斬-the black side blood union-

back | top | next




 ……2ヶ月前の話だ。
 その日、わたしは駅のすぐそばの踏切に立っていた。
 カンカンカンカンと規則的に鳴る警鐘。点滅を繰り返す赤色の燈火と、向こう側の賑や
かな商店街。
 色抜けたアスファルトに塗られた雑踏の影は長くて、真ん中の線路まで横切っていた。
 長い長い踏切だった。
 困ったな、先生に頼まれたアイスが溶けてしまう。冬前にアイスだなんてよく分からな
いけど、久し振りに食べてみるのもいいかも知れない。そう思って結局3人分買ったカッ
プアイス。
 両手の買い物袋が指に食い込んで痛い。
 周囲の人たちも待ちくたびれているのが分かる。
 それでもまだ、踏切を電車が通行することはなかった。
 ──こんな時、たまに夢想してしまうことがある。
 電車が来る前に遮断機をくぐってしまいたい。そうすればこんな無意味な待ち時間は短
縮できるじゃないか、と。
 もちろん本当に実行するわけじゃない。ただ夢想するだけだ。退屈な時間を少しでも消
費するための、わたしのささやかな逃避行。
 ああ、もしもあの夕焼け空を飛べたら楽しいな。
 そんな程度の、つたないまぼろし。

 ぐしゃり  びちゃ っ

 ……きっと、それがいけなかったんだと思う。
「え?」
 知らない間に、ホームで電車を待っている人たちをぼうっと眺めていた。
 だから見てしまったんだ。
 整然と並んだ人の壁から、ただ1人だけ、前に出てきてしまった少女の姿を。
 長い髪の高校生。
 綺麗なひとだった。
 驚いているのか、受け入れているのかも分からない程度に見開かれた瞳と。
 落下途中の彼女を攫う、巨大な鉄箱の衝突は重くて。
「…………」
 悲鳴を上げる人々の中で、ただ呆然と頬を撫でると。
 なま暖かい感触に、濡れていた。



 ひとの死に慣れることはない。
 それは相手が亡霊であっても、生きている人間であってもわたしにとっては同じだ。
 本当は誰が死ぬ瞬間も見たくはないし、それに出会うたび愕然と震えてしまうのが高瀬
アユミという人間だった。
 だから、決して慣れはしない。だけど埋もれることはある。
 ああ、あの踏切の事故から一体いくつの死をこの目で見ただろう。
 夜の街には死が溢れていた。
 だから、埋もれてしまった。
 だって知らなかったんだ。あの日、電車に轢かれて死んだ子がわたしと同じ名前だった
なんて夢にも思わなかった。
 ……それはまだ雨が降っていなかった頃の記憶。彼女の終わりで、事件のはじまり。
 ただひとつだけ、気に掛かることがあるんだ。
 黒いシミのように残った記憶。
 騒然となる人たちの中で、たった1人だけ、足早にホームから去っていった少女がいた
んだ。
 一体何だったんだろう。
 あの、見えない不吉を振りまく背中。
 貴族じみた微笑の横顔。
 例えるならそれは、童話に出てくる魔法使いのような――。




back | top | next