生徒会長 08/14
back | top | next
「おやっすアオイ先輩」
相も変わらず事務仕事。
PCにカタカタ打ち込んでいた所に、あり得ない方向から声を掛けられた。
「……黒川。何してるの? そんなところで」
開けっ放しの窓の向こうで、逆さまになった金髪が力無く笑っているのだった。
全身動けないようにロープが巻かれている。
「いやー、なんと彼女に屋上から吊されまして。覗いた先が偶然生徒会室」
「微妙な幸運」
「ところで聞きたかったんですが、昨日俺が貸した血糊付き防刃チョッキ。一体何に使っ
たんです? 文化祭用の映画撮影なら、是非俺も手伝いたいな〜なんて、ははっ」
「…………」
私は黙って黒川をみつめた。
「あれ……えぇ〜? 何もそんなキツイ目ぇして睨まなくても……」
「キツい目で悪かったわね。寝不足なのよこっちは」
立て肘をつく。
とうとう面倒になって、私は事務を放棄した。コーヒー片手に窓に歩み寄る。
「しかし黒川。あんたって、本当に御利益のあるラッキーボーイだったのね。次の正月に
はお賽銭投げてあげなくもないわよ」
「話がサッパリ見えんのですが……と、そうだ先輩。助けて下さい」
「あ、おはようございます先輩ー」
がららとドアを開け、ちとせが入ってきた。私は黒川に背を向ける。
「おはよう。頭痛残ったりしなかった?」
「はい、それなりに頑丈ですから。先輩の方こそ大丈夫でしたか」
「見ての通り」
背後から声が聞こえる。無視する。
「……でも、ほんと恐いっすよねー。回避しようがないんですもん」
「仕方ないわよ。昨日今日作られた新居じゃあるまいし、校舎なんてそんなものよ」
「やはは……耐震とか大丈夫なんでしょうかこの学校。ちょい心配になります。なにせあ
の調理室——」
私は静かに目を伏せる。
「唐突にガス漏れするんですもんね」
初夏の空気は、ぬかるんでいた。
「ま、処理は私の方で終わらせたから。これで調理室の悪霊も退散ね」
気楽に笑ってティーカップを傾ける。
秘めた内心はまったく気楽ではなかったが。
「おはようアオイ、ちとせちゃん。悪霊さんはどうだった?」
「どうもこうもないわよ。大変だった」
「おはようございますユウカ先輩。あのですねー、なんとですねー」
「えー……そろそろ誰か、誰でもいいから助けて欲しいな〜なんて、ハハ……血が。脳に
たくさん血液が」
しつこいな。
机にティーカップを置いて言ってやる。
「浮気するから悪いんじゃない」
「うぐぅ……授業中に女子と目が合っただけですぅ……」
相変わらず受難続きな天才児だった。
談笑しているユウカとちとせの姿を確認して、私は静かに思い返した。
夜の調理室。
刺された私。
意識を痺れさせる不吉な空気と、首がなかった調理室の悪霊。
——そう、不覚にも悲願が叶ってしまったのだ。
10年も経ってから思い返せば面白いだろうが、生憎と出会ってまだ1夜。明確すぎる
非常識を前にして、私に出来るのは、『ガス漏れだった』なんてウソで誤魔化すことだけ
だった。
+
1人、屋上で黄昏れる。
青い眩しい空の下、生乾きのボロ布を乾かしながら。
「………」
へりに凭れながら観察する。
血糊の溢れた防刃チョッキ。
容赦なく裂けている。
運が悪ければ——というより、事前に奇跡を味方に付けていなければ、まず間違いなく
致命傷だったろう。
私は、刺されたのだ。人間じゃない。紛れもなく本物の何かに、あの時。
「……ふん」
苛立たしく眉間に皺を寄せる。
調理室の悪霊は実在した。結構なことだ。私の常識を打ち崩してくれたことには感謝し
てやってもいい。
だが気に入らない。
私は何も出来なかった。
負けた?
手も足も出せず、一方的に無惨に無様に滑稽に、日向アオイは完全敗北してしまったっ
ていうのか?
「…………つ」
胸の芯に染みる悪寒。
あの容赦なさ。何度も何度も執拗に、私の心蔵を突き破ろうとしていたダレカ。病的に。
狂ったように。執念さえ感じた。
あいつに、私は、恐怖している?
「ふざけるな……冗談じゃない」
防刃チョッキを握りしめた。
そう、私はいまここに生きて呼吸している。引き分けだ。まだ負けてない。
立ち上がれ私。
物理でも理論でも魔法でも構わない。やられた分はやり返し、必ず薙ぎ倒して乗り越え
る。
私の名前は日向アオイ。
県立赤木高校を支配する生徒会長なのだから。
+
「はれ? アオイ先輩、どこ行くんれふかー? もぐむしゃ」
生徒会室。
突然立ち上がった私にちとせが顔を上げた。ちとせはさっきからずっとアンパンを囓っ
ていた。抱えた重そうな紙袋から察するに、たぶんいっぱい。
「あ、これはれふねーもしゃもしゃ。今朝空腹で倒れた場所がたまたまパン屋さんの目の
前でして、親切なお姉さんが『売れ残り品だけど、よかったらたくさん食べてね』って言
ってホントいっぱいくれたんです。マジありがてぇです」
「……前々から聞きたかったんだけど。あんたの家、もしかして家計が苦しい派?」
「いえいえ、家計のせいではないんです。お父さんもお母さんも決して悪くないんです本
当。ただわたし、ちょーっとばかし燃費が悪くて」
なるほど。ちとせのガソリンは武力に比例するのか。
「で、先輩はどこ行くんれふかー? むしゃもぐ」
「事後処理。調理室のね」
「ああ、にゃるほど。お疲れ様れふーむぐもぐ」
食っても太らない少女を遮るように、私は生徒会室の扉を閉めた。
「………」
少し、罪悪感があった。
私はちとせに嘘をついている。
ちとせとユウカに黙ってアイツを倒そうとしている。
「……我ながら、猪突猛進もいいとこね」
でも、出来れば2人を巻き込みたくない。
私はまっすぐ歩き出す。
迷いひとつ顔に出さず、まっすぐに。
back | top | next
|