斬-the black side blood union-

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「うにゃぁ」
 小さく鳴いた野良猫を見下ろして、アユミがぱあああっと目を輝かせた。
「先生、見てください! 猫ですよ猫! ナマのホンモノ猫ですよ~!!」
「………………」
 見向きもしない先生に構わずアユミは白猫と戯れる。ちなみに昨日は三毛猫だった。
「……むぅ」
 俺は勘ぐる視線で先生を見る。
 状況はこうだ。
 早々に朝食を終え、二度寝の至福を味わおうとしていた俺はベッドから引きずり出され
た。
 何が気に入らないのか、呆然としている俺を不機嫌そうな瞳でひとしきり見下ろしてか
ら、先生は「ついてこい」と言って俺とアユミを連れだしたのだ。
 ──意味が解らない。
 学生でもない俺たちがなんでこんな朝っぱらから出歩かなくちゃならないんだ。
 日差しは白い。冬前の空気は冷たい。
 色抜けたアスファルトの坂道を下りながら、木漏れ日の眩しさに目を細める。眠い……。
「何か言いたそうだな」
「え?」
 そういえばこの錆び錆びなガードレールって実際役に立つのだろうか。そんなどうでも
いいことを考えていた俺は、坂を歩くその高校生に顔を向けた。
 不意に自動車が駆け抜けて黒髪とセーラー服を揺らす。
 細い手に学生鞄なんか握って、姿勢正しく前を向いて歩いている姿なんてどこからどう
見てもただの高校生。
「羽村、言いたいことがあるならさっくり言えよ。子供の内から自分の意見を抱え込み過
ぎるとマトモな大人にはなれないぞ」
「はぁ……さようですか」
 まるで出来の良いお姉様のみたいな口振りでございますね。ウソくさいけど。
「…………」
「ん? なんだよ」
 俺は彼女の高校生姿が擬体であるという事を知っている。この人に似合うのは学生鞄で
はなく日本刀だ。
 夜の街、血の匂い。白肌に浴びた朱の色と黒髪のコントラスト。
 清々しい朝ではなく暗澹とした夜こそがこの魔女の本来の居場所なんだ。間違っても
『出来の良いお姉様』になんてなれやしない。
「別に、聞きたいって訳でもないですが。どーせマトモな理由じゃないでしょうし」
「なるほど、どうして朝っぱらからお前達を連れ出したかって? 決まってる。学校まで
の見送りをさせるためだよ」
 尋ねてもいない質問を口に出され、聞きたくもない答えまで返された。
 見送り?
 あなた一体、いつからそんなお上品になったんですかね。
「何か言ったか?」
「言ってません、まだ何も口に出してないから勝手に読心とかしないでください」
 ギラリと光った高校生の瞳が怖ろしくて、スパッと顔を背ける。
「ねこさーん、にゃんにゃーん」
 眼を背けたら背けたでバカ時空が視界に入る。やってられない。仕方なく、俺は俺自身
の内面に眼を向けることにした。
 ──羽村リョウジ、15歳。書類上の扱いは「行方不明者」。
「…………はぁ」
 思わず溜息が出た。
 無戸籍、行方不明者。きっと捜索願も提出されているのだろう。もう何年間も、羽村リ
ョウジという人間は社会の枠組みから外れてしまっている。
 両親が交通事故に遭い、突然1人きりになってからしばらく後のことだ。
 思い返されるのは夕暮れの自室だったり、放課後の教室だったり、親戚に連れ出され車
に乗った際の、浮遊する両親の亡霊だったりと色々だが、もはやそんな記憶には意味も感
傷もない。
 ──羽村リョウジは死んだのだ。
 社会的に。
 この国の法律を越え、外側の世界へと飛び出してしまった。
「羽村くん、猫さんだよ猫さん。ナマのホンモノ猫さんだよ、可愛くない?」
「ああそうだな、そりゃ不思議だな。
 こんな小さいのになんで生きてるんだろうなコイツ。白なんて目立つ色のクセに犬にも
カラスにも襲われず、こうやって当たり前のように生きてるなんてすごいよ」
 そうして辿り着いたのは、ここだ。
 この街で先生に拾われ、アユミと出会い、幾年もの歳月を経てここに立っている。
 きっと俺はこの野良猫と同じだった。たぶん、こうやって当たり前のように生きてるこ
と自体が奇跡だった──
 長い坂道の途中で。
 落葉混じりの朝日を見上げながら、思う。
 ──正直、それが良いことなのか悪いことなのかは、俺には解らないのだが。
「でも……とりあえず、ネコとかはどーでもいい」
「んなッ!?」
 大袈裟な反応にこっちがたじろぐ。
 少女はしかし、あくまでも真剣な瞳で俺を見上げてきた。
 ──やばいよ、こんなにも可愛い猫さんに興味ないなんて、このひと絶対に正気じゃ
ないよぅ──そんな目だった。
「……いいよ。羽村くんはわたしの敵だったんだね、よくわかった。ふんっ」
 ぷいっと顔を背けて、猫を抱きかかえた赤髪の少女が、先を歩いていた先生のもとに駆
けていく。
 あれは普段はあんなんだが、模擬戦では俺を完全に圧倒する優秀生だ。
 バカだけど、頭が悪いわけじゃない。怪力娘だけど、暴力なんて好きじゃない。それが
あの不思議な少女の性質だった。
 遠くなった背中を見ながら思う。
 色抜けた日差しの坂道で、数秒後には2人が同時にこちらを振り返り、「早く来なさ
い」と告げてくるわけなのだが。
「──まあ、要するに。」
 恐い姉と、優秀な妹。
 その間に挟まれて1番苦労するのが俺、羽村リョウジという人間の役割なのだろう。
 つくづく損な役回りだとは思うが。
「何してるんだ少年、早く来い。オレを遅刻させる気か?」
「羽村くん、もうおっそいよーっ! そんなんだといつかカメになっちゃうよー、この両
生類さん!」
 それもまぁ、悪くはないかな。
「やれやれ……亀は爬虫類だっての」
 坂の下で待つ2人に向かって、少しだけ歩調を早めながら──俺は歩き慣れた住処、錆
びていく街「縁条市」を見下ろした。




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