今日は暑苦しいくらいにいい天気だ。本当に暑苦しい。
「……ヌルい」
氷屋の腕が悪いのだろう。自前で術式を形成し、仕事で何千回と繰り返してきた氷の基礎魔法を発動する。何やってんだろうかと思いながらも、キンキンに冷えていくトロピカルジュースを見ていると気分が晴れる気がした。
「おや、昼間から大した浪費だ。仕事はいいのかい」
「む。」
前方から、仕事を終えた男衆が声をかけてくる。郵便屋と埋葬士だった。郵便屋の方は脇に膨らんだカバンなんか抱えている。封筒が溢れ掛けていた。
「……大盛況ね。郵便屋は儲からないんじゃなかったの」
「お陰様で。勇敢なアイス売りのお嬢さんに助力して頂いたお陰で、ご覧のとおり、この町での商売も滞りなく行うことが出来た。次の町へ行ったら大忙しだよ」
やれやれなんて顔をハンカチで仰いでる。ちなみに、お嬢さんとか言ってるけど実は私のほうが年上だ。教えてはあげない。
「で、そっちは相変わらず繁盛してないのね」
「無念だがな。感謝の意で死人が増えるはずもない」
黒色ローブの埋葬士は、相変わらず不景気そうだ。ふと通りがかった女の子たちが私たちの姿に気付き、ヒソヒソと興奮気味に話し合って視線を送ってくる。郵便屋さんは爽やかに手を振り、埋葬士は仏頂面で無視して、私だけが反応に困っていた。
「……こういう時は、嘘でも笑っておいたほうがいい。どこから仕事に繋がるか分からないからね」
さすが個人経営。私は持ち前の接客力でもって飛びきりの笑顔を構築し、薄っぺらなハリボテの愛嬌を振りまくことに成功した。
「急に、どうした。気持ち悪いぞその嘘しかない笑顔」
黒いのがうっさいので、脚を踏んでおもいきり黙らせる。女の子たちはきゃーきゃー言いながら手を振って去っていった。無駄に鉄ブーツの埋葬士は、ダメージ0で平然と言ってくる。
「……まったく、アイドル扱いだな。魔物一匹追い返しただけでこれか」
「お願い、黙って黒いの。私のこの、捻挫しかけた足首の治療費置いて秒で帰って」
ニヒルに肩を竦められる。硬かった。岩を踏みつけたようだった。成り損ねた魔道士モドキの分際で、無駄にバトルブーツだなんて。
「しかし、埋葬士の言うとおりだな。俺も正直驚いているよ。こんなに仕事をもらったはいいが、これでは、利益のために戦ったようで癪だな」
「その通りだ。気分が悪い。報酬狙いだと思われているんじゃないだろうな」
笑ってしまう。何なんだろうこの二人、戦闘ではあれだけ華麗だったくせに、こうしているとそこらの捻くれた少年のようだ。
「何言ってるのよ。あなたたちはこの町を救った勇者なんだから、相応の待遇を受けるのが当然じゃない。報奨金が出てないことの方がおかしいと思うわ」
双方沈黙。二人ともしおらしい顔をして、心なしか重い空気だった。
「……犠牲になった魔道士たちが、な。」
「ああ。遺族のことを思うと、やりきれない」
「…………そうだね……」
魔物を討伐し、運良く生き残った私たち三人は、町長から盛大に表彰を受けた。まるでお祭り騒ぎだったけど、同時に読み上げられた魔道士たちの名前の一つ一つが、生き残ってしまった私たちの胸に重くのしかかっていた。
あれ以来、私たちは少しばかりのアイドル扱いを受けている。郵便屋さんなどは、郵便屋だと判明するや大量の手紙を依頼される始末だ。だからといって、埋葬士の仕事が増えるわけではないが。
「なぁ郵便屋。魔道士でない俺たち“だけ”が、何故か不思議と生き残っている」
「……ああ」
「それが魔道士なのだろうな。例えばあの、加速の魔法結界で連携していた二人。彼らは後がなくなった時、俺たちが特攻を仕掛ける前に自分らが先んじて特攻を仕掛けた。火炎魔法による蒸発狙いなんていう効率の悪い手段にも関わらず。……無論、俺たちが突っ込めば、死の危険性が高まるからだろう」
郵便屋さんが瞑目した。黙祷するような、深い深い沈黙だった。
「…………やっぱりそうか。守られたんだな、俺たちは」
「ああ。恐らく」
思うところないはずがない。魔道士たちは本当に死んでた。店長も。みんなが思うより、本当にあの場所は死地だったのだ。
「……怖いね。まるで戦争みたいだった」
「戦争さ。生きるか死ぬかの場所っていうのは、例え小規模でも小さな戦争なんだ」
それが分かっているからあの時、郵便屋さんは喫茶店を飛び出していったのだろう。
……店長が言っていた。傭兵の仕事はとても重要なものだから、お金になるって。アイス売りなんてやめてしまってもいいくらい儲かるって。無知だった私はそれをずるいとさえ感じたけれど、なんて馬鹿だったんだろう。私は、私たちは兵士や魔道士たちに守られて安心しきっていたのだ。外の脅威を振り払ってくれている彼らの任務を見もしないで、理解すらしないで分かったつもりになっていた。
「で、お前らはこれからどうするんだ」
仏頂面の埋葬士が、固く腕組みして言ってくる。郵便屋さんはいつでも爽やかだ。
「別に、何も変わらないさ。次の町へ行って郵便の仕事をするだけだ。一枚たりとも届け漏らすわけにはいかない」
「……また、一人で町を出るの?」
私は不安だった。魔物の危険性を改めて思い知ったいま、外を一人で出歩くのは避けて欲しかった。
「いいや。今回は、渡り行列を待とうかと思う。タイミングもいいからね」
「そう……」
よかった。出来れば、早めに旅の相棒なんかが見つかってくれることを祈っておこう。
「じゃあ、黒いのはどうするの?」
「俺も変わらん。この町で埋葬士としてやっていくさ。シケた商売だが、今回の件で食いっぱぐれにくくなったのは確かだろうからな」
攻撃魔法の才能を持たない、魔道士になれない埋葬士。悲しいが、彼は彼なりに自分の人生と折り合っているのだろうか。
「で――問題は、キミだ」
「ほい?」
トロピカルジュースのストローをくわえて誤魔化す。埋葬士が疑問符を向けてくるが、郵便屋さんは残念ながら事情通なのだ。
「結婚、するのかい」
「ほう…………?」
黒いのがニヤリとした。興味持つなうぜぇ。
「ん~……」
視線を右へ逃がしながら、私の心は魚のように川を泳ぐ。実はもう、目的地は決まっていた。
「しない。ていうか、転職する」
「何……つまらん」
黒いのが渋い顔をする。再度バトルブーツを蹴りつけるが、こっちは素足にサンダルだったのを忘れてた。
「私ね、田舎が嫌いなの。閉じた環境も嫌い。昔、狭い狭い田舎町で閉じこもってさ、それが嫌になって飛び出したのを忘れてたんだよ」
忘れもしない、あの、日ごと窒息していくような息苦しさ。どこへも行けない人生を生きる退屈さ。……奇妙な話。私はいつの間にか、この都会で、『学がないから』と自分の未来を見限って昔のように窒息しかけていたのだ。
「まぁなんていうか、強烈な体験をしたせいで変わっちゃったのかも。あるいは思い出したのかな。昔みたいな――」
小娘だった頃の、無謀さを。どうして忘れていたんだろう。自由というのは、自分からの解放のことなんだ。凝り固まってしまった自分自身という牢獄から脱却する時、その時の星空はきっとあの日と同じ鮮やかさをしている。
「と、いうわけで勉強してもっといい所に再就職するの。今年いっぱいまでアルバイト生活しながら、毎日勉強して資格とか取るから。悪い?」
二人の男は、らしくもない穏やかさで私を見ていた。特に黒いのが子持ちのオッサン化してる。
「悪くない選択だ。二十七歳ならまだ、やり直しは十分に効くだろうからな」
「ああそうだな――――ん、二十七? 誰が二十七歳なんだ?」
郵便屋さんが混乱している。本当に遺憾なのだけれど、実は、私からすると彼は『男の子』と呼んでも差し支えない年齢なのだ。
その日はそのまま、カフェテラスで談笑してから食事に出かけた。無論男たちの奢りだ。夜にはお酒を飲んで、調子に乗っていろんな事を話した。思い返せば、友人と飲みに行くなんていつ以来だったろう。
……友人? ああ、私たちは友人なんだ。夜のカウンター席で、不意にそんなことに気がついてしまって笑みが零れた。
「どうしたんだ? さっきから一人でくすくす笑って、酒が回ったのか」
「うん、酒が回った。今日は本当にいい気分」
毎日安月給の仕事だけに溺れていた私は、どれだけのものを見失っていたんだろう。どれほど大切なことを置き去りにしていたんだろう。一体、いつからあんなに乾いてしまっていたんだろう。
「すまん、この瓶ビールが泣けるほどぬるい。どうにかなるか?」
「はいはい、任せなさい」
魔法を発動し、ビール瓶をキンキンに冷やしてやった。酔った埋葬士が歓声を上げ、それを見てばかみたいに笑う。こんな余分。いまはたったこれだけの遊びがこんなにも楽しい。けれど、その瓶ビールで不意に、店長のことを思い出してしまった。
そういえばあの日、いつものように現れた店長が、ビールを冷やせと偉そうに命令してきたんだっけ。
「…………あれ?」
ぽろりと、目から何かが零れた。そうだ店長はもういないのだ。もう二度とああやって、意味もなく店員の家を回ったりもしないのだ。くだらない事を延々と偉そうに喋ることもないのだ。不意に真剣な顔をして、魔法を考察することも一生ないのだ。
「ああ、やだやだ……」
ゴシゴシと目をこする。どうにも、私は時間差でようやく理解することが出来たらしい。人が死ぬっていうのはいつもこんな感じだ。
郵便屋さんが、埋葬士がつまらない話をしてくれる。私も同じくらいつまらない話をした。そんなたったそれだけの事が、人間は楽しくてしかたがないのだ。
薄暗いバーの中は、騒がしい。塀に囲まれ、傭兵や魔道士たちに守られたこの町で、みんな活き活きと生活している。それぞれの人生に営みに必死になって生きている。それはこの世界のどこにでもある光景で、本当に、有り触れたものなのだ。
誰が世界を救うことも、伝説に選ばれるわけでなくとも物語は続くのだ。私たちのような、この世界の隅で生きる名も無き雑草にも等しく人生はある。
名も無き花
-heart of weeds-