斬-the black side blood union-

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 大して特徴のある人生でもなかった。
 くだらない没落者だ。その頃、仲間内では万引きがブームだった。
 本屋はガードが薄くてつまらない。
 CD屋は逆に固すぎる。
 ごく自然に。
 俺たちは、気が付けばコンビニ荒らしと化していた。
 なんでも盗んだ。
 いろいろなものを盗んでは飲んだり食ったり売り飛ばしたりした。
 臆病な店員の目の前で缶ビールを開け、頭からぶっかけて半泣きにしてやったこともあ
る。
 パーティ会場はダチの家。
 原チャを飛ばしてパトカーを撒き、叫び、勝利の美酒に酔いしれる。それが俺の高校生
時代だった。
 くだらない。
 何もかもがくだらないから、ルールなんて守る意味がない。破り捨てて蹴り倒す。そう
することで何かを主張していたのかも知れない。
 ある日、連れからギターをもらった。
 もちろん盗品。いらないし邪魔だからもらってくれと言われた。
 俺だって始めは楽器なんざ受け取る気はなかったのだが、そんな気分はそいつがアンプ
に繋いでこれ見よがしに爆音を振りまき、「どうだ? 欲しくないか?」と言ってきた時
点で吹き飛んだ。
 敗けた。
 完敗だった。あのしてやったりのニヤリ顔。
 耳に残る、暴れるような音符の羅列。あれだけがホンモノだった。俺は興奮し、奪い去
るようにギターを受け取った。
 エドワーズの黒レスポール。ジョンサイクスモデル。そんな単語はどうでもよかった。
 ただ、俺はあの時あいつが気紛れに奏で、マリファナのように俺を酩酊させた音が、た
だただこの手に欲しかった。
 そこからは修練の日々。
 修行僧になった気分だった。ほぼ職業と化していた万引きもそこそこに、部屋に籠もり、
ひたすらアンプで爆音を鳴らす日々。
 だがある日、俺はとうとう気付いてしまった。
 急いで万引きに向かった。
 本屋から帰ってきたとき、俺の手には教本とMetallicaの楽譜が握られていた。そうそ
う、これがないと始まらないからな。
 ケバイ姉貴にうるさい! と怒鳴られ続ける日々。
 ウザかった。いつもいつも殺してやろうかと思っていた。撲殺ギタリスト。撲殺ロッ
クンローラー。悪くない。
 延々うるさい! と怒鳴られ続けた。
 それでも俺は奏で続けた。音を。叫びを。ルールを破るだけでは誰にも届かなかったこ
の声を。
 俺イケてる。うるさい!
 だがそんな「うるさいマシーン」と化していた姉貴がある日、故障した。壊れてしまっ
た。
 いつも通りずばんっとドアを開ける。
 だが何も言わない。
 俺は身構えた。
 とうとう殺されるのかと思ったからだ。ここだけの話、俺の姉貴はマジ恐い。
 怯えまくる俺ビビリ。ビビリギタリスト俺。姉貴の手には安っぽい特売チラシがぶら下
がっていた。
 意味が分からずに顔を見る。俺子猫。姉貴ライオン。
 しゅばしっ、と鼻先に突き付けられて俺死ぬかと思った。俺ビビリ。ウルトラビビリス
ト俺。じゃかじゃーん。うるさい!
「あんた……さ。その」
 その日姉貴は故障していた。
「せっかく毎日がんばって練習してるんだから。バンドやりなさいよ、バンド」
 こんな話の分かる女、俺の姉貴なはずがない。
 姉貴がぶっきらぼうに突き出していたのは、バンドメンバー募集のチラシだったのだ。
 胸を撃ち抜かれた。
 俺の叫びは届いていたんだ。
 うるさいマシーンな姉貴はいつの間にか、俺の1人目の観客になってくれていたんだ。

 そして俺は、バンドの世界に飛び込んだ。

 俺は敗けなかった。誰にも敗けたくなかった。
 だから誰よりも練習を重ね、誰よりもいい音を作り続けた。
 だがバンドのメンバーはみな凡庸。
 それなりに練習し、それなりにライブして、小さな打ち上げで満足する。そんな繰り返
しを生き甲斐にしてるような奴らだった。
 だがそれでも、こんな俺を気怠い笑顔で受け入れてくれた連中だ。
 だるいバンドだったが、奴らは経験のない俺にいろいろなことを教えてくれた。まず驚
いたのがエフェクターだ。ギターの音を歪ませる機械。小さなオルゴールみたいな箱が、
何百種類もあるのだということにまず俺は驚かされた。
 それはつまり、何百種類、いや、それこそ調整ひとつで無限の音が奏でられるのだとい
うことが衝撃だった。俺はアンプに直接繋ぐことしか知らなかったのだ。
 音楽のノウハウ。
 ライブのノウハウ。
 俺は1番年下で未経験者だった。
 色々なことを教えてもらったバンドだったが、1年目の記念日に脱退することにした。
 打ち上げ。
 勝利の美酒。
 あの小さな宴会が気に障るのだ。万引き時代のダチの家を思い出す。
 メンバーのことは嫌いじゃない。ひとのいいバカばっかりだった。でも、それでも俺自
身はどうしても染まりきれなかったのだ。
 最後のライブの大トリに、対人恐怖症のリーダー兼ボーカルは「音の葉」という曲を選
んだ。
 ダルイ曲。無気力なリーダーらしい、ぬるいがどこか前向きなバラードだ。
 似合わない掠れ声が何かを優しく歌い上げる。そう、今更だが、このバンドは俺の愛し
たメタルではなく、いろいろなジャンルを節操無しに取り入れたノージャンルバンドだっ
たのだ。
 リーダーは別れ際、脱退していく俺に「がんばれ」と言った。
 言われなくてもがんばるに決まっている。ここからが俺のリスタートなのだから。
 その日は朝焼けが鮮やかだった。
 らしくないバラードなんかを作れそうなすがすがしい気分だった。
 あんなに喋った打ち上げはない。俺のお別れ会にして、最初で最後の勝利の美酒だった。
 ……だが俺は、分かっていなかったんだ。リーダーの言葉の真意も、最後の曲が何を歌
っていたのかも。

 実力指向のバンドを作ることにした。
 最高のメンバーを集めた。ジャンルはもちろんメタル。最高のバンドを、最高の音楽を
作ろうと思ったんだ。
 無論練習は欠かさない。
 メンバーはみな天狗ばかりだったが、それでも実力はあるヤツらだった。
 小さなミスを指摘し合う。
 悪くない。
 喧嘩のように議論する。
 悪くない。
 ライブは常にノーミスを目指した。
 悪くない。
 ただ、メンバー仲がいいとは言えなかっただろう。
 どうでもいい。何だっていい。最高の音楽さえ作れればそれでいいんだ。
 打ち上げなんてしなかった。ライブが終わればまたバラバラ。プライベートで会うこと
なんてない。練習以外で顔を見たことはなかった。
 殺風景なバンドだろう。
 雑談だって嫌味の言い合いに似ていた。天才ばかりのバンド。ただ1人、ドラムの恩田
を除いては最高値だった。
 恩田は腕は文句ない。
 ただ、病気がちで体力がなかった。女みたいな男だったのだ。
 たまに、そう本当にときどきだが、ライブの最後の方でへばっている時があった。
 だが俺は恩田のそんな姿も悪くないと思っていた。
 恩田は必死で叩くのだ。
 命を削ってリズムを刻む。そんなドラマー。悪くない。
 俺たちのバンドは好調だった。
 ファンは急速に増えていった。
 俺たちが出る夜はライブハウスが埋まった。少しずつ名が売れ、ファンは着実に増え続
け、県外のライブハウスまで足を伸ばしたり、金と時間を作って日本全国を回ったことも
あった。
 そんな折り、1度目のメンバー交代があった。
 ベースの桐生。いつもいつも愚痴ばかり吐く痩せ形の男。
 ヤツは常に卑屈だった。
 だが腕だけは俺が保証する。
 なのに、桐生は俺たちのバンドに人気が出て来た途端に愚痴が増え、徐々にやる気を失
い、最後は練習に出てこなくなった。
 俺にはよく理解できなかった。
 何を考えているのか分からない。
 早々にヤツより上手いベースを探し、メンバーに加えた。
 相も変わらず好調なバンド。
 ファンは増え続け、俺でさえびびるほど多くなっていた。チケットの取り合いで抗争が
起こっているらしい。いいことだ。
 俺には音を通して伝えたいことがある。
 決起せよ。
 ぬるま湯に浸かっているな。
 ホンモノを見つけ出せ。
 それ以外は無価値だ。顧みるな。
 自分の在り方を音楽で表現し続けた。主張し続けた。
 メンバー仲は変わらず悪い。もう1人のギタリストが来ない。甘いマスクの吉川。また
女の家で寝てるのか。
 それでも吉川だって凄腕だ。練習サボった分はあとから必ず挽回してくる。そして自信
満々に舞台に立つ横顔。悪くない。嫌味な男。だが悪くない。
 ……そんなある日、俺のもとに連絡が来た。
 桐生が見付かった。
 海岸に打ち上げられたらしい。死体だった。
 死因は分からない。
 ただ、あのいなくなった日、桐生は既に死んでいたというのだ。
 訳が分からなかった。
 イライラした。
 何故イライラしてるのか分からなかった。
 だからその日の舞台には、ひたすら気が立ったまま上がった。ライブ。そう、ライブだ。
何があろうとライブはやらなくちゃいけない。身元の確認に来て下さい? 黙れ。俺は忙
しいんだ。
 その日、俺はMCで前座のバンドをこき下ろした。くだらないバンドだった。スキルが
絶望的に足りない。やめてしまえ。



 恩田が倒れた。
 早々に次のドラマーを加入させた。恩田はあれ以来ずっと入院してるらしい。面会に行
く時間はなかった。なにせとうとう、プロデビューの話が持ち上がっていたからだ。
 CDはとっくに出していた。
 インディーズだが。
 この時期にメンバー交代というのは手痛いが、それでも何とかなるだろう。大丈夫。腕
だけは確かだ。
 延々とライブに没頭し続けた。
 疲れ果てて家に帰り、死んだようにベッドで眠る。そういえばしばらく姉貴の顔を見て
いない。もう「うるさい!」と怒鳴り込んでくることもなくなっていた。
 ただひたすらに有意義な日々。
 充実感が俺を支配していた。
 音を通して観客に向かって叫び続ける。
 決起せよ、決起せよ。
 本物以外は顧みるな。
 パフォーマンスは激しくなる一方。
 いつの頃からか、ライブの最中に観客たちが小競り合いをするようになっていた。致し
方ない。人気の反動だ、これもパフォーマンスの一環だと受け入れていた。
 俺たちの覇道は続く。
 振り返ることなんて1度もない。
 すべてを捨てて前だけを見つめる。
 叫ぶ、叫ぶ、叫び続ける。
 そんな日々の最後に、そいつは音もなく現れた。
「ずいぶんと人気者らしいな。心より感服するよ、君の音楽は凄まじい。人の域を脱して
しまっている」
 場所は商店街の西通り。
 深夜。割れた天蓋から月明かりが零れている。人の姿なんて、俺とそいつ以外ない。
「だからこそ、摘まねばならぬ花もある。だが案ずるな。君を消すのはあまりに惜しい。
うむ。私も聞き惚れてしまったよ、苦労してチケットを手に入れた甲斐がある。メタルか。
神社の神主が言うのもなんだが、なかなか悪くないものだ」
 オッサンだった。
 背の低いオッサン。
 顔に合わない無精ひげ、肩まで届く灰色の髪。
 小さい。
 だが異様な存在感がある。
 服装が時代錯誤なのだ。なにやら大正じみている。着物の上に羽織を着流し、なのに帽
子はハイカラなハット。どこに行っても浮くだろう。
 灰色。
 夜に溶けきれない、灰色の男がそこにいた。
「……何だ? お前」
「委細、問いただす意味はあるまい。質問はひとつだ。君は音楽を辞めるか死ぬか、と聞
かれたらどう答えるね」
 試すような問いかけ。
 挑戦的な眼光。
 刺さる。
 何か、よく分からない直感が脈打った。
 ホンモノだ。
 こいつはホンモノの殺意を俺に向けている。
 俺は背負っていた相棒、エドワーズの黒レスポールを下ろし、心中で謝った。
 ――悪いな相棒。必ず修理するから許せ。
「音楽を辞めるか、死ぬかってか。いきなり現れて無茶な質問だなオイ」
 鉄のような静けさの中。
 空気の凍る商店街で。
 俺は唇の端を吊り上げ、そいつに向かって中指を立ててやった。
「決まってる……殺してでも俺は続けてやる。世界最高の、誰にも敗けねぇ俺たちの音楽
をな!」
 ギターを振り上げ突進した。
 いまだけ俺は、かつての没落者少年のような、野蛮だけが取り柄の暴漢に立ち返る。
「らあああああああああああああああッッ!!!」
 俺は何をやっているのだろう。
 分からない。ただ心臓が危機を訴えている。ヤツが動くより早くあの脳天に、相棒の角
を叩き込まないと死ぬ気がする。俺の音楽が終わってしまう気がする。
 ヤツはそんな俺を見て、眩しそうに目を細めた。
 出会い方さえ違えば気が合ったかも知れない。
 どこでだって悠然と笑う、そいつはそんな男だった。
「実に結構だよインディーズの帝王。私は狩人、早坂義道。貴殿の呪いをここで摘み取る」
 相棒を振り下ろす。男より先に。だが人間外の速度でヤツの右手が霞んだ。
 俺の人生は、そこで終わった。



 ――そんな、遠い日の夢を見ていた。
 真っ暗闇の影の中。
 何も見えない。
 何もない。
 ただ俺はここに在り続けている。
 あの日ヤツは言ったのだ。『消すには惜しい』と。だからここに残したのかも知れない。
俺はただ延々と、続き続けるだけの黒を観測している。
 何も聞こえない。
 終わった。
 終わってしまったっていうのか、俺の、俺たちの最高の音楽が。
 ふざけている。
 バカげている。
 どうして終わらなくてはいけないのか。こんな所で。こんな何もない場所で。
 何故終わってしまったのか。どこで間違ってしまったのか。分からない。何も分からな
いままで、黒は延々と続き続ける。
 全力で駆け抜けてきた。
 振り返ったことなんて1度もなかった。
 だが、他にやることもない。俺はいま、初めて道のりを振り返ったのだろう。
 始まりはいつだったろう。
 あの日ダチが奏でたギター。懐かしいな。あいつの音に魅せられて、俺は相棒を譲り受
けたんだ。
 姉貴。
 ああ、姉貴はどうしているんだろう。知らない。ずっと顔を見ていない。
 桐生。恩田。
 俺は間違っていたのか?
 最高の音楽を作り続ける。
 これのどこが間違いだって言うんだ?
 なぁリーダー。
 『がんばれ』って、一体どういう意味だったんだ。

 ――決起せよ。

 分からない。
 くだらない。顧みる必要がない。この手でホンモノを作るだけでいい。
 ライブだ。
 いますぐライブを始めよう。
 闇を裂くように呪いが走る。
 あの頃の光景が再構築されていく。
 幻影のライブハウス、縁条アンダーグラウンドの舞台袖から。
 俺はメンバー達とハイタッチし、肩を叩き合い、怒号を上げてステージに上る。
 俺たちは常に兵士だった。
 舞台は戦場、スタッフは援護戦闘機、ボーカルは切り込み隊長、メンバーは機関兵。
 屈服させるべき観客たちがいる。それを1人残らず鋼の心で撃ち倒すのだ。死ぬ気で磨
き上げ、この手に染みつけるまで繰り返した、誰にも劣らぬこのスキルで。
 視界が白む。
 悲鳴のような歓声が聞こえる。
 指の隙間から、微かに神社らしき今日の舞台の輪郭が見えた。
 目が照明に慣れるまであと数秒。

 ──さぁ、ステージを始めよう。
 俺の名前は御堂恭司。『メタルハート』の最凶ギタリスト、御堂恭司だ。




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