郵便屋なんだ。手紙を預かってきた」
「……手紙?」
 この危険なご時世に、個人の郵便屋なんて聞いたこともない。街を一歩出ればおかしな生き物が襲ってくるのだ。一人で出歩くのなんて余程の馬鹿か田舎者だけだ。
 困惑する。女の子みたいな優男のくせに、この爽やかさんは何を言っているのだろう。
「メル・ラヴリルさん宛に。なかなか苦労したよ。やはり、住所登録のない人に届けるのが難儀だな」
 それはどうも。低収入の安宿暮らしだから仕方ない。
「――とても重要な知らせのようだ。なるべく早く開封してくれ。では」
 自称郵便屋は、綺麗な真白い封筒を押し付けてとっとと去っていってしまった。
「うふふ。男前さまねぇ、うふふ」
 オバサンは嬉しそうにそう繰り返して、郵便屋さんを追いかけていった。取り残されて一人きりになる。
「……何なんだろう」
 気になってその場で封筒を開けようとしたら、またしてもタイミング悪く来訪者が現れるのだった。
「おーぅメル、元気してっかぁ」
 くたびれた親父。トレンチコートが似合いすぎている、擦り切れた麻布のような中年男がやってきた。くわえタバコに瓶ビール。私は頬をひきつらせた。
「来たよ酔っぱらい。帰れ」
「まぁそう言うなって、お前も飲むか? ん?」
 そう言って、飲み差しの瓶ビールをこちらに向けられる。最低だ。半径二メートル以内に近寄らないでほしい。
「で、何だよ。なんか、若い男が降りていったじゃねーの。いよいよ春か? ん?」
 面倒くさい。本当に帰って欲しい。酒臭くてたまらないのだ。
「郵便屋だって。私にもよく分からない」
「郵便屋だぁ? ハハッ、馬鹿言ってんじゃねぇ。このご時世に何寝ボケたこと言ってやがる。手紙なんぞお前、郵便局が勝手に届けるだろうが」
 などと宣いながら、勝手にどしりと腰を下ろすオッサン。実は、アイス屋の店長だ。私がいつもいつもアイスの売上を叱られている相手でもある。
「週に一度の“渡り行列”。言うまでもねぇ、魔物被害に遭わないように集団で行き来する土曜の列だ。警備も付くし、魔道士だって護衛してくれる。当然、その列の中には郵便局だって参加してる。手紙を届けるのが郵便局の仕事だからな」
 オッサンは、ぐびぐび酒をやりながら、人ん家の前で勝手に飲んだくれて勝手に講釈たれてる。耳をふさいで縮こまりたい。うるさい、うるさい。
「なのに、何だ。さっきの潜りクセェ男が郵便屋だってな、どういうこった。まさか“渡り行列”に合わせもせず、土曜以外に勝手に町を行き来してるってぇのか。冗談だろう。あんな優男が、たかが他人様の手紙を届けるために?」
「あああもう、るっさい! 知るか! 帰れよ酔っぱらい!」
 私は小娘のように地団駄踏んだ。じろりとオッサンが睨み上げてくる。
「帰れとは何だ、ご挨拶だなてめぇ。雇い主に向かってなんだその口の聞き方は」
「雇い主だろうが何だろうが、酔っぱらいは等しく迷惑だっての」
「ハッそのとおりだクソッタレめ。だがな、勘違いすんじゃねぇぞ。てめぇ、俺が酔っ払ってたら何言っても覚えてねぇ雑に扱っても問題ねぇと思ってるだろう」
 その通りである。いかな説教臭いオッサン相手でも、酔っ払ってる時は何言ってもいいのだ。
「ったく……いい加減、酔うと店員の家回るくせ、直した方がいいですよ」
「やなこった。いいじゃねぇか別に。それよりおい、酒がぬるくなった。冷やしてくれ」
「自分でやればいいでしょう。私よりよっぽどベテランなんだから」
 私の魔法なんて、所詮は素人の隠し芸だ。私自身は必死に学んだつもりだったけど、それでもこのくたびれ中年にまったく及ばないというのは悔しかった。
「悪いが、明日は朝から副業なんだ。浪費はできん」
「ああ、塀の守兵でしたっけ。町に入ろうとする魔物はぜんぶ倒すか追い返すかするんですよね。あれって儲かるんですか?」
「ここだけの話、アイス売りなんぞやめてもいいんじゃねぇかって程度には儲かるな」
「へぇ」
 そうなんだ。それは知らなかった。気勢を削がれてしまった私に、店長は皮肉そうに笑った。
「生憎様、衛兵は命がけなんでね。高くなけりゃやっとれん。世の中の給料ってのはな、この世の中に対する重要度で決まるように出来てんのさ。」
 そうなのか。でも、確かに私のアイス売りは誰も救わないし、お金にもならない。不服な私を見かねてか、オッサンはつまらないことを言って来た。
「お前もやるか、兵士。アイス売りよりは似合ってんじゃねぇのか」
「冗談でしょう。初給料もらう前に死んじゃいますよ」
「よく言うぜこの、放浪娘が。田舎から一人で出てきたとんでもねぇ命知らずだろうがお前。まったく、女が一人で町の外歩くなんてな、自殺行為もいい所だぞ」
「そうですね。私もそう思いますよ」
 今となっては、私は本当に無謀だった。頼りない基礎魔法一つだけで外を旅するなんて馬鹿げてる。魔物の餌になるのが当然なのだ。
「知ってるか。お前みたいな馬鹿の出入りを規制するために、帝都の方では一人で町を出るのを資格免許制にするか否かってんで会議になってるらしい」
「ああ、新聞に載ってましたね。抜け道はいくらでもあるんで、無駄だと思いますけどね」
 一人が無理なら、二人で町を出てから解散すればいい。もしくは渡り行列の時だって一人で離れてしまえば同じだし、深夜に衛兵の監視をかいくぐって抜け出すのが簡単だろう。「おう、悪い顔してんなお前。やめとけよ。最近、近くの山を変な魔物がうろついてるって噂だ」
 オッサンは新しいタバコに火をつけ、大きく煙を吐き出した。
「……変な魔物?」
「かなりやべぇな。魔道士共もザワついてやがる。なんでも、そいつは魔物に殺された人間たちの怨念で、出会ったら生きたまま魔物に変えられちまう呪いを掛けられるそうだ」
「呪い……?」
 ぶるりと震えた。何それ、トカゲとかスライムにされるってこと? 最悪じゃないか。
「そういう魔法なんだろう。まったく、魔物共が使う魔法は訳が分からん。いや、魔法なんて上等なもんじゃねぇのかも知れねぇが……」
 酔っぱらいの目が、真剣みを帯びて狼のようになってる。この男も魔法使いなのだ。
「よく分かりません」
「単純な魔力の照射に、意志の力が乗ってるのかもな。要するに悪意だ。魔力で力を持たせた悪意。術式でなく感情で直接現実に干渉するわけだ。広域結界と術式の組み合わせで作る、俺たちの積み木みてぇな魔法とは、根底から違うのかも知れねぇ」
 だからよく分からないってのに。そういったカルト宗教的な魔法理論は正直、苦手だった。何より学がないのだ。聞いててもつまらない。
「…………もう寝てもいいすか」
「おう邪魔したな。ところでお前、どうすんだ、これから」
「これから? 酔っぱらい追い返して寝るだけですよ」
「いいや、将来のこととかだよ。つっても二十七じゃもう将来ってほど先のことじゃねぇが――何だ、そろそろ畑ばっかの田舎へ帰る準備でも」
 思い切りドアを閉めてやった。



 疲れきっていた私は、お風呂へ入り、机の上に置いておいた封筒を開封するのも忘れてそのまま眠ってしまった。たぶん酔っぱらいのせいなんだろう。
 そして翌朝、事件が起こった。朝十時頃にドアが叩かれたのだ。無視しきれなくて目を開ければ、ダンダンと部屋に響いている。部屋の大気は冷えきっていた。
「……何。誰?」
 眠い目こすってカギを開けると、そこに大家のオバサンが立っていて、いつになく真剣な顔をしていてびっくりした。
「お、オバサン? どうしたんですかそんな息切らして」
「メルちゃん、大変よ! 店長さんが……!」
「店長? あの酔っぱらいが何か――」
 塀を守ってた店長が、魔物に襲われて死んだらしい。