暇潰しの夜 06/13
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夜。
家の住人すべてが寝静まった頃。
「……」
メリィは静かに眼を開けた。
暗いリビング。目の前には静かな寝顔。灰崎ヒカリという名前の、彼女の同類が無防備
に眠っていた。
穏やかな寝顔だった。いま自分が行動を始めても、たぶん起きることはないだろう。
「……」
静かに体を起こし、立ち上がる。
ふわふわと浮き上がり、すぅぅと階段を上がり、彼の部屋の前に降り立つ。扉の向こう
で部屋の主は眠っているだろう。無防備極まりない平和な寝顔で。
「……いしし」
メリィは邪悪な笑みを浮かべた。
取り出したるは輪ゴムと油性マジック。
そう、彼女のイタズラはこれからが本番だったのだ。
「…………最終プランよ。今度こそ恐怖させてあげるんだから」
輪ゴムとマジックで惨劇を描き出す。
カンバスは少年の顔。幸い素材は悪くない。あとはただ、美術の時間に培った技術を駆
使して寝起き鏡に恐怖させるだけ。
「……」
静かにドアをすり抜け、やはり無防備に眠っている横顔を見た。
普通の部屋。
普通な精神の具現。
都市伝説メリィとして活動してきたここ数年で、幾度となく見てきた、どこにでもある
男の子の部屋だった。
「……あれ?」
だが違和感があった。
普通の部屋だ。
でも何か、普通じゃない物の気配を感じる。
「……?」
ふと、机の上で眠っているカッターナイフが目に入った。
月明かりを反射する金属。
微かに、発光しているように見えたのは錯覚だろうか。
「……なにこれ」
手に取ってみる。
ヤケに大きなカッターナイフだった。
「んん……?」
握ってみると、違和感は更に募った。
例えるなら海辺の貝殻。耳に当てると大気の声が聞こえるように、そのカッターナイフ
に手を触れた瞬間から耳元を何かが撫でていた。
『─────』
声。
遠く曖昧な声が徐々に近くなって、鮮明になっていく。
ノイズ混じり。
だがとうとうはっきりと聞こえた。頭の中に響く声は、ただ冷たく。
『──さわるな気色悪い』
「っ!?」
カッターナイフを取り落とす。
床に落ちて派手な金属音を鳴らした。
「ん……なに、誰……?」
「あ──!」
眠っていた少年が呻く。
彼が体を起こして振り返るより早く、メリィは全速力で部屋の壁をすり抜けた。
床に手を付く。
すぐさま逃げ出そうとする。
だが、そこで手の中が空っぽだったことに気付いた。
「うわ……やっちゃった」
輪ゴムと油性マジック。
少年の部屋に置いてきてしまった。
「うう、どうしてこう上手く行かないんだろ……やっぱ才能ないのかな」
イタズラの物証。
いまさら回収に戻るわけにもいかず、メリィは暗雲を纏って階段を下りていった。
とぼとぼと歩きながら、少女の口は小さく呟く。
「…………何だったんだろ、あのカッターナイフ」
手に残されたいやな感触を思い返し、半信半疑ながら、口にした。
「……呪いの文房具?」
+
翌日。
「…………」
彼女が眼を開けると、少年がいた。
(──え?)
少年は黙って灰崎の顔を見下ろしている。
別に何もしていない。ただ黙って、すーすーと寝息を立てる灰崎を見下ろしている。
カーテンの隙間から差し込む朝陽。
白い光は彼の横顔を照らして、とても儚い色彩を生みだしていた。
「…………」
本当に静かに、灰崎を見下ろしている。
何をしようとしているのだろう。
「……キミが悪いんだからね、灰崎」
ぽつりと、少年は責めるように呟いた。
どこか悲劇的で、なおかつ演技くさい口調で。
「…………キミが、僕を陥れようなんて考えるから……こんなことに」
起きているのがバレないように、じっと息を潜め、注視する。
とくんとくんと自分の鼓動が聞こえる。
彼は語り続ける。静かに灰崎だけを見ている。
不意に。
その唇が、いやらしく微笑んだ。
「……もう物証は挙がってるんだ。輪ゴムとマジック。凶器を現場に残していくなんて、
灰崎らしくもない失敗だったね」
(ん?)
メリィの抱いた違和感などつゆ知らず、少年は黙って顔を上げた。
そのまま立ち上がってカーテンを開ける。眩しい光が一瞬にしてリビングを染め上げた。
「ほら、起きて2人とも。日曜だよ日曜。日曜の朝だよー!」
「ん……んんんんっ」
灰崎が目を覚まし、うなる。
彼女は眩しさから逃げるように顔を反らし、寝惚けるように呻いた。
「やだ、寝かせて下さ、い……あと5時間だけで、いいか……ら」
「や、どんだけ寝るのさ」
振り返って半眼している彼は、いつも通りの九条シンジ少年だったが。
「……」
さっきの1人語りは何だったのだろう。
いまはまるで別人のように日常している。
「あ、おはよメリィちゃん。
悪いけど灰崎叩き起こしといてくれるかな。僕は朝ご飯食べてくるよ」
笑いかけてくる笑顔は普通平凡。
なんとなく、疑いの目を向けてしまう。
「…………」
「あれ? 寝惚けてる?」
「……あ、うん……いや」
「はぁ、ユーレイってヤツはなんでこう寝坊助ばっかなんだろ。うちの妹なんか生気あり
あまりすぎて、もうとっくに遊びに行ったってのに」
まったくもーとぼやきながら、トーストの匂いがするキッチンへ去って行った。
それが見えなくなってから彼女は呟く。
「……なにあれ。意味わかんない」
「え……なんですか……先輩がどうかしたんですか?」
ふわぁと欠伸が聞こえて顔を向ける。
寝惚けまなこの灰崎をみて、彼女の疑問は案外あっさり解決するのだった。
「……なるほど。誤認逮捕したわけか」
「はい? なんのこ、と……ふわぁあ……」
髪が素敵なことになっていた。鎖で。こう、エライ感じに。
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