斬-the black side blood union-

back | top | next



#ex_ / 終わり間際の宵の夢-Sunny days-
----------------------------------



 ずっと待ち続けていた。
「…………」
 ざぁぁと跳ねる滝の音。
 空は灰、雨は透明、地は鼠色。この滝のような雨が降り始めてどのくらいの時間が経過
しただろう。
「…………」
 まるでもう何ヶ月もずっとここにいるみたいだ。
 こうやってパイプ椅子に背を預け、永遠に退屈を持て余し続けている私は、言うなれば
雨の牢に閉じ込められていた。
 はぁ、と自分の頬に手を当てて、温度のない肌の感触にまた溜息をつく。
 廃工場の中は無人。
 砂埃が薫る黄昏の廃墟。
「もう……遅いなぁ」
 と呟いてふと気付く。
「あれ?」
 私はこんな場所で、一体誰を待っていたのだろう。
 っていうかここはどこ? 私は誰?
「……あれれ?」
 そもそも、私はなんでここにいるんだろう。
 今日は一体何月何日? いまは何時で、何をする時間?
「…………」
 ふと、窓から見える雨を仰いだ。
 昼の来ない、夜もない空。
 灰色の空。
 雨に混じって降り注ぐ、赤い赤い雪の花弁。
「……そっか。そういうことか」
 ようやく悟って私は笑った。
 開き直りにも似た笑みだったろう。
 知っていた。分かっていた。確かめるまでもない。

 ──私はもう、二度と、永遠にこの廃工場から出られないんだ。

「…………」
 自分の手の平を翳して廃工場を見回した。
「あはは。不思議」
 手の平が透けてしまっている。
 バラバラに置かれているパイプ椅子も、隅に積まれたドラム缶やブルーシートの山も、
ガラスのない窓の外の雨までもがよく見える。
 きっとそれだけ終わりが近いってことだろう。
 考えてみれば、もう2ヶ月くらいはずっとここにいた気がする。
 ――ここはきっと死後の夢。
 無に還る人間が、消失前に落とされる狭間のユメグレイゾーンなのだろう。
「……私の……名前は」
 何だったろう。
 もうほとんど何も思い出せないけれど、せめてそれくらいは思い出しておきたいな。な
んてことない、結末までの時間潰しだ。
「ん〜……」
 頬に人差し指をあてて考え込む。
 さて、それでは私に問題です。私は一体だあれ?
「……むぅ」
 そんな風に問い掛けてみても、ちっとも浮かびはしなかった。
 私の名前。
 誰かが私に呼びかける時、何度も耳にしたはずの名前が思い出せない。
「うー……」
 せめて頭文字くらいは浮かばないもんですかね。
 そう問い掛けても忘却はクールだ。意識の中に、湖面のように静かな虚無がただ黙って
浮かんでいるだけだった。
 私という存在に塗りたくられた、広大な虚無。
 あまりにもお出来の悪いのうみそに、私は私を嘆くのだった。
「……そうそう。いつもこんな感じだった気がする」
 何も出来ない私自身。
 不器用で。何をしてもダメで。
 いつもみんなに迷惑ばかり掛けて、いやな顔されて、だけど、だからこそ笑って許して
くれる人たちに出会えた時が何より嬉しかった。
 そんなカタチのない、曖昧な記憶の感触だけが残っている。
 胸に手を当てた。
 祈るように瞑目する。
 雨のが鳴る廃工場で。
 顔も名前も思い出せない人たちに向けて、心の声を紡いだ。
 いままでありがとう。
 こんな私を愛してくれてありがとう。
 こんな私を受け入れてくれてありがとう。そして……
「……さよなら」
 薄らいでいく意識を感じる。
 私の体が、燐光になって消えていく。
 静かな消失。
 誰に看取られることもない、誰に涙されることもない淋しい結末。

「うぉおおおおおおおおああああああああああああ!!!!?」
「ひぃぃいいいいいやっほおおおおおおおおおおおおおおうううううう!!!」

 ──それを誰かに、盛大にぶち壊されてしまったような気がした。
「えっ?」
 突然の声に見上げた視界は、大きな何かに埋められていた。
 一見してシルエットは怪獣みたいだった。
 前後に付いた2つのタイヤと、胴から生えた4本の足がそれをいっそう肯定する。
 廃工場の天井を背景に。
 1台の原付と、それに乗った2人の少年が舞っていた。
「やべー! まじやべー! トシ、すげー大ジャンプだぞこれ!! ブッ千切りでオリン
ピック行けんじゃね!? 原付ジャンプ部門優勝確定じゃね!?」
「言ってる場合かあああああああああああああああおごうべぷッ!?」
 ずごどんっ!
 重すぎる着地の衝撃に運転手が大きく揺れて、後ろに乗っていたもう1人はひゅーんと
笑顔で飛んでいった。
 ごきゃめきっ
 そのままドラム缶やらブルーシートやらの山に頭から突っ込んで、動かなくなる。永遠
に。
「─────」
 さあああっと血の気が引くのを感じた。
 見やると、原付の運転手もヘルメットを押さえながら青ざめている。静寂3秒。そして
ブレイク。
「だ、だだだっだいじょうぶ!?」
「流星!?」
 2人して駆け寄って、せぇので両脚を引っ張った。
 ずぽんと山から引き抜かれたその人は私ともう1人に逆さ吊りされながら、元気に下か
らVサインしてきた。
「おう、平気平気! ってかもう1回やろうぜトシ! いまのマジ最高だった!! 鳥に
なった! フライバード!! アゲイン所望!!」
「……お前……ほんと頑丈だな」
 私の方は完全に凍りついていたのだけど、彼はなれっこといった感じで頭を掻いて笑っ
ている。
 逆さ吊りの少年はそのまま両手を地面について、バック転するように立ち上がった。体
操選手並みの身軽さ。
 真正面に向かい合ってみると、身長は同じくらい。
 金髪の、柔和な瞳にあたたかい笑顔の少年。
「お〜い、2人ともこっちこっち!」
「はいはい、そんな叫ばなくても分かってるってーの」
「ふ、サルめ……なかなか魅せてくれるじゃないか。いまの大ジャンプ、さすがに本心か
ら感動したぞ。4mは行ったな」
 彼が工場の外に向けて叫ぶと、また別の2人組が気怠そうに入ってきた。
 1人は女の子。ほんのり染めた茶の長髪に、浅緑のパーカーとジーパン。トレードマー
クは首から提げたヘッドホン。
 もう1人は制服で、メガネを掛けた小綺麗な男の人。
 すちゃ、とメガネの位置を直す仕草がとてもさまになっていて格好良かった。
「さって、と……」
 言いながらヘルメットを外して、さっきの原付の運転手が、ぱんぱんに詰まったポリ袋
を持ち上げて見せた。
「んじゃま、ここらで昼飯と洒落込みますか。お前ら何食う? ちなみにカツサンドは俺
のもの」
「ちょ、トシ!? カツサンドは俺が買ったやつだって!」
「あ? うそこけ金猿キンザル、昼間っから夢見てんじゃねーよ。この貧乏人が」
「むきぃいいいいいいいいい!!?」
 金髪の少年が掴みかかっていくけれど、突撃の途中で頭を押さえられた。腕の長さが足
りないぐるぐるパンチ。
「ははは、流星マジ萌え! チビショタ萌え萌え! ピカチュウみてぇ!!」
「うっせ! マジうっせ!」
 原付の運転手は、金髪くんの子供みたいな反撃にまた笑った。言葉とは裏腹に、とても
楽しそうな笑顔で。
 短めに切った髪を逆立てた、ちょっと不良っぽい人。
 でも不思議とぜんぜん恐い感じじゃない。お調子者そうだけど、きっといい人だ。
「げ、白銀しろがねのスイートブラックカレーパン!? すげー! トシ超グッジョ
ブ! 愛してる!」
「あ! 待って流星、それは私が──」
「ふむ。では、俺はカレーパンを希望しよう。言っておくが甘口などは邪道だ。分かって
いるよな、俊彦」
 メガネさんの挑戦的な笑みに、不良さんはニヤリと返した。
「いいんちょ、俺を誰だと思ってんだ? ほれ、お前の大好きな激辛。これだろ?」
 投げ渡されたパンを見下ろして、メガネさんが表情を穏やかな物に変えた。
「文句なし。お前には、『地上最高に気が利くパシリ』の称号を与えよう」
「ははは、ぜんぜん嬉しくねぇよ。つか誰がパシリだコラ。代金はちゃんと後払いで請求
するぞ。利子5%で」
「うむ。まぁ、妥当なところだな」
「ちょっと信士〜! 流星のあほちんが私のスウィートブラックカレーパン取りやがった
〜! 泣いていい!? 超泣いていい!?」
「うるへー! もしゃむしゃ……これは、俺が長年探し歩いた旅路の果てに……もしゃむ
しゃ……日本海沖の海底で……うぐもしゃ……タコとったどー……むしゃもぐ」
「サル。喰うか喋るかどちらかにしろ」
「もぐ、りょうかい……ってあれ? 何してんの?」
「……え?」
 ふと、金髪くんが私を振り返った。
 私はただ呆然と突っ立っている。
 突然台風みたいに現れた彼らを、ただ黙って眺めている。
「あ、分かった! 腹減ったんだ! はい、これあげる」
「ったく、ぼーっとしてたらお前の分まで喰われちまうぞ? ほれ」
「ふむ。ではこの激辛カレーパンなどはいかがかな。そら」
「ちょっと信士、私の親友に変なモン喰わすな! はい、あんたの好きなジャムパン。ち
ゃーんと2つ買ってきたよ」
 4人全員が笑顔で、1人1個ずつ、私にコンビニパンを持たせてくれた。
 気が付けば私の両手はいっぱいで。
 みんなの笑顔が目の前にあって。
 さっきまで廃墟だった工場が、お祭り会場みたいになっていて。
「な……!」
「え!?」
「ちょ、どうした!?」
「む!?」
「……?」
 いつの間にか、私の頬を雫が伝っていた。
「あれ……なんで……」
「あ、亜由美!? ね、どうしたの!? なに、なんかあった!?」
「おいサル……貴様、なんだこのパンは。人参パン? これだな、これのせいで亜由美が
泣いているんだな」
「んだって!? チ、金猿てめぇ! ただじゃおかねぇぞゴルア!! 亜由美は人参が嫌
いなんだよ! サイゼ行った時いつも残してたの知ってんだろうが!!」
「えぇぇぇ!? 俺!? 俺のせい!? わかった、生まれてきてすいませんでしたッ!」
 亜由美。
 野川亜由美。
 そうだった……それが私の名前だった。みんながいつも呼んでくれた、私の名前だ。
「違うよ……誰も悪くなんて、ないよ」
 私はごしごしと涙を拭って、4人の心配そうな顔を見回した。
 流星くん。
 俊彦くん。
 信士くん。
 そして……智花。
 みんなみんな大好きな、大切な私の友達。
 もう2度と会えるはずなんてない仲間。私は夢でも見ているのだろう。
「亜由美」
 ぽん、と流星くんが私の肩に手を置いた。
 温度のない──だけど精一杯優しさを伝えてくれる、流星くんの手。
 ああ、この手が本当に流星くんの手だったら、どんなによかっただろう。
 彼はいつになく穏やかな笑顔を浮かべて、私を真っ直ぐに見つめて言った。
「……助けに来たよ。待たせてごめん」
「―――」
 それを聞いて。
 私は、息を詰まらせていた。愕然とみんなを見回す。
「う……そ……」
 夢じゃない。
 本当にここにいる。
 みんな私と同じだった。
 1人残らず薄らいでいて、私と同じくらい、いまにも消えそうなほど希薄な存在だった
んだ。
「どうして……みんな、なんで……っ!?」
 みんなの笑顔が私を見ている。
 ここにいるということは、みんな、私と同じように――。
「なんで、こんなの……ダメだよ! どうして!? どうしてそんなこと!」
 みんなはただ、穏やかだった。
「いいんだよ亜由美。これはみんなが、自分で選んだことだから」
「流星の言う通り。俺たち5人はいつでも一緒。誰の手も放しやしない。間違ってる? 
知るかよ。何が正しいか間違ってるかなんて自分で決める」
「ここに来た奴は1人残らず大バカ者だ。だがな亜由美、どうしてお前1人を仲間はずれ
に出来よう」
「けど……っ!」
 叫ぼうとした私を、背後から誰かが抱き留める。
「1人ぼっちはつらいよ。どれだけ楽しくったって、そんなの何の意味もない」
 智花が、泣きそうな声で、笑っていた。
「私たちは1人より5人を選んだ。ねぇ、笑って亜由美。みんな亜由美の笑顔に会いに来
たんだよ」
 違う。こんなの間違ってる。絶対におかしい。
 バカだ。
 みんなみんな大バカヤローだ。
「…………智花……」
 それがどんなに間違った選択なのか知ってるのに。
 それが分からない人たちじゃないのに。
 なのにすべてを振り切って、彼らは自らここへ来てしまったんだ。
 どうしてそんなに想ってくれるの? 何の取り柄もない野川亜由美だよ。きっと誰の力
にもなれない野川亜由美だよ?
 だけど――だけどどうしようもなく分かってしまうんだ。
 きっと私だって同じ。立場が逆だったら、私も同じ選択をしたのだろう。
 だって。
 私たち5人は、いつでも一緒なんだから。
 智花の手を握る。温度のない、だけど誰より知ってる智花の手。
「………智花……会いたかった……みんなみんな会いたかった……つらかったよ……淋し
かったよ……」
「うん。私も同じさ。みーんな同じ気持ちだったさ」
「ごめん……ごめんね、私のせいで……」
「こら亜由美。そうじゃないでしょ?」
 だったら――だったら私は、笑う。
 私に残ったすべてを使って、ずっと笑顔でい続ける。
 きっともうすぐそこまで近付いているであろう、最後の一瞬まで。
「…………ありがとう」
 みんなで、一緒に、歩いていこう。
「さ、昼飯再開! っと、誰だよ俺のカツサンド取ったバカ! 智花!? てめ、なんで
そんな『私じゃねっすマジ違っす』みたいに目ぇ逸らしてんだ!?」
「もぐむしゃ……ちが……うぐもぐ……これツナサン……もしゃもしゃ……あ、カツサン
ドも結構おいし……もぐむぐ」
「阿呆。喰うか喋るかどちらかにしろ」
「もぐ、りょうかい」
「てめぇえええええええええええ!!!」
「くす……ふふ、あははっ! 智花、私もカツサンド! カツサンドが食べたいな!」
「おう、ほれほれ。急いで食いんしゃい。うるさいトシ坊が突っ込んでくるからね」
「てめええらあああああああああああああ!!」
「トシー! 原チャ借りていい? 俺やっぱ、もう1回鳥になる!」
「ちょ、やめろ金猿! 今度こそ俺の相棒が灰になる──って信士!? てめ、何しやが
る! 放せぇぇえええ!」
「いけサル! 俺に構うな、思う存分にやってしまええええッ!!」
「ありがと信士、恩に着る!!」
「だ、だめだよ流星くん! 今度こそ怪我しちゃうよ!」
「にゅふふ。亜由美げっちゅ」
「え!?」
「ちょま、流星!? やめ、私の綺麗な亜由美に2人乗りなんてダメ犯罪を──!」
 そうして、何も変わらない1日がまた始まった。
 とても騒がしい青空の日々。
 みんながいて、私がいる日常《せかい》。
 知っている。覚えている。
 パンパンに詰まったポリ袋の重さが好きだった。
 みんなの笑顔が大好きだった。
 それだけが私のすべてで宝物だった。
 それ以外なんて、何もいらなかったんだ。
「きゃあああっ!?」
「ひぃいいいやっほおおおおおおおううううう!!!」
 青春は駆け抜ける。
 みんなは笑う。気が付けば。

 ずっと雨だった空は綺麗に──とても綺麗に、晴れ渡っていた。



 そんな悪夢にうなされて、俺・羽村リョウジは目を開けた。
「…………」
 窓の外は雨。
 胸に残った吐き出しそうな感触。
 じっとりと、額に汗が浮かんでいる。
「…………」
 よく思い出せない。
 俺はどんな夢を見ていたのだろう。
 ただ断片だけが浮かんで消える。
 強すぎた繋がり。
 幸福すぎた奴らの横顔。
 理屈も感情も飛び越えて、ただ一緒にいることを選んでしまった5人。
「…………」
 吐き気がする。
 無惨なくらい幸せな夢。
 きっとこれから、雨が降るたび、俺はこの悪夢にうなされるのだろう。
「………くそが……」
 なあ、教えてくれ。
 これは幸福な結末だったのか?
 不幸な結末だったのか?
 どんな理屈で、俺は奴らを否定すればいいんだ。
 奴らはあんなに幸福に溢れているのに、どうして、こんな――。
「…………」
 胸の奥に何かが焼け付く。
 鉄錆びでも喰らわされたようにただ苦い。

 雨はまだ………降り続けて、いる。








back | top | next