斬-the black side blood union-

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"The Crimson" came back.
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「邪魔だ。下がってろ鬱陶しい」
 その時、被害者と加害者の間に突風が割り込んだ。
「っ!?」
 首に掛かっていた手がようやく外される。
「えほっ、ごふっ……!」
 酸素を求めて痙攣する肺。
 尻餅を付きながら、被害者だった彼女は目の前の光景を見上げた。
 ──いつの間にか背中がある。誰とも知れない少年の背中が。
 路地裏の空気はやけに熱い。
 目に見えない、焦がすような何かが充満している。
 だがそんな熱を清浄化させる音が響いた。何の音かと目を凝らして、彼女は少年の左耳
に繋がれたピアスを見付けた。
「……」
 くるり。
 声もなく返された刃紋はただ無骨。見間違いだろうか? 一瞬日本刀のように見えた輪
郭が霞んで、一振りの短刀へと姿を変えている。
「亡霊……いや、先生風に言うと“人のカタチをした呪い”だったかな」
 前方に立つ“加害者”。ソレが右手で掴んでいるものに一瞥をくれてから、少年は挑戦
的に目を細めた。
「巷で噂の“ひきずり魔”、ようやく見付けたぜ──いでっ」
 不意に小気味いい音が鳴る。
 いまにも特攻しそうだった少年の後頭部に、空き缶が投げ付けられたのだ。投擲手は場
違いな非難を叫ぶ。
「羽村くん! 女の人にいきなり何するのさ!? 暴力反対、反対だよっ! 優しくない
男の子は家に帰ってお説教だよ!」
 予想以上に近い声。被害者だった彼女が驚いて振り返ると、すぐ後ろで、1人の少女が
肩をいからせていた。
 ──さらり。
 夜闇に浮かぶ赤髪の、いまにも折れそうな体躯の少女。
 少年は頭を掻いて呟く。振り返るのが面倒なのか、こちらに背中を向けたまま。
「だってしょうがないだろ。緊急事態だったんだから、突き飛ばすくらいしないと」
「それは分かるけど『邪魔だ』ってなにさ、『鬱陶しい』って何なのさ。初対面の人に向
かって失礼でしょ? あと、なんでわたしを置いて勝手に行っちゃったの?」
「ああうるさいな、超うるさい。そんなことより介抱してやれよアユミ、可哀想だろ?」
 ずだん。
 とうとう最後まで背中を向けたまま、少年は前方の加害者に向かって駆け出した。
 ケモノのような疾走と、迎え撃つ加害者の長大な凶器。だがすぐさま聞こえ始めた激闘
の音色をも無視して、少女はむぅぅぅと不満そうに唸った。
「知ってるよ、わかってるよ介抱します。いじわるな羽村くんの手伝いなんかしないもん」
「拗ねるなよ」
「拗ねるよ」
 そんな場違いなやりとりのあとで。
 頬を膨らませた少女は彼女の顔を覗きこんで、唐突に笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫ですか?
 恐かったでしょ、でももう安心してくださいね。あの捻くれた男の子が来たからにはも
う大丈夫ですから──」
 こっそりと耳打ちされる。
「──うん。実はわたしも安心してるんですけど」
 それを聞いてぐらりと眩暈を覚えた。
 あんな怖ろしいバケモノ相手に、少年1人が何を出来るって言うんだろう?
 無理だ。きっと無理に決まっている。あの怖ろしいバケモノを見て、死を直感しない方
が間違っている。
「kっjがじゃひjっkjlkfぐぼえぇぇjえあぎあああぐkッッッ!!!!!!!」
 壊れた声帯が壊れた咆吼を上げる。
 耳をつんざく金切り声に、彼女は思わず耳を押さえていた。
 続く轟音。
 バケモノが振り下ろした凶器によるものだ。
「う……ぇっ」
 必死で吐き気を押さえ込む。
 ──砕かれたのは、バケモノが振り下ろした凶器だった。
 長さは人間1人分、重さも人間1人分。それはまごうことなきヒトの残骸。
 顔の皮膚がまるごと削られた人間。
 垂れ下がった右目を揺らしながら、折れた左足首を掴まれ、豪速で振るわれる死体がそ
こにあった。
「ひきずり魔……きっと“呪い”が強すぎるんだね」
 骨格が壊される音に苛まれながら、彼女は隣で囁かれる声を聞いた。
 ──ひきずり魔。その都市伝説は彼女もよく知っている。しかし、出会ったが最後・死
ぬまで地面を引きずり回される、なんてバカな怪談を誰が本気で信じるだろう。実際彼女
だって夜道で実物に出会い、首を絞められるまではまったく信じていなかった。
「う……」
 震える瞳が、死体以上に凄惨な“ひきずり魔”の顔を見た。
 いや顔なんてどこにもなかった。
 何なんだろうあれは。人間だけど人間じゃない。
 “ひきずり魔”には頭部が無い。正確には上顎から頭蓋にかけての部分がごっそりと欠
落していたのだ。
 元はサラリーマンだったらしく、スーツを着ている。だばだばと血が溢れ続ける口腔、
半透明の全身、そして極めつけは首に突き立った1本のボールペン。
 惨殺死体が惨殺死体を振り回す。怖ろしい膂力で、一切の情け容赦なく。
 バケモノ──それ以外に形容する言葉が浮かばない。
 そして、そんなものと対等に渡り合う少年も同じくらい間違っている。
「ははっ!」
 夜を揺らす轟音と、混じった砕ける骨格の音。それを飛び越え壁を蹴り、空に逆立ちす
る横顔。
 夜そのもののように真っ黒な、宝石の瞳がそこにあった。
 少年は空中で腕を振るう。
 張り巡らされるは蜘蛛の糸、透明なナイロン繊維が“ひきずり魔”の体を絡め取り、そ
の隙に無防備な口腔へと短刀を振り下ろす。
 しかし割って入る剥き出しの表情筋。寸前で“ひきずり魔”が死体が振り上げたのだ。
短刀と頭蓋骨が激突し、重々しい衝撃が闇を引き裂く。
「チ──!」
 少年の体重が薙ぎ飛ばされる。だが地面に激突する寸前で体勢を反転、靴底を滑らせア
スファルトを滑走した。
 それを最後まで見届けもせず、“ひきずり魔”はこちらに顔を向けた。
 あるはずのない視線に射抜かれて、彼女は引きつった声を上げる。
「ひ──ぁっ……!?」
 何が引き金となったのか、こちらに向かって駆けてくる。ずしゃしゃしゃとアスファル
トを踏み砕く非現実、急行列車に轢かれる圧力。
「つかまって!」
「え!? ど、どうするんですか!?」
 メルヘン少女はキラキラと答えた。危険極まりない夢見る笑顔全開で。

「──飛びます。主に、空方面を目指して」

 はい?
 と問い返した頃にはもう飛んでいた。
「……はい?」
 吸い込まれるような浮遊感。風。空。
 夜空を。
 2人は一緒に、飛行していた。
「────」
 気が付けば3階建てビルの屋上を見下ろしている。
 目の前にいたはずのバケモノが遠い。
 何故か瞬きの間にあの路地裏から離脱している。もしかしてこの少女が魔法でも使った
のだろうか……そんなバカな考えだって、あながち間違いではなかったろう。
 その飛行現象の正体は、人間離れした脚力──赤髪の少女の、華奢な体から逸脱しすぎ
た怪力によるものだった。
「ざっと10mってところか。さすがだな」
 屋上に消えた2人を見送ってから、少年は自分に振り下ろされる脅威(死体)を見上げ
て挑戦的に笑んだ。
「は──ッ!」
 打ち返すヤイバは一振りの短刀、質量差歴然。
 今度は吹き飛ばされまいと更に姿勢を低くし、押し潰されまいと両脚の間隔をキープし
て懐に踏み込む。
「ぐあ──あああああっ!」
 激突。
 地に沈まされる重い衝撃、それを流して地面に落とす。
 叩き割られるトマトの悲鳴。血のりを飛び越え水平回転する曲芸師の蹴りが、“ひきず
り魔”の側頭部に突き刺さる!
「あれ?」
 だが間抜けな声を漏らしてフルスイング。
 ──しまった。忘れていた。相手は、蹴り飛ばすべき側頭部がごっそり欠落しているバ
ケモノなのだった。
「うぉおお……やばいやばいやばい」
 豪快に回し蹴りを空振りし、地面に両手を付きながら少年は冷や汗を流す。
 振り上げられる速度は豪速、振り下ろされる凶器の名はニンゲン(死)。回避するには、
あとコンマ1秒足りない致命的なタイミングだったのだ。
「くそッ!」
 暴風。
 左肘を犠牲に頭だけは死守する。そんな重症覚悟の防御はしかし、何の意味も果たしは
しなかった。
「とうッ!」
 ガォン
 空から降ってきた怪力少女が、“ひきずり魔”を豪快に蹴り飛ばしてしまったからだ。
「……………………。」
 いや、蹴り飛ばしたというかあれは……爆撃の一種か? 衝撃波で地面が抉れ、壁に激
突した“ひきずり魔”などほぼ完全にめり込んでいると言っても支障ない。
 しゅたっ! と華麗に着地を決めて、少女は少年を振り返りニコリと笑んだ。
「羽村くん、油断は禁物なんだよ」
「お前のことだバカ! 後ろッ!」
「へ?」
 ずぱん。
 耳を塞ぎたくなる音に薙ぎ飛ばされた。
「か──はっ?」
「アユミ!」
 紙屑のよう、といえば聞こえが軽すぎる。
 思い起こすのは交通事故。轢かれた猫はすごい速さで水平滑空、あっけなく地面に墜落
し、跳ね、動かなくなる。
「あ──」
 そんな光景を目撃してしまった人間はどうなるだろう。
 選択肢は2つだ。
 気が動転して動けなくなるか、もしくは──
「……オマエ。殺すぞ」
 混乱さえも通り越してしまうか、だ。
 明確に。
 音を立てて、空気が軋んだ。怖ろしい速度で路地の熱──ひきずり魔の“呪い”を浸蝕
し、拮抗し始めている何か。
 ぬらりと振り返った少年はもう笑ってなどいない。静かな笑みも、あわてふためく無様
さもない。きっとここまでは自然な反応だろう。
「──────」
 だが、彼が怒りの表情すら喪失してしまっているのは何故?
 ±0度。
 何の感慨もなく、ただひとつの影も宿さない夜色の瞳。

「             !!」

 奇声を上げ、襲いかかってくるバケモノがいる。

「              。」

 声も上げず、刃を振るうだけの機械となった少年がいる。
 煌めく。撒き散らす。そして、激突───

 はてさてそれは或る夜のこと、夜街の片隅 深淵の國。
 「一体どちらが生き残ったのか」という問いの答えは、薄く微笑む魔女だけが知ってい
る。

..............Night, night, night heaven.
The smell of the death stuck to the city.
They came back....."The Crimson" came back.
























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