生徒会長 07/14
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「————」
ふっと目を開ける。
視界は真っ暗闇だった。静寂の黒。溶けたような空気の生徒会室。
誰もいない。物音も遠い。
ソファから身を起こし、ひとつ欠伸なぞ嗜んでみる。
掛け時計を見上げると午後8時。きっかり予定通りに目を覚ませるというのを私の特技
一覧に加えていいかも知れない。
さて放課後である。
夜の生徒会室。
居残った理由はもちろん調理室の悪霊の件だ。とりあえずもう1度調査をしてみようと
いう流れ。
ちとせは帰ったか。待ってろと言っておいたのに。
「ふぁ……」
気怠い身体を起こしてドアに向かう。
手を掛けようとした瞬間、ひとりでに開いた。
「…………」
「…………」
一瞬怪現象を疑う私の目の前で、ちとせの両目がぱちくりしているのだった。
+
ちとせは私服姿だった。一度家に帰ってから忍び込んだらしい。
「ところでちとせ。あんた霊感とかあるの?」
「ほえ? なんれふかー?」
夜の廊下を歩く横顔。
もしゃもしゃとなんか食っている。……鉄板焼き?
「霊感あるのかって聞いてんのよ。ユーレイ。視える人なの?」
「あ、これ今日校門前に屋台来て売ってたんですよ。今月マジお金ねーですって言ったら
おじさんが残り物どうぞーって。ホントありがたいっす。アオイ先輩もおひとつどうぞ〜」
「…………」
ガサゴソと紙袋からひとつ取り出し、私の右手に押しつけた。
半眼で見返す。
「えーとれふね、霊感? ありまふよ。バリバリれふーもぎゅむぎゅ」
そりゃそうか、こいつに聞いたのが間違いだった。
「……って、え? 本当に?」
「もぎゅむぎゅ、ごっくん。マージマジっすよー。これでも視力はいい方なので。2キロ
先のお岩さんでもばっち来い来いです」
アフリカ人か。
「あ、そういえばれふねーむぎゅもぎゅ。最近よく見かけますよ、学校の中で。ルーズソ
ックスの似合うすっごい可愛いユーレイさん、なんかふつーに歩いてまふごっきゅん」
並んで歩きながら、私は恐る恐る訊ねた。
「悪霊?」
「いえいえ。あの子はどっちかってーと、いわゆる守護霊? の類なのではないかと小一
時間」
問い詰めてどうする。
「ま。なんにせよ深くは関わらない方針なので。この話はここまででお願いしますぺこり」
足を止めて頭を下げてきた。
右を見ると調理室。
「…………」
鍵はユウカが開けておいてくれた。
ドアの向こうには、もちろん人の気配なんてカケラもないが。目的地を前にして項垂れ
る。急に疲れてきた。
「あれ、先輩? 入らないんですか?」
一体私は、何をやっているんだろう。こんな夜の校舎に居残ってまで。
ちとせはユーレイが視えるという。
しかしながら私は実際、その話に関しても半信半疑でしか受け止めていないのだ。
信じる信じないは別として、『いて欲しい』と願うこと。
「……はぁ」
がららとドアを開け放つ。
ようやく理解した。
本心では、これっぽっちもユーレイなんて信じちゃいなかったんだ。私は。
真っ暗な調理室の真ん中までつかつか歩く。
オカルトは酸化する。
ほら見ろ、やっぱり何もいやしない——
「ひ——ぅ」
「え?」
唐突に。
背後のちとせが声を上げた。
振り返ると何故か倒れかかってきた。咄嗟に支える。
「ちょっと、ちとせ? 何よ、あんた貧血持ちだった?」
顔が青ざめている。
掴み返してくる両手も心なしか震えている。
見上げてくる蒼白な顔が、それでもかすかに笑顔を繕って、私に警告した。
「アオイ先輩、逃げて下さい」
それっきり。
力が抜けて、ちとせは意識を失った。
「…………………………、え?」
なんだこれは。
逃げろ?
え、ちょっと待ちなさいよあんた。は? なにそれドッキリ?
「…………あれ」
耳鳴りがする。
頭の中に遠い音がガンガン響いてくる。
視界が揺れてバランスを失い、私はちとせを支えたまま尻餅をついてしまった。
思考する。
まるで急激にアルコールを摂取したみたいな。ありえない。額に手を当てるが意識はハ
ッキリしない。
真っ暗な、カーテンさえ閉ざされた調理室で。
「————」
不幸にも。
背中に刺さる感触に、気付いてしまった。
「………」
消えそうになる意識を繋ぎ止め、なんとか踏みとどまって集中する。
私は背中に受ける視線から感情が掬い取れるのだ。
頭に浮かぶイメージはどぶ川のヘドロ。
べったりと張り付く粘着質な腐臭。
あり得ない。誰だ。吐き気がする。ここまで悪意にまみれた視線、いままで1度だって
受けたことがない。
欲情にも似た憎悪と底のない怨嗟がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、魔法使いの鍋よりボ
コボコ煮立っている。
背後に、いる。
「う……」
ふらりと崩れそうになった。椅子に手をついて支える。
振り返るべきか否かを思案して、私はちとせに進言された第三の選択肢を迷わずむしり
取った。
「く——あああああああああああああああっっ!」
振り返りざまに掴んでいた椅子を投げつける。破砕音。
即座にちとせを肩に担ぐ。机に飛び乗り、ウサギのように調理室を跳んで廊下側の窓に
肩から突っ込む——!
「つ!」
破砕音。舞い散るガラスと一緒に調理室から吐き出され、膝を切られながら立ち上がる。
——暗闇の調理室を振り返ると。
あり得ないシルエット。頭部の足りない人間が、じっと、まっすぐに私を睨み据えてい
た。
「うそ……」
百足のように這い上がる。
凍り付く。背筋が。壊れた窓を挟んで対峙する。
ない。
確かに本当に絶対にない。首から上が存在しない。いや、あった。ヤツは左手に持って
いた。髪を掴まれ。口の中に出刃包丁を突っ込まれた顔。入りきるはずがない。口腔を犯
されるようにムリヤリ金物を突っ込まれて苦しげに口を開かされたまま死んでいる。目は
虚ろ。光なんてない悲しげな死に顔。血だらけ。傷だらけぐしゃぐしゃ。1本残らず抜歯
された生首の口から生えた刃の取っ手。長い黒髪に怖気が走る。
他 で も な い 日 向 ア オ イ の 生 首 を 携 え て 、 そ い つ は そ こ に 実
在 し て い た ——
『きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!!!!!』
頭の中にガンガン響く。鼓膜を引き裂く感触が頭に。
「うぐ……!」
意識が壊される。メリメリ裂かれて引き剥がされていく。
視界が明滅。
耳に刺さる笑い声は確かにヤツが厚い胸板を震わせ反響させた音だ、だっていうのにヤ
ツには口も喉もないから代わりに住処の校舎全体が声を発する。
「!?」
顔が近い。私の死に顔が目の前に。
「ううっ!」
咄嗟に伏せた私の頭上を、荒々しい突風が駆け抜ける。
豪速で振るわれた出刃包丁。いつのまに接近していたのか、なんて冷静に分析するより
早く私は夜の廊下を駆け出した。
「ちとせのバカ——重いってのよ!」
追い縋ってくる気配がある。
階段を飛ぶように上がりきり、永遠にも思える廊下を駆けて生徒会室のドアを蹴り開け
る。
駆け込んで掃除用具のロッカーを開け、真新しい木刀を取り出す。代わりにちとせを投
げ込んでロックした。
振り返る。その瞬間に、私の木刀は叩き折られた。
「ひあっ!?」
ああ、我ながら似合わない悲鳴だ。誰かに聞かれたら、無敵の生徒会長なんてキャラク
ターは無惨に崩れ去るだろう。知ってる。仕方ない。右京左京がいない日向アオイなんて、
どうせちっとも無敵なんかじゃない。
そんな風に弱音を吐くくらい、私は追いつめられていた。
壁際に。
折られた木刀を握ったまま追いつめられる。
大きな男の威圧感。
見上げた顔はやはり無い。首の根本からばっさりと切断されているらしい。
右手に包丁、左手に生首。痛々しい死に顔の私の未来。そいつはまた校舎中に響く笑い
声で喜んだ。
『きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!!!!!』
無邪気な子供のように、執拗にぐさぐさと私の死に顔を突き刺す。
眼球が零れる。
私の手が嘘みたいに震えた。
確定してるっていうのか。私の死が。あの生首が未来から取り寄せた私のこの顔だって
いうのか。
どん、と背中が窓ガラスにぶつかる。
「あぐ——っ」
そんなことに気を取られたのが、人生最大にして最後の失態だった。
「………………か……ふ?」
くの字に折れる。
胸に深々と突き立っている。
じわりと滲む血液が警告する。痛みはない。唐突すぎて鋭利な感触しかなかった。手を
掴み返す。冷たい。死体のように冷えているのは、そいつか私か。
「ぎ……ぐ…………ぁ」
熱を帯びていく私の傷口。乱暴に引き抜かれ、掻き回されたような気がした。
そこで意識は破綻する。
バチン
ヤツを取り巻く空気はおかしい。攻撃的な意志を持って窒息させるんだ。ぴりぴりと焼
け付く怨嗟の波が、常にヤツの全身から発せられているんだ。
膝を屈する。
歯を食いしばり、投げつける。
実際はチェンジアップ以下のぬるい暴投だった。
折れた木刀がすり抜けるように躱されて生徒会室の床にぶつかる。
「…………」
声も上げられずに倒れていく。
左手が机に引っ掛かり、書類を派手にばらまいた。
ひらひらと舞う白紙が床に落ちた途端赤く濡れる。
綺麗な夜の生徒会室で、私は髪を掴まれ、引き起こされてまた胸を刺された。ずどしゅ
「…………」
突かれた、と言った方がいいのかも知れない。そのくらい乱暴に。暴力よりも惨い何か
が、抵抗できない獲物で遊ぶ。
意識の壊れた私の心臓。乱暴に髪を掴まれたまま。
落ちていく意識の中で、何度も、何度も執拗に心臓ばかりを刺し千切られるのが分かっ
た。
……消えていく。
頭の中には笑い声。どこかしこと響く声。
バチバチと悲鳴を上げる空気に溶かされ、舞い散る紙に跳ねた赤色を見上げながら。
(そう……本当に、いたんだ)
常識外の何かのオモチャ。
そうして私は死んでいく。
突き込まれる鉄に、また胸が、傷んだ。
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