斬-the black side blood union-

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 仲間は早々に引き上げていった。
 冷たい奴らめ。
 あんなにも気丈な特攻を見て、何も感じなかったのだろうか。
「……ったく。がんばりすぎだ、バカ」
 いっそうボロボロになった林。
 全身が痛い。辛勝だった。腕の中で眠る、こんな小さな少女がここまでやったのだ。
 いまは、静かに眠っている。
 天使の寝顔を見下ろしながら、俺は情けない息を零した。
「はぁ……無害認定、受けられるといいんだけどな」
 だが、現実は厳しいかも知れない。
 なにせこれだけ強いんだ。
 仮にも狩人である俺が苦戦した。その事実が、何よりも不味いのかも知れない。
 ふん、と皮肉に鼻を鳴らし、俺は邪悪に目を光らせた。
「しゃーない。いっそこのまま、先生の目を盗んで県外に逃がし――」
「……雛子ちゃんは無害だよ」
「誰だ!?」
 どこからともなく声が聞こえた。
 聞き間違いだったかも知れない。
 そのくらいに、儚い声だった。
「……」
 がさごそと茂みが揺れて、俺の前に1人の見知らぬ少女が姿を現した。
 仄暗い少女。
 消えそうな声で、夜に溶けそうな儚い微笑で呟いた。
「……安心して。雛子ちゃんは、雛子ちゃんのままだから」
 そのまま寄ってきて、姉のように雛子の額を撫でた。同い年くらいだろうけど。
「……止めてくれてありがとう。ケガしなくてよかった」
「あ、ああ。お前は?」
 俺が尋ねると、少女は立ち上がり、変わらず眠そうな目のままで自己紹介した。
「……西条香澄。雛子ちゃんと優奈の友達」
 覚えのある名前。
 1人だけ行方が分からなくなっていた少女。こいつだったのか。なるほど確かに、目を
離した隙にフラフラいなくなりそうな気配。
 こいつ、香澄がここにこのタイミングで現れるということは。
「そうか。さっき、最後に雛子を転ばせたのは」
「……うん、私」
 肯定して、少女は少しだけ俯いた。
 優奈と共にネバーランドに荷担するでもなく、かといって雛子と共に無茶やるわけでも
なく。1人物陰で、2人を見守ってたんだな。
「助けられちまったな」
 あの時、最後の瞬間。香澄が雛子を転ばせなかったら、今頃倒れていたのは俺の方だっ
たかも知れないのだ。
 香澄は真っ直ぐに俺を見た。
「……あとのこと、任せても、いい?」
 利口な少女だった。そして行動力もある。何より片意地を張らずに、無理なことは無理
と大人に頼ることが出来る。
 もちろん、俺の答えは決まっている。
「任せとけ」
「……うん」
 またひとつ約束が出来た。
 頼まれたからには、急いでアユミたちを追わないといけない。雛子を背負って、立ち上
がる。
「……待って」
「ん。どうした?」
「……やっぱり……子供相手にカットボールは、卑怯だと思う」
 何のことだ、と問い返そうとして息を呑む。
 カットボール。
 俺の得意球だ。
 野球なんて滅多にやらないが。
「…………お前……」
 香澄は静かな微笑で、直径7センチのボールを取り出した。表面がほんのりと焦げてい
る。それを俺に向けてひょいと投げた。
 このボールは、知っている。発火した。どこかの怪力バカが、不覚にも人の限界を超越
して焦がして失くしやがったんだ。
「……今度、私も混ぜてほしい」
 ──とても綺麗なものをみた。
 影を打ち消す星の双眸。西條香澄は、一輪の花のように笑っていた。
 俺は片手でボールを受け取り、自然に笑い返して、挑戦的に拳を突き出す。
「ああ。でも、手加減はしないぜ?」
 そのとき俺は、閃いた。
「――――」
 答えは、手の中にあったのだ。



 ――またこの夢だ。
 深い浅い眠りの中で、あたし・吉岡雛子は落ちていく。
 白い黒い闇の中。
 かすかに見える、大勢の大きな背中たち。
 ――またこの夢だ。
 孤独に彷徨うだけの世界。
 夢は記憶の再生だから、あたしは出発地点に帰っていくんだ。繋ぎ直すように。眠るた
びに。目覚めの時にまっすぐ向かって。
 ――また、この、夢、だ。
 終章から序章へ。
 忘却から約束へ。
 結末から冒頭へとさかのぼり、あたしの記憶が紡ぎ直されていく。まるで、何かを探し
ているように。ノイズだらけの記憶の中を。泳ぐように逆再生していく。

 始まりは、1人ぼっちの街の中から。

   『そうして私は居場所を失くし、太陽のない世界を彷徨うことになる』




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