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斬-the black side blood union-
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「ん……」
爽やかな朝だ。
暴力魔女に振り下ろされる日本刀もなく、窓から見る空は綺麗に晴れ渡っているし、こ
れ以上を望むのは無理だろうってくらいのいい目覚め。
体を起こすと、安物ベッドがみしりと音を立てた。
簡素な部屋。
CDラックとラジカセとクローゼットくらいしか見当たるものがない、そんな俺の慣れ
親しんだ自室だ。
転がっていたスリッパを履いて、フローリングの床を歩く。
今朝の食事当番は、昨晩に引き続いて俺。
早めにキッチンへ行って何か用意しないといけない。
まぁ先生は起きてこないだろうけどな。昨日の異常なし報告でしばらくは休日だと確定
している。
先生が来ない。いいことだ。
こんな素敵な早朝は、公園に行ってピッチング練習でもするのが吉だろう。
昨日の雛子は今日もきっと来るだろうし──
「ん?」
そんなことを考えながらドアを開ける。
開けた瞬間に、違和感を感じた。
「せいっ」
誰かの声、それに続いて風切り音。
俺は緩やかに首を揺らし、飛んできた日本刀の死突を回避した。
「………………。」
ぼうっとその人を観察してみる。
何のために起きていたのか、相変わらず先生が意味もなく俺の鼻を突き刺そうとしたの
だった。
「おはようございます先生。こんな爽やかな朝にまで日本刀を持ち出すなんて、先生はも
しかして平穏が嫌いなんですか?」
「いやなに、ただの挨拶だから気にするな。おはよう」
黒髪の美人が風の動作で日本刀を仕舞う。
その姿はいつもの黒セーラー服。そうか、そういえばこの人学生だったな。休日もくそ
もない。
「そうですか、ただの挨拶ですか。では俺は急ぐのでこれで」
「急ぐ? 何をだよ少年、せっかくの休日だ。一緒にのんびりしようじゃないか」
ぐいとシャツを掴まれる。
「いえ、たまにはボール投げでもしようかと思い立ちまして。先生は学校でしょう? が
んばってくださいね」
階段を1段下った。
2階に立ったままの先生は2秒ほど思案して、あっけなく学業を放棄するのだった。
「ふーん……何か裏があるとみた。少年、楽しそうだからオレも混ぜろっ」
よし、遊びに行くぞーっ! とか言いながら俺の背中に飛びついてくる女子高生。落ち
ますってば。
+
「おい少年、野球やるのにバット持って行かなくていいのか?」
「いりませんよ。今朝の種目はキャッチボールですから」
わしゃわしゃと歯磨きしながら先生の声を聞く。
「……」
洗面所の外からこちらを観察していた女子高生は、何故か不服そうに半眼してからバタ
バタと2階に上がって行った。
どたどたどた───バタバタバタバタバタ、ぽいっ。戻ってきて何かを投げてくる。
「まったく、食事当番が終わった瞬間に腑抜けやがって。さっさと着替えろ」
「あ、どうも」
投げ渡された服を拾い上げながら返事する。
色の濃いエドウィンに衿の広い白ロンティと、この前買ったばかりの黒いモヘアパー
カー。加えてネックレスではなくネックベルトを用意して来るとは文句の付けようもない。
この組み合わせなら革靴よりスニーカーかな。ナイスコーディネート。
「それにしても羽村。いまお前のクローゼット見てきたけど随分と偏った趣味だな。どこ
を探しても黒色ばかり、ドギツイのやらソフトなのやらとにかく黒黒黒。なんだかアニメ
の悪者みたいだったぞ」
突っつかれるように言われてムッと見返す。
俺が視線を向けた先、そこで腰に手を当てて薄く笑んでいるのは肩までの黒髪と喪服じ
みた黒セーラー服、真っ黒な瞳に靴下まで黒という黒ずくめ星人だ。
「人のこと言えますかね、外見どころか中身まで真っ黒な魔女サマが」
「心外だな。オレほど純朴で真っ白な美少女は、この地球上のどこを探したって2人とい
ないぞ?」
「なにが美少女ですか、不老魔女のクセに」
サラリと隠された真実を呟きつつ歯磨き終了。
「……先に出てる」
「どうぞどうぞ」
不老魔女は禁句だったのか、急にしおらしくなった先生が洗面所から立ち去る。
俺は顔を洗ってサクサク着替え、玄関で新品ボールと睨めっこしていた先生の言葉を聞
いた。
「わざわざ買ってきたのか? ボールなら確か倉庫にひとつ、」
「倉庫のヤツは昨日アユミが吹き飛ばしてくれましたよ。M78星雲辺りまでひとっ飛び
で」
「む」
下駄箱からナイキのバスケットシューズを引っ張り出して履く。色は黒……。
「なぁ羽村、それは打つ方か? っていうか打つ方だよな? じゃないと有り得ないよな、
さすがにあのアユミでも」
「残念ながら投げる方ですよ。なんかボールが発火してたように見えましたけど、あれた
ぶん錯覚じゃないと思います」
「……」
不味そうに沈黙する先生。
先に玄関を押し開けると、冷たい空気が一気に流れ込んできた。モヘアパーカー正解。
「ん──おい、なんだケガしてるのか」
「へ?」
「いや、その左手。血が出てるじゃないか」
指摘されて初めて気が付いた。一体どこで引っ掛けたのか、俺の左手の甲から血が流れ
ていた。
「え……あれ、いつの間に」
「───────」
無言で手を取られる。血が出ているらしき箇所のそばを押さえながら、先生は間近から
俺を見上げてきた。雨夜のような瞳。
「痛むか?」
「いえまったく。というか、怪我すらしてませんよね、これ──」
少し、肌寒くなった気がした。
怪我してないのに血が出てる? どういうことだ、これ、は。
「…………。」
何か思うところでもあったのだろうか。
先生はしばし、考え込むように俺の左手を見下ろしてから、真顔で告げた。
「不思議だな」
「いやあの、先生ってたしか俺の先生ですよね? なんか核心突いたセリフのひとつやふ
たつ言ってくれてもいいような」
冷や汗を流しながら訴えると、先生はぱたぱたと手を振りながら玄関を出て歩き始めた。
「そんなもんオレが知るか、オレの守備範囲は原因の分かってる面倒くさくない怪奇現象。
だからそれ以外は葬儀屋の仕事だ、正直どうでもいい」
つまり、自分は面倒事はとりあえず仕事仲間に押し付ける姿勢なんだと言いたいんだろ
う。最悪だ。人として。
「ま、いまはそんなことよりキャッチボールなのだよ少年。さあ、師匠との心の会話を楽
しみに行こうじゃないかっ」
黒髪美人がキラキラと笑う。どーにもなんか、胡散臭い人だ。
「…………。」
ポケットティッシュを取り出して、ごしごしと原因不明の血液を拭き取る。
何なんだろう、これ。
+
錆びていく街・縁条市。
色抜けた坂道を下り、歩き慣れた寂れ商店街を抜け、そして目的地の公園にたどり着い
たところで唐突に。
「───────」
平和な休日は終わった。
「……羽村」
周囲は人集り。
警察よりも先にこれを発見してしまって、困惑と嫌悪に支配された人々。
俺はその真ん中に立ち尽くし、目の前の光景を愕然と見下ろしていた。
ぎこちない唇が、小さく動く。
「…………何してるんだよ、お前」
世界がゆったりと揺れている。
答える瞳はがらんどう。
生気を完全に失いきった真っ暗な絶望だけがそこにあった。
「……起きろ、雛子。野球だよ。野球するんだよ、俺と一緒に」
血まみれの白肌。
小さな体躯のあちこちに穿たれた無数の穴と、泥のような血液。覆い隠す衣服さえ剥ぎ
取られた腹腔からは、渇いた内臓が溢れていて、酷かった。
虚ろな目が永遠に空を見上げている。
絶望。
腹を割かれ顔を刺され、そうして死んだ吉岡雛子。
「…………っ、」
俺はグローブとボールを投げ捨てた。
なんだよこれは。
何なんだよこれは。
なんで?
どうしてここまでする必要がある?
ここまで完膚無きまでに人権を、この少女のすべてを略奪する理由があったのか?
抉り出された子宮が転がっていた。
少女の顔の真横で握り潰されていた。
……吐き気がする。嫌悪が意識を掻き混ぜる。
「──もう見るな」
背後から引っ張られた。
「帰るぞ羽村、あとは警察に任せよう」
俺は顔も上げられず、先生に続いて、殺人現場をあとにした。
「…………」
何をしていたんだろう。
何も考えたくない。
いや、俺はそもそも──
「…………」
とくん、とくん。
ふと胸に手を当てると、氷の鼓動が鳴っていた。
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