斬「毒花」

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「ちィ……」
 かなり危険な状況に立たされていた。ひとまず周囲を見回すが敵影なし、なんとか凌ぎきれたらしい。
 5階建て美術館のその3階、タイル状にガラス張りされた窓に背中を押し付け、俺はずるずると崩れ落ちた。ようやく休憩だ。息が切れていて、汗も滴り落ちていく。
 夜の美術館は真っ暗だった。緑色の非常口案内と、ところどころ灯されたお情け程度の蛍光灯くらいしか明かりになるものがない。
 無音――。
 本当、この美術館、人を飲み込むみたいにまっくらで広大だった。だからこそこうやって逃げ延びる隙間もあるわけだが。
 さっきの光景を回想する。美術館の五階の真ん中あたり、四叉路のところで大量のマネキンに襲われた。ホラー映画もいいとこだったが、実際に槍持って襲ってこられればジャンルはスプラッタに早変わりだ。死体役は、もちろん俺。
 あの瞬間は廊下の大気が焦げるような熱で満たされているのを感じた。強い耳鳴りがして、吐き気も催したし、強力極まりない。大量のマネキンを操るってのはどういう呪いだ?
 ――“呪い”。願望を具現化する擬似現象、精神の暴走を代価に幻想を実演する異常現象。俺たち異常現象狩りの天敵だか標的だか。
 世には呪いから成る亡霊(第一)や呪いを操る呪い持ち、加えてその他第二から第五に数えられる五大異常現象が跋扈している。番外に災害跡地特有の魔王現象なんてのもあるが勝利不可能な地獄なので忘れておく。
 異常がいれば被害者が生まれ、被害者が生まれれば俺たちのような守護者が必要になるわけだ。異常現象狩り、“狩人”。その見習いがこの俺羽村リョウジだ。
 窓ガラスに映った、茶髪に片ピアスと黒服の目付き悪い少年、俺。休憩を終え、RPGの飛空艇の内部みたいな美術館を歩き始める。今宵の遠足は俺と、相方と先生の三人編成だったのだが、嘆かわしいことにさきの呪いマネキン急襲ではぐれてしまった。それほどまでにヤバイ状況だった。ケータイ不通、ここまで見てきた限り美術館内は無数のマネキンに上位ザコらしき鎧甲冑共、さらに中ボスらしき天使系の石膏像、そして大ボスらしき怪物を模したスクラップアート(金属製)に、これら美術品を呪いで操っているラスボスと目白押しだ。
 ラストダンジョンで仲間とはぐれた。パーティー内の最弱キャラが俺なので、これはもはや終わったといえよう。
 なにより、
「………………はぁ」
 カラの右手を見下ろした。こればかりは本当にいただけない。俺の唯一の武装である短刀・落葉を紛失してしまった。先のマネキンたちに襲われた時だ。拾って死ぬか諦めて生きるかだったのだ。
 空間が拓け、唐突に大聖堂じみたコーナーに到達する。現れたのは四体の鎧甲冑、全員が模造剣持ち。
 気休めに拳を鳴らし、ファイティングポーズ、ステップ。大気が焦げ、少女の笑い声を幻聴した。
 群がる盗賊のような軽快さでやってくる、かつては気高さの象徴であったであろう騎士甲冑四体。無手の羽村リョウジに、一体どこまで出来るんだろうか?



 一体を蹴り砕いて、問答無用で逃走した。対多人数戦の常道だろう。どんだけ鍛えようが人間の対処には限界があるのだ。
 首のない天使像を見上げながら無人の廊下を抜けていく。――そう、例え未来を先読みできたとしても、人間の対処速度には、あっけないほどに限界がある。腕一本で同時に二人を殴れないように。原則ほとんどの武道が一対一を基準としているように。
天使像の足元に身を潜めて、鎧甲冑たちが追ってくるのをやり過ごす。
「…………はぁ」
 何とかなった。蹴った感じそれほど頑丈ではなかったし、中身もいないためあっさり分解してしまったのだが、それにしても何なのだろう。
「操り人形の呪い、とか……?」
 推測の域をでない。しかしこれほどの数を自動化している時点で、ヘドが出るほどの規格外なことだけは確かだ。
 一体、どんな呪い持ちなのだろう? こんな美術館を占拠して、何を企んでいるっていうのだろう……。
 だらだらと階段を上がりながら、以降の方針を思案する。
 ひとまず――――武器を失ったいま、俺一人でラスボスを打倒するのは不可能だ。とっとと離脱して安全圏に逃れるか、相方や先生と合流して状況を変えるかだろう。特に相方の方は二刀使いなので、最悪片一方を貸してもらおう。あいつなら素手でも遜色ないし。
「…………ったく……情けねー」
 ともかく嫌だ。こんな暗い場所でマネキンに溺れて野垂れ死になんて御免だ。是が非でも生き延びてやるぅ、と誓いを改めるがしかし――

「――――――こんばんは。奮戦ごくろうさま」

 すべての目算が大破した。辿り着いた四階のホールで、そいつは間違いなく俺を待ち伏せていた。
(な………!?)
「ねぇ、さっき天使像の後ろに隠れていたでしょう。気付いてて階段の方に誘導してあげたんだよ。いつまでも隠れんぼしていたって仕方ないから」
 咄嗟に階段に身を隠そうとするが、完全に遅い。女は俺を待ち構えていた。逃げ出そうと階下を見れば、数を増やした鎧甲冑共が、群れをなして駆け上がってくる場面だった。
 その機械的な足音に、ああ終わったな――――と理解した。
 顔を上げる。女は金髪で、黒いパーカーのフードを深く被っていて、顔は伺えない。うさ耳フードの愛らしさがシュールだ。死の瀬戸際にああいうのを見ても異様さしか感じない。
 造花のようなスカートから伸びた脚が、一歩、俺を殺すためにやってくる。その右手に。
「てめぇ……!」
 闇色の少女は、あろうことか見覚えのある短刀・落葉を握りしめていた。
「さ。お雑魚さんはチャチャッと仕留めちゃうよ、ごめんね。私これからまだ仕事が残ってるの」
「ざけん、な――ッ!」
 駆け込んできて鋭いモーションで落葉を振るう。いますぐにでも毟り取ってやりたかったが、俺は跳躍・そこから再度、空中で跳躍という人間外の動きでもって女を飛び越える。
「へぇ――」
 猫のように笑む女。俺の右手は天井の梁に巻きつけた糸。即興のワイヤーアクションによる二段ジャンプだった。
 背中を向け合い、厚いマットの床に着地。業腹だが逃げるしかない。またもや四叉路、どれを選べば生存率が高いかとほんの一瞬逡巡した時。
「躱さないと、死ぬよ?」
 俺の悪寒もそう言っていた。風を切って飛来する物体、その大気を唸らせる音が先生の日本刀をフラッシュバックさせたのだ。ウン年間レベルの習慣的鍛錬による奇跡の所業、俺は、紙一重で背後からの死を回避していた。
 そいつは俺のシャツを引き裂いて壁に突き立つ。殻が砕けた恐竜の卵のように。だが砕けているのは壁のほうだった。なんて殺人設計。コンクリ相手でもしっかりとめり込んでいる。めきめきと海から這い出すタコのような、その姿と生物的な音とサイズに俺は総毛立った。植物っておぞましい。人間の顔を食おうとしてるようなサイズ。
 花が咲いていた。種子だった。サイズ的には恐竜の卵くらいの、恐らく人間のハラワタにめり込んで咲かせる・あるいは裂かせるタイプの殺人フラワーだった。
 振り返れば花咲《はなさか》女も、極上の花のように微笑んでいる。
「――――“毒花の呪い”。分かりやすいでしょう?」
 よりにもよって毒持ちらしい。たちが悪いにもほどがあるだろう。
「! ちィ――!」
 気がつきゃ眼の前に鎧甲冑が迫っていた。振り下ろされた模造剣をかいくぐって胴に蹴りを打ち込む。大破。すぐさまその剣を拾い上げ、続いて襲ってきた二体目の模造剣を受け止める。手のひらにきつい振動を感じて舌打ち。安物の拵えなんぞクソ食らえだ。
「らァ――!」
 鍔迫り合いから強く押し込み、反動で押し返してくる瞬間にこちらが大きく引く。構えが崩れた瞬間を狙って、俺は中世剣を全身のバネで叩き込んだ。
「面ッ!」
 頭部が吹っ飛ぶ。女がひゅぅと口笛吹いた。
 重く、固い感触を回してみる。中型剣を使うことは滅多にないが、気休め程度にはなるだろう。正眼に構える。うちのスパルタ先生ならオモチャなんか捨てて徒手空拳で腹括れと言う場面だが。
「ん……?」
 気付いた。いま首をふっ飛ばした鎧甲冑が足元に崩れ落ちる。その鎧のからっぽの内側、頚椎の部分に、まるで寄生虫のように、種をめり込ませた毒花が咲いていた。
「うげぇ……」
 種を埋め込んで操っていたのか。
 おぞましい女の背後で、ネッシーみたいに首を持ち上げる、ひときわ巨大な花があった。花のつぼみの部分が膨れ上がり、銃弾のように種を飛ばしてくる。飛燕の早さで飛んで来るそれを。
「はっ!」
 特大ホームラン、天高くの窓ガラスをぶち抜いていった。野球ならお手のものだ。
「じゃあなッ!」
「!」
 颯爽と背を向け、四叉路の右を選んで逃げこむ。近接戦はなかなか、中距離遠距離は最悪。土台呪い持ちなんてのは無能力の新人が一騎打ちで勝てるような相手じゃない。
 全力疾走で角を曲がり、滑るように次々と進路を曲げて引き離していく。あの巨大花は地に根を張っていたし、追っては来れないはずだ。
 そんな目算も、音を立てて大破したんだが。
「ん……? なああぁッ!?」
 背後から、マシンガンのように種子が撃ち出されて来る。目の前は直角の角、俺は足元を穿った弾丸を躱して宙に跳ね、三色チューリップの絵を踏んで壁を疾走、嵐のように降り注ぐ弾雨の中を駆け抜けた。
「でッ!?」
 壁走りなんつー二足歩行で逃げる猫みたいな横着をやった俺は、当然ながら床への着地に失敗し、赤じゅうたんの上を転がる。
 振り返れば直角の角から、三段階ほど成長しばかみたいに巨大化した緑の蕾が、蛇のように顔を覗かせるのが見えた。その上に腰掛け優雅に微笑むパーカー女、気だるそうに俺の落葉を弄んでる。
「おまえ……!」
 どうやって追って来た? 地に根を張ってたはずなのに? 決まってる。俺が走るより速い速度で、この巨大花は茎を超速成長させ、まさしく大蛇か龍のように顔を伸ばして追跡して来やがったのだ。
「あのさぁ、さっきも言ったけど。私あとが控えてるんだよね。だから、」
 心なしか苛立っているように聞こえた。その何も変わらない気だるそうな金髪。
 うさ耳フードの奥で、悪魔の両目が俺を見ていた。
「早く死んで。お願い」
 連射、弾数四。一つ目をかいくぐって前進、二つ目は肩を逸らして回避、三つ目を再度くぐりながら前へ疾走、四つ目は剣で叩き落とした。
 眼の前には、緑の茎が身をしならせている。
「らぁああああァ――!」
 斬――!
 俺の突き出した模造剣が、太い茎の芯を捕らえて痙攣させる。暴れる茎を、剣で押さえつけようとするがしかし。
「………………へぇ。キミを甘く見てたかも」
 ぞわり、耳元に囁きを浴びせられた。女が逆さ吊りで俺の首を捕まえていた。
 そのまま、何を狂ったか、女は――
「い――っ!?」
 顔にしがみつき、俺の首筋に歯を突き立てやがった。首筋に鋭い痛み。猫のようにかじりついてて引き剥がせない。まさか、食いちぎられるか――!?
「てめ、はな、せェ……っ!」
 剣の柄で殴りつけるが、あっさり手を捕まれて止められてしまう。身動きひとつできない。ロックがしぶとすぎてせいぜい足しか動かせないのだ。一秒ごとに恐慌は加速する。為す術もなく俺は、女に首筋を噛まれ続けた。
 じきに、俺はその異様さに気が付く。実感は冷や汗と吐き気を伴う悪寒に即・変換されていった。
「が、ぁぁああああああ……!」
 酸性液を流し込まれるような激痛。灼熱が体の中に侵入してくる。俺の首筋から立ち上る黒煙、俺に掛けられる呪い――。
「あ…………が……」
 毒素が脳に回り、俺は高熱に意識を溶かされ始める。じきに力が入らなくなってきた。全身、痺れて感覚がなくなっていく。ようやく解放されても立ち続ける力が残っていなくて、俺は死体のようにその場に崩れ落ちてしまった。
 指一本動かせない。死んだ。殺される。あるいは、蜘蛛の捕食のように弱らせてからいたぶるのが趣味なのか。
「あは………は、はははは」
 見下ろしてくる女は楽しげ。人を殺すときでもまるで、お遊戯でもしてるように無邪気だった。
振り上げられる短刀の輝き、ついに下ろされるフード。女は髪の長い、案外凡庸で無害そうな顔つきをした高校生くらいの少女だった。
 振り下ろされる。俺は腕一本動かせやしない。この世のどこにも希望が見当たらない。
ただ、最後まで脈打つような首筋の熱だけを感じていた。