斬-the black side blood union-
back | top | next
されど策謀は影と踊る。
一見平和な休日の裏で、密かに蠢く企みがあった。
「にゃっふっふっふ……どうだね組長。首尾の方は」
茂みの中に身を潜め、金髪の少女が怪しく笑った。
答える声は霧のよう。いまにも消えてしまいそうな返答が、底無しの無気力を少女に告
げる。
「……いえさー。万事滞りなく進んでおります、団長」
「にゃっふっふっふ……お主も悪よのぅ、組長」
「……いえさー。あなたほどではありませぬ、団長」
2人の背後から、がさがさともう1人が顔を出す。
「雛子ちゃん、言われた通り連れてきたけど」
「おお、これは隊長。にゃっふっふっふ……っていうか、またやたら活きのいいやつ連れ
てきたねぇ」
にゃふうううううと暴れる野良猫を見下ろして、団長は一瞬だけ顔を引きつらせた。ぶ
んぶん振り回される剥き出しの猫爪。ヘタをしたら顔に傷跡を残されそうだ。
しかしそんな不安も一瞬のこと。
「よし……んじゃ、やっておしまいなさい新入社員。しっかりおねぇちゃんを引き付ける
んだよ」
団長が、茂みの外に新入社員──もとい野良猫を解放。ニクキュウの全力疾走が、人混
みの間に消えていった。
+
放流。
改札口から人々が溢れ出し、思い思いの方向に流れていく。
宮代駅。駅前である。
「暇だねぇ……」
「まったくだ」
俺たちは縁石に腰掛け、木陰で何をするでもなくだらけていた。
アユミはどこで教わったのか、俺のギターで意味もなく和音を奏でていた。
「しー……」
ただし、思い出しながら指を1本ずつ動かして定位置に持っていくので、曲にはなって
いなかった。
「でぃー……びーまいなせろん……せたん……せなせな……あれ、なんだっけ?」
「俺が知るかよ」
うぅ? とアユミが視線を上に。見上げた空は無責任な青。飛行機雲が遠かった。
むぅ。と視線が降下。左手は次の和音に移行するようだ。諦めたらしい。
「いーまいなー、と」
哀愁は鳴る。しゃらんとギターの声で鳴る。
もう満足したのか、アユミは「よし」と笑顔でギターを置いた。
「羽村くんは弾かないの?」
「弾けないんだよ。お前以上に」
「ほうほう。ではわたしの勝ちですな」
「ああ。ったく、どこで覚えてきたんだか」
「えへへーそれは秘密」
メルヘン少女は影のない笑みで言う。だが、何かこう微細な引っかかりを覚えた。
「? どうかした?」
「……いや。なんでも」
失言だったみたいだな。余計なことを聞いてしまったらしい。
「…………」
ぼうっと道行く人々を観察。
縁条市は平和だ。隣には赤髪の少女。特別やることもない、何の有意義もない俺たちの
休日。
「ん」
ふと、アユミが呟いた。
「見て羽村くん。クレープ屋さんとたこ焼き屋さんが喧嘩してる」
「なんだよそりゃ」
苦笑しながら目を向けると、確かに喧嘩していた。
どうやら屋台の位置関係に問題があったらしい。店主らしき2人が掴み合い罵り合い、
周囲の人々が目を合わせないように通り過ぎていく。
「止めた方がいいかな」
「やめとけ、俺がお前を止めるはめになる。……しかし、あんまり気分のいいもんじゃな
いな」
「うん」
クレープにしろたこ焼きにしろ、人々の娯楽というか余剰というか、ともかく楽しむた
めの食べ物だろう。
それを作る人間たちがあれでは、周りとしてはあまりよろしくない。ましてや巻き込ま
れようもんなら休日が台無しだ。ああ神よ、何故人は争うのか。どうでもいいけどな。
「どうしてみんな、仲良くできないのかな……」
「う」
淋しそうな表情が目に入る。
なんか遠回しに責められてる気分。そうだな、俺と美空もあんなんだったな。
「ま、その辺は人類永遠の命題ってところだろ。仕方ないさ」
「だけど……」
気持ちはわからんでもないがね。
しかしそれよりも俺は気に掛かることがあった。チラリと視線を向ける。
「…………」
まずいなぁ。うむ、あれはまずい。
「あ、アユミ。ゲーセンでも行くか」
「え? どしたの急に」
「いいから。早く行こうぜ、な?」
「うーん?」
アユミの腕を引いて立ち上がらせる。
不思議そうな少女の向こう。まずい。仮にも人の多い駅前だ。あれは、非常にまずい。
「あ、そういえば」
「えるふッ!?」
唐突に振り返ろうとしたアユミの肩を押さえる。
アユミは不思議そうに俺を見返してきた。
「……あれ? どうかしたの羽村くん」
「い、いやそれはこっちのセリフだ。『あ、そういえば』の続きは何だ?」
「うん。そういえばね、この前ここにメロンパンの屋台が来てたんだよ。今日は来ないの
かなーって」
「来てない。来てないから振り返る必要はないぞ」
「そっか……残念」
ふぅと胸を撫で下ろし、アユミと肩を並べて歩き出す。
危ない。あと1秒遅かったら終わってた。
「あ、忘れてた」
「どわーふッ!?」
急激に振り返ろうとしたアユミの手を引っ張り、制止する。
アユミは不思議そうに俺を見返してきた。
「……なに? 羽村くん」
「い、いやそれはこっちのセリフだ。『あ、忘れてた』の続きは何だ?」
「うん。そういえばね、この前ここに焼き鳥の屋台が来てたんだよ。今日は来ないのか
なーって」
「来てない。メロンパンも焼き鳥もアンダギーも饅頭もナンもパスタもサイコロステーキ
も来てない。さっき見た通りクレープ屋とたこ焼き屋が喧嘩してて気分悪いだけだ。お前
が振り返る必要なんて、どこにも、ない」
「そっか……そうだよね。うん、行こう羽村くん」
「そう、それでいい」
ふぅと胸を撫で下ろし、アユミと肩を並べて歩き出す。
危ない。あと0.1秒遅かったら終わってた。ってあれ? さっきよりアユミの動きが
10倍速くなってる?
「大変だよっ!」
「まぞくッ!?」
咄嗟に身を投げてでも止めようとした俺はしかし、完全に空振りして地面を転がってし
まう。
アユミはそんな俺にはまったく気付かず、とことこと歩いてそれを回収しに行った。平
和な笑顔のままで。
「な~んか忘れてると思ったら、そう、ギターだよ。もう。羽村くんはおっちょこちょい
だなぁ」
アユミは自然な仕草でギターに手を掛ける。
「い、行くなアユミ! そっちに行っちゃダメだ! 戻れなくなるぞ!」
「へ?」
遅かった。
がぎんっ
そんな音を立ててアユミが硬直し、世界が白黒になり、そして目が合ってしまった。ア
ユミと、そいつの視線が無言で交わる。
「ぁ……」
アユミは目を見開きながら、声を漏らす。
カタカタと震えている。
噴火数秒前。
そんな彼女を見上げて、元凶は一言。
「にゃー」
ぐわっっしゃーん!
まるで鉄球の一撃でも受けたようにアユミが仰け反り、そして戻ってきた両眼には大量
のハートマークが浮かんでいた。俗に言うメルヘンスイッチオンである。
「ねねねねねねこさんだ! ナマの本物猫さんだ! 羽村くん、可愛くない!? 可愛く
ない!?」
物凄い勢いで息巻く少女。
終わった。
あれはもう、誰にも止められない。
「あ、待って! 逃げないで猫さん、ちょっとだけでいいから抱き締めさせてぇぇぇぇえ
ええ!!」
人混みの間をずどどどどーと駆けて行く背中。突風、音速、土煙。瞬きの間に見えなく
なってしまった。
何事かと困惑する人々の中で、呟く。
「…………くそ……やっぱこうなったか」
力無く項垂れる。
再参の努力も虚しく、俺は駅前に1人ぽつんと取り残されてしまった。やるせない。俺
の扱いは猫以下か。いや、あんな扱いされても困るけど。
何はともあれ、相方に捨てられた。
+
されど策謀は影と踊る。
「にゃっふっふっふ……成功成功。やったね、組長」
「……いえさー……やりました、団長」
「うぅ……まさか本当にうまくいくなんて」
茂みの中に身を潜め、少女たちは思い思いを口にした。
「さて、それじゃ次行くよ次。作戦第2段階、『あら偶然、まさかこんなところで会うな
んて!? から始まる運命でぃすてぃにー』すたーとぅ!」
少女たちは手を繋ぎ、元気に茂みから飛び出した。
まるで猫のように。
亡霊少女たちの背中が少年を追いかけ、雑踏の間に消えていく。
back | top | next
|