暇潰しの夜 04/13

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「…………」
 夜空は青い。
 紺色というか。まだ微かに夕日色が混ざっているのだろう、夏だしね。
「むぅ」
 僕は両目を真一文字にしつつ冷や汗なぞ流してみる。
 場所は学校、校門前。
 何がどうなってこんな所にいるのだろう。知っているけど分からない。
 それにしても夜の校舎って大きいよね。バケモノじみてるよね。原理不明なプレッシ
ャーを醸すというか、そんなあからさまに下から照明当てんなというか。
「……灰崎……何考えてんのさ」
 なんとなく名前を呼んでみるけど、背後霊は現れてくれやがらないのであった。
 何してるんだろうアイツ。
 灰崎が僕を脅かすだって? メリィちゃんの手伝いで僕を怖がらせて屈服させるだっ
て?
「僕、何か悪いコトしたっけか」
 答える者は誰もなく。
 ただ夜の校舎の屋上から、謎の笑い声が響いてくるだけなのであった。きひひひひ



 顔が近い。
「…………」
 アシンメトリーの顔は無機物。白黒のキツイ両眼と、肌色肉色の2色で区切られた異様
な無表情。それが目の前にあるので、僕はじっと睨めっこしている。保健室の人体模型だ
った。
「……65点」
 さすがは灰崎というか。
 昇降口に踏み入った1歩目で不意打ちとは、やるじゃないか。
 真っ暗な空間に1人だけ背筋を伸ばして立つヒトガタ。音が反響しやすいロケーション
というのも相まって、一層異様さが引き立っている。
 とりあえずそれを押しのけて下駄箱まで歩き、靴を履き替える。
 がちょんと靴箱を開けた途端。
「……」
 九条シンジ先輩へ。はぁと
 そんなふざけた白い封筒。またもや僕の靴箱に、ハートシールのラブレターが入ってい
た。
「今度は何なんだ……」
 手早くかさこそ開けてみる。
 そこには短く、

 わたしメリィちゃん。いまあなたの後ろにいるの

「っ!?」
 顔が近い。
 アシンメトリーの顔は無機物。そこには、さっき玄関口に放置してきたはずの人体模型
が立っていた。
「……う」
 異様な顔と睨み合う。
 どういうことだろう。まさか勝手に移動してきたってことはないだろうし、となると灰
崎かメリィちゃんが動かしたってことだろうか。僕が、手紙に目を向ける隙を突いて。
「………………」
 ゴトリと落ちる模型の首。
 やばい。
 灰崎のヤツ、かなり本気だ。
「うきききけけけかかかかかかかかかかッ!!」
「い──ッ!?」
 突然、外れた人体模型の首が白目を剥いて、げたげたと狂ったように笑い始めた。
 うるさい声が昇降口に反響する。
「ちょ、な、なんだよこれ!?」
 首は狂笑しながら、ぬるい速度で僕の方に転がってくる。ごろ、ごろ。ごろ、ごとん。
まわる表情は薬物中毒。
 まずい。これは本気でちょっと不味い。
「ぐ……死ねッ!」
「うきょーッ!?」
 僕はその首をロングシュートした。
 ひゅーと開けっ放し玄関の外へ飛んでいく首。間抜けな悲鳴が耳に残った。
「く……はぁ、ぐぅ」
 その場に手を付いて息を整える。
 なんだよあれ。どーいう原理だよ、反則じゃないか。
「……は、は。そっか」
 そういえば、灰崎もメリィちゃんもユーレイなんだよね。
 ただそこにいるだけで怪奇だっていうのに、このくらい出来たって不思議じゃないだろ
う。いまさら僕は、何を言ってるんだ──
「……ん?」
 ふと何かを感じて顔を上げると。
 クビナシ人体模型が、僕に両手を伸ばして停止していた。



「…………」
 夜の校舎を1人で歩く。
「…………」
 だけど足音は2人分。
 背後からもう1人分が聞こえている。
「……なんだよ」
 顔も向けずに歩き続ける。
「…………っ、」
 だけどとうとう根負けして、僕はバッと後ろを振り返った。
 そこにはぴたりと停止しているクビナシがいる。人体模型の残骸だった。
 こいつ、なんのつもりなのか、ずっと僕のうしろをついてくるのだ。しかも僕が視線を
逸らした時だけ歩く。だるまさんが転んだ状態。
「……はぁ、面倒くさいなぁ」
 仕方なく、僕は後ろ向きで歩くことにした。だるまさんは転ばない状態。
 そいつから視線を逸らさないように、1歩ずつ遠ざかっていく。2階の廊下を。
 ようやく20mほど離れた時、ふと気配を感じて視線を真上に向けた。
「……あ」
 顔が近い。ただし、今度は無表情じゃない。
 長い睫毛がぱちくりしてる。
 まぶたが丸く見開かれていて、澄んだ瞳をさらけ出している。白いけど、ユーレイにあ
るまじき優しげな頬。さわれたら柔らかそうだなぁなんて考えながら、僕はそいつを半眼
で睨みつけた。
「……何してるの? 灰崎。」
「え──は、あはははは。まずいなぁ、見付かっちゃいましたか」
 笑って、すたんと天井から降り立った。
 その細い手には鎖が握られていた。ひと1人を首で吊り上げられそうな長さ。なんです
かそれ、洒落になってないんですけど。
 セーラー服の素敵ユーレイはそのままがららと窓を開け、嘘くさいおセンチ顔で夜空を
見上げた。
「今日もおひさまはゴキゲンですねぇ」
「夜だから」
「雪、降りませんかねぇ」
「夏だから」
「なんなら飴でもいいんですけど」
「降らないから」
 えへへ、と照れたように笑って頬をかいた。意味が分からない。
「……先輩。私、失敗してしまいました」 
「そう。ま、残念だったね」
「だけどここで終わるわけにはいきません」
「え? いやいや、堂々と目の前に立った時点で無理でしょ。大人しく帰ろうよ」
「ところで先輩。実在の魔女は箒がなくてもお空を飛べるそうですよ」
 がしゃん。
 灰崎のキラキラ笑顔を見ていたせいで、気付かなかった。
「…………え?」
 僕の右足が、ぐるぐる巻きに固定されている。灰崎の右手から伸びた鎖によって。
 灰崎は笑顔。夜空は黒。僕は呆然──窓は全開。
「いっきますよー、」
「え? え? ちょちょちょちょっと、冗談だよね灰崎!?」
 ぐわんと謎の怪力が鎖に掛かる。
 灰崎はあくまでも笑顔。笑顔のままで鎖を握る手に力を込める──っていうかこれ、明
らかに鎖自体が動いてるんですけど!?
「う──」
 視界がぐるり。
 僕はぶおんと逆さ吊りされ、鎖に引っ張られて強制離脱させられた。
 繰り返すが、窓は全開。
「どっせぇぇぇえええいッ!!」
「わぁああああああああああああああああッッ!!?」
 気合い一閃。
 浮遊感。暴風。落ちる。落ちていく。
 鎖に足を引っ張られて、ものすごい速さで固い地面に吸い込まれていく。
 叫ぶ叫ぶ叫ぶ、速い速い速い。もうジェットコースター並みの引力を全身に感じる。
 ──って、あれ?
 この異常に勢いあまってる感じの速度は何なのでしょう。ねぇ灰崎、主旨はたしか、僕
を驚かすだけだよね? 殺すわけじゃないよね?
「あ……やばっ」
「って待て待て待てえぇぇぇぇぇぇええええ!!?」
 嘘だろ灰崎!? っていうか近ッ! 地面近ッそして速ッ!!
「どわあああああああああああああああああっっ!!?」
 激突の寸前、僕は必死で頭を庇った。
 死
「……はぁ! ……はぁ!」
 ななかった。 
 僕は受け止められている。灰崎が咄嗟に編み上げた鎖のネットに引っ掛かって、ギリギ
リ墜落死せずに済んでいた。
「は……はは……」
「ふぅ、あぶないあぶない……え?」
 僕は右足の鎖を手繰り寄せた。
 宙に浮いていたユーレイがふわあぁっと落ちてくる。僕の隣りに。とさり。
 2人で鎖のベッドに正座して、目を合わせる。背景に門松なんかを飾りながら。
 スローモーションで逃げ出そうとする背中に、僕はフッと囁き掛ける。
「遺言は、10秒だけ聞くよ」
「すっすす、すいません! すいませんでした! ほんっっとごめんなさいです!」
「うっさい黙れ逃げるなユーレイ。ああそっか、この鎖って灰崎特製だったよね、ユーレ
イ相手でもこうやって首に引っ掛けて絞殺するとかもできるんだよね」
「ぐふッ! くくく苦しい、苦しいですから!!」
「あははー。恐かったなぁ、僕すっごく恐かったなぁ、ほんとにほんとにスリリングだっ
たなぁ」
「うぐぅぅうう……ずびばぜぇん」
 だばだばと泣くユーレイを見て、僕の怒りも失せていく。
「はぁ、もういいよ。ちゃんと助けてくれたしね。そうだね確かに恐かった。今夜は僕の
敗けでいい」
「はい、私の勝ちです……でもちっとも嬉しくないです」
 灰崎は正座して小さくなり、しゅんと沈む。
「……先輩」
「うん?」
「私、やっぱり……」
「すすす、すごい! すごいよ灰崎さんっ!」
「「 え? 」」
 灰崎が何かを言い終えるより先に、遠くで誰かが声を上げた。
 彼女はずさささーと滑り込んできた。ヘッドスライディングでネットに飛び乗り、灰崎
を見上げて叫ぶ。
「天才! 灰崎さんはきっと天才だよ! わたしがあれだけ苦労した相手をこんな簡単に
屈服させるなんて! 感動した! もう本っっっ当に感動した!!」
 茶ブレザーのメリィちゃんは、ぱあああっと目を輝かせていた。
 彼女は拳を握って熱弁する。
「そうだよね、相手を危険な目に遭わせればいいんだよ! 容赦なく殺すくらいのつもり
で追い詰めれば誰だって──」
「メリィちゃん」
「なに!? なんでも言って!」
 灰崎は静かに立ち上がる。
 憧れの目を向けてくる少女を見下ろし、淋しそうな笑みで呟いた。
「……ずっと、そんな風にやってきたんですか?」
 その声は、中庭に広く反響した。
「え?」
 メリィちゃんが笑顔のままで、目を見開いた。
 灰崎は星空を背負い、1人影に覆われながら、続ける。
「メリィちゃんの噂はたくさん聞きました。都市伝説メリィ。恐怖の都市伝説メリーさん。
こんなに有名になるくらい、いろんな人にイタズラしてきたんですか?」
「え……灰崎さん?」
 灰崎は目を伏せた。
 考え込むような沈黙。その後で、静かに呟くように言った。
「……メリィちゃん、何かひとつ忘れてませんか。とても大切なこと。私たちは人間なん
ですよ。たとえ死人でも、1人の人間です」
 灰崎は淋しそうに笑って、彼女を見下ろした。
 彼女はただ愕然としている。ぎこちない笑みで、灰崎を見ている。
 その前に腰を下ろし、手を握って、灰崎は言う。
「もういいじゃないですか。十分です。恐怖の都市伝説なんて、今日で終わりにしましょ
うよ」
 代わりに、メリィちゃんの顔から笑みが消えた。
 ぷつりと。
 まるでスイッチが切れたみたいに、彼女の声が弱々しくなった。
「……なに……言ってる、の?」
 声は震えていた。
「死人だよ。わたしも灰崎さんも人間じゃない。死んでるはずなのに生きてるなんていう、
わけわかんない別のイキモノだよ」
「…………」
「人間じゃない。わたしたちはもう人間なんかじゃない。お化けだよ。ただそこにいるだ
けで恐がられるばけものなんだよ。だから恐がらせる。きっとそのためにいるんだもん」
 彼女は立ち上がり、灰崎を見つめ返した。
「……ねぇ、灰崎さんこそなんでそんな生きてる人と一緒にいるの? そっちの方が間
違ってるよ。なんで? なんで死人が生きてる人間と普通にお喋りしてるの? おかしい
よ、ぜったい変だよ」
 僕は知らず、灰崎を見上げていた。
「……さぁ、何故でしょうね」
 少女たちは見つめ合う。
 大きな大きな夜の下。
「……意味、わかんない」
 それだけを弱々しく言って、メリィちゃんは背を向けた。
 ふわりと浮かんで去っていく。校舎の向こうに。僕は彼女を引き留めることもできず、
ただ呆然と見守っていた。
「人間じゃ、ない……ですか」
 灰崎が呟いた。
 声が掠れている。表情は伺えない。両目が髪に覆われていて。
「灰崎……?」
 ただ唇だけが笑っている。
 それはそれは淋しそうな横顔だったから。
「そうですね……あは、本当その通りですよね……」
「ばかユーレイ。何あっさり影響されてんのさ」
「え……」
 僕は笑った。
 いまにも消えそうな彼女に向き直り、しっかり笑顔で言い切った。
「……キミは人間でしょ、灰崎。違うの?」
 灰崎は迷うように顔を伏せた。
 中庭を沈黙の風が吹き抜ける。
 けれど、しばらくしてから顔を上げた自称・素敵ユーレイは、ちゃんといつも通りの笑
顔を浮かべていた。




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