斬-the black side blood union-

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「ユウヤ君……!?」
 地に降り立つや否や、天使の少女が僕・相沢ユウヤを見付けて青ざめた。
 転びそうになりながら駆けてくる。
 覗き込んでくる潤んだ双眸。それが背後を振り返り、狩人たちに向けられる。
「どうして! どうして傷つけたの!? どうして――」
 優奈ちゃんの瞳には怒りがあった。哀しみがあった。間違いは、訂正しておかないとい
けない。
「違うよ……優奈ちゃん。僕が……僕が彼らに、襲いかかったんだ」
「だ、だめ! 起きあがっちゃダメだよユウヤ君!」
 本当に、必死に泣きつかれる。
 この世の終わりみたいな悲壮感。それを見下ろしていると、強く、強く胸が痛んだ。
「だから留まれと言ったんだ、この大馬鹿者が。死に急ぐと迷惑するのは周囲だ。考えて
動けよこのクソガキ」
「ん……」
 顔を上げると、黒髪の女子高生が呆れたように僕を見下ろしていた。
 雨夜のような瞳。
 綺麗な女性に説教されるほど、つらいものはない。
「ユウヤ君……ユウヤ、君っ!」
「……」
 だが事実だ。
 泣いている。
 泣かせたのか、僕が。
「……心配すんな。ネバーランドの最後の庇護だろ、もう傷が塞がりかけてる」
「っ! ユウヤ君にさわらないで!」
 羽村君が優奈ちゃんを宥めようとしたが、手厳しく跳ねのけられた。
「…………うぉおい」
「うるさい、うるさいっ! これ以上ユウヤ君を傷つけないでっ!」
 頑なに、少女は拒んだ。
「ユウヤ君……痛いよね……ごめんね、血がこんなに……どうしよう……どうしよう」
 ふるふると震える小さな天使。
 かすかに輝きを放つ羽根。
 間近で見ると、やはり、綺麗な子だな。
「え――」
 その時、どくんと胸が震えた。
「――――」
 全域知覚が発動している。
 未来視の映像。
 極彩色の幻視。
 このままだと、ここにいる全員が、捻じ切れて死ぬ。
「な……ぇ?」
 どくん、どくんと鼓動する。
 なんだその結論は。
 冗談じゃない。
 意味が、分からない。
 原因調査。完了。凶器は空に、浮いていた。
「……伏せろ……」
「ユウヤ君……? 何?」
「――!」
 上空の、崩れゆく悪夢の破片が、蠢いて変形しようとしていた。
「上だ! 子供たちを守れ、狩人ッ!!」
 痛む傷も無視して叫ぶ。
 狩人たちの反応は早かった。居心地悪そうにしていた雛子ちゃんを押し倒し、羽村君が
覆い被さる。そこへ赤髪の少女が二刀を手に駆け込んだ。
 呆然と空を見上げた香澄ちゃんは黒髪の女子高生に引っ張られた。彼女の手には日本刀。
この場では1番鉄壁だと全域知覚が告げる。
 僕は優奈ちゃんを引き倒して立ち上がる。
 倒れそうになる。阻止。死んでもこの子だけは守りきる。
 右手にアイスピックを握りしめる。
 ――そして、空から黒い妖精の群れが降り注いだ。
「なんだあれ! 相沢ッ!?」
 数は大したことない。防ぎきれるはずだ。
 だが、痛い。
 傷が燃えるように熱い。失神しそうになる。血が足りない。気を失う。だが、持ちこた
えてみせる。
「ユウヤ君……っ!」
 怯える瞳に笑みを向けた。
 そうだ。僕は、必ずこの子を守りきる。
「――――」
 虫の羽音が近づいてくる。呼吸が苦しい。
 白く裏返った眼球から、だばだばと血涙を溢れさせる妖精たち。狩人が身構える。激突
のわずか数瞬前に。
「――――――え?」
 僕のアイスピックが、音を立てて、崩れた。
 まるで腐り落ちるように取っ手が割れる。鉄の部分も錆びきって曲がり、あっさり地面
に落ちてしまった。
 原因はすぐに分かった。
 全域知覚が回答を告げる。
 西通りの時に1度壊れたアイスピック。修復したのはあの魔法使いだ。あの時に、細工
をされていたらしい。
「……はは……やられた」
 武器が消えた。
 妖精たちは降り注ぐ。あの魔法使いによって、凶悪な呪いを付加されたカミカゼ共が。
 まぁ、悔いはないさ。
 この期に及んでやることと言えば、あとはひとつ――そう。子供たちの心に、傷を残さ
ないようにすることくらいだろう。



 頭上はアユミに任せた。
 俺・羽村リョウジのやることと言えば、万が一相方が失敗したときに雛子の傘になるく
らいだろう。
 相沢には全域知覚がついてる。先生がしくじる可能性もない。だから、1番危険なのは
俺たちなのだ。
「ぐ……!」
 耳元に、ぼたぼたぼたと降り注ぐ。
 嵐のような羽音のあとで。
「はぁ、はぁ――大丈夫。もういいよ、羽村くん」
 息を切らす赤髪の相方。無傷の笑みを見上げると、安堵が胸に広がった。
「さすがだ。任せた甲斐があるよ」
「なに言ってるの羽村くん。っていうかここ、普通逆だよね?」
「ああ雛子、もういいぞ。大丈夫だ」
 不満そうなアユミを無視して、困惑している雛子を起こす。
「……なんだい兄貴。前触れもなく、あたしによくじょーしたのかい?」
「アホガキ。どこで覚えたんだそんな言葉」
 全員無傷。頼もしい相方サマを、いまこそは全力で褒めてやりたい。俺だったら3人ま
とめて死んでたかもな。
「先生は――――」
「おう少年。驚いたぞこのガキ、オレは何もせずに立ってただけだ」
「へ……」
 変わらず香澄は仄暗い。
「……くす」
 仄暗い香澄が、怪しげに笑った。
 普段と何の変わりもないあの少女が、あの一瞬に何をやったのだろう。そういえばあい
つだけまだ呪いが不明だ。強敵かもな。
「…………すまない羽村君。みんなの目を、閉じさせてやって……くれないか」
「「!?」」
 振り返ると、相沢がいた。
「相沢、お前!」
 両手を広げ、泥に染まった相沢ユウヤが、苦しげに立っていたのだ。
「バカ野郎! お得意の予知能力はどうしたんだよ、なにやってやがるこの馬鹿!」
「羽……村、君……早くみんなの……目を、閉じさせ……て」
「何──?」
「早、く……」
「!」
 相沢の全域知覚が視た物を、俺は察した。
 だが理解はできなかった。
 どうしてそんな結末が訪れるのか分からなかった。でも呪いが見える。相沢の中から溢
れ出し、絡み付いて具現化していく。俺は、必死で雛子の目を覆った。
「目を閉じろ! 見るなっ!」
 さっきの妖精――呪いか。呪いを宿してたんだ。でも誰が? 誰がこの期に及んで相沢
を殺そうとしてるってんだ。
「ユウヤ、君……?」
「! 見ちゃだめっ!」
「!?」
 アユミが駆け込んで、優奈を引き剥がし、両目を覆い隠した。
 その間にも呪いは膨れあがっていく。
 ひと1人殺すには過剰なほどに、周囲の空気を焦がす膨大な怨嗟が。相沢はふらふらと
後退して、俺たちから離れていく。
「くそが――誰だ、どこにいやがる……!」
 絡み付いていく呪いは泥のようで。
 もう相沢の姿も見えなくなるくらい、雁字搦めで。
 予知能力者は抵抗もせず呪いに飲み込まれていく。
「ユウヤ君……? なに、やだ……恐い、恐いよ! ユウヤ君!」
 怯える少女を、相沢は安らかな笑みで見ていた。
 その双眸には友愛があった。諦念があった。死を受け入れた、病人の色が確かに宿って
いた。
 俺は視線を巡らせる。
 下手人が見つからない。
 いない。
 止められない。
 先生も厳しい顔を浮かべた。
 相沢に絡みついた呪いが、無惨な結末を招くのは、もう誰の目にも見えていたのだ。
「…………それでも僕は呪い続ける」 
 声が聞こえた。
 蠢く泥の向こうから。
 穏やかな声が、聞こえてきたんだ。
「…………子供に拳を振り上げる親の背後で。笑顔を繕って女児に近づく男の背後で。心
から悲しいと泣く子供に、さらに罵声を浴びせようとする大人の背後で。僕は呪い、そい
つの命を狙い続ける」
 相沢ユウヤの最期の言葉は、慈愛と狂気で塗りたくられていた。
「羽村君、見ろ。罪なき子たちは生き残る。踏み外した罪人は無惨に死ぬ。これが……僕
らの辿るべき、結末だから」
 穏やかに、そして誰よりも痛切に、何かを願った少年がそこにいた。
 少年は辿り着いたんだ。
 きっと手遅れなんかじゃなかった。
 だって最後の最後には、誰かの笑顔を願うことが出来たんだから。
「優奈ちゃん……さようなら」
 だからきっと間違いなんかじゃなかったはずだ。
 方法は間違っていたけど。
 色々なことを、何度も何度も間違えてしまったけれど。それでも――きっと。
「出来るだけ、君の笑っていられる日々が……多くありますように」
 祈り。
 そして、壊れた。




 恐る恐る、周囲を見る。
 香澄の目は先生が。
 優奈の双眸はアユミが覆っていた。
「なに……? 何が起きたの……?」
 優奈が不安そうに声を上げる。
 見せてはいけない。
 それは相沢の遺志に反する。相沢ユウヤは、子供たちの心に傷を残さないよう、俺たち
に目を閉じさせたのだから。
「アユミ……」
「……うん」
 アユミがそのまま優奈を引き連れ、後退していく。
 優奈はない力を振り絞って懸命に抵抗した。
「何……やだ、放して! いや! やだよ、放して! どうして!? どうして隠す
の!? ユウヤ君! 何か言ってよ! ユウヤ君! ねぇ、ねぇってば! いや……そん
なのやだ! うあ、ああああああああああああああっ!!」
 悲痛な声が、遠ざかる。
「…………」
 周囲を警戒する。
 しかしどれだけ待っても静寂のまま。襲って、来ないのか?
「……先生」
「西南西200m。遅い。もう逃げられた」
 ギリ、と歯を食いしばる。
 ふざけやがって。
 いっそ襲ってくれば、返り討ちにして墓前に添えてやるってのに。
「…………」
 胸の中が冷えていく。
 氷の鼓動。
 とくん、とくんと脈動していた。
 腕の中の温度を思い出す。
「雛子、分かるか。相沢が死んだ」
「……うん」
「見ない方がいいと思う」
「……うん」
「相沢はお前を殺したひどい奴だ。でもな」
「……うん」
 俺は今度こそ、心から疲れ切った溜息を吐いた。
「ちっとも嬉しくないだろ? 覚えておくといい。これが、人が死ぬっていうことだ」
 長い苦い沈黙のあとで。
「…………うん」
 雛子は静かに、頷いた。
「行くぞ。少年」
「えぇ」
 最後に、相沢に何かを言おうとして。
「…………」
 何かをやり遂げた死に顔に、哀れみを押し付けるのはやめにした。




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