斬「毒花」編

6





 異変を察知して駆けつけてくれた美空に事後処理の連絡やらは任せ、俺とじーさんは血まみれのゲーセンを後にした。非難がましい声を上げられたが聞き入れる余裕もない。俺は俺で血だるまだったのだ。
 人気のない道を選んで抜けていく。空はとっくに闇一色、街灯もなく、この様子なら一般人とすれ違ってもやり過ごせるだろう。
「いてぇ……」
 じーさんは肩を貸してくれる様子もない。腕組みして何かを考え込んでいた。知るか。
「なぁ。般若のやつ、怖くなったって言ってたよな」
「ん? ……ああ、それがどうかしたんかぇ」
「一体何が怖くなったってんだ? 復讐とか亡霊とか、あるいは罪の意識とかか?」
 じーさんは面倒くさそうに肩をすくめた。
「そんな具体的なもんじゃねぇだろ。人生の帳尻が合わんっつっていた。気持ちの悪いもんさ、期待してた精算が為されないまま明日からも延々と、自分がどんだけ泥かぶってんのかも分からねぇ日々が続くってのは――」
 想像してみる。そういうもんなんだろうか、罪人の人生っていうのは。
「――やがて心が食らわれる。意味もなく、わけも分からずただ怖い。不安で不安で仕方がない。そういう深みに、はまっちまったんだろうさ――」
 ……なるほど。そこから抜け出すためにじーさんを殺そうとしたのか、じーさんに殺されようとしたのか、はたまた単に救いの手を求めたのか……ともかく、般若にとっての出口がじーさんだけだったのは確かなんだろう。
「何度も言うが、主らの尺度であの娘を測るなよ? 奴にあるのは殺戮だけだ、儂に毒花しかけたのも、単に仕返しみてぇなもんよ」
「……仕返し? 捨てられた仕返しか?」
「そんな可愛い思考じゃねぇ。もっと単純に、なんかよく分からんが調子を崩した原因が恐らく儂だから、なんとなくぶっ殺してまき散らしてスッキリしよう――ってな。アイツはいつもそんな感じだったさ」
 清々しいまでの異常者っぷり。確かに、そういう女だったような気がする。
 そして最後は――――約束された”破滅”に至ったのか。悪人の末路。般若は好き放題に人を惨殺しながら、またそうやって好き放題やっている自分のこともどこかで笑っていたのかも知れない。
「痛……」
 首筋が熱を持っていた。般若が死んだ今、筋張っていた感じは消え、毒花のイレズミは消えたはずだが、さっきからじくじく痛くてたまらない。後遺症残されたんだとしたら最悪だ。
「どうかしたかぇ?」
「なんでもねぇ」
「左様か。しっっかしのぅ、情けないぞ少年。お主、本当に狩人なんか?」
「あぁん?」
「ほれ」
 きらんと光った。じーさんが、懐から一本の流麗な短刀を取り出してみせたのだ。ようやく俺の腰に返って来た落葉に勝るとも劣らない美しい刃紋。
「――――なんだ、それ?」
「銘は小狐丸。……お主、本当に機転が利かんのぅ。狩人なら、儂の行動からこれの存在を察知して、あの窮地を自力で逆転すべきじゃぞ。何を死人に助けられとんじゃぇ」
 知るか、何の話だ。でも不意にあの時のじーさんのセリフがよぎった。

 ――――仕方ねぇなこのクッソガキャ、何のために狩人なんぞの厄介に――あぁ、もういい! 儂のを貸してやる! 高ぇんだぞこの短と――

「……………………あ。」
「あ、じゃあるかこの戯けが。口を開けて死ね」
「るせぇなあ」
 漫画の主人公じゃあるまいし、そんな伏線拾えるわけがない。じくり。
「い……ッつ……!」
「ん? おい、さっきからどうした?」
「なんでもねぇよ」
「そうかい。しかし――やはり、主には少し力が足りんようじゃな。どうじゃ、儂と取り引きせんか」
「んぁ?」
 ずいと身を乗り出して、じーさんが悪巧みを提案してくる。迫られると改めてデカイ。
 鬼の面がしわがれた老鴉の声で告げる。
「なぁ少年。儂の呪いを受け継ぐ気はねぇか」
「…………は?」
「いやな、ここだけの話、すんげぇ呪いじゃぞぇ。儂ゃ隠居しようと思ってんだが、このまま腐らせるには少し惜しい。よって後継者が現れるんならそれに越したことはないっつー話だ」
 何を、言っていやがるのだろう、この耄碌は。
 ――確かに、じーさんの全身を覆う呪いの気配は濃厚で、合間見えた瞬間に死を連想させるほどのものだが。
「…………本気で言ってんのか? じーさん。」
「ああ、儂ゃ主の弱小さが気に入ったよ。狩人なんぞやってりゃいまにも死にそうでな、あまりにも哀れで見ていられぬ。おもしれぇじゃないか、主みたいな無能が儂の膨大な呪いを背負うなんざ」
 待て、待ってくれ。息が苦しい。緊張で胸が高鳴る。さり気なく持ち出されたこの話が、恐らく俺にとっては今後の明暗を分けるであろうものだということがなんとなく直感できた。
 ああくそ、首筋が火傷しそうなほど熱い。なんだってんだよ一体……。
「……どうじゃ? お代はしばらく寝食の面倒みてくれる程度でいいぞぇ? 必要なら呪いの使い道も直々にれくちゃぁしてやるが」
 それは、なんだ。悪行三昧の講座でもしてくれるわけか。
 確かに、俺こと羽村リョウジは、周囲に比べあまりにもステータスが劣っている。刀一本で軍艦沈められそうな先生。素手で東京タワーへし折れそうな怪力アユミ。爆破ぬいぐるまーに、無敵バットに天使の翼に音波衝撃の呪い。
 それに比べて俺は何だ? 格ゲーならいの一番に選択肢から除外されるキャラじゃね?
 俺は悩み、ジジイが仮面の下でニヤニヤしてる。見なくても分かる。悔しいから笑ってやった。
「へ…………断る。」
「目が泳いどるぞぇ」
「るせぇ! だぁあ、もう、ナシだナシ! 大体なぁ、何なんだよ呪いの譲渡って、聞いたこともねぇよ! じーさんが言ってもリスクしか感じねぇし、そもそもアンタ、どう考えたって凶悪犯だし! ぜってぇろくな呪いじゃねぇんだろ!」
「…………まぁ確かに、ろくな呪いではないが。しかし物は使いようじゃろう? ほれ、さっきからお主、すこぶる体調が良かろう」
「――何?」
 言われてはたと気付いた。両手の出血が収まっている。全身の痛みも奇跡的に少ない。ただ唯一、さっきから首筋の一点が燃えるように熱い。
「まさ……か」
「応。もともと般若の呪いは儂が分け与えてやった奴じゃけぇ。あ奴が死ねばイレズミの制御権は儂に移ったようじゃ」
 慌てて短刀を取り出し、自分の首筋を写してみた。ある。消えてない。禍々しい毒花のタトゥは、消え去るどころか、こともあろうに鬼面のタトゥに変化していやがる――ッ!?
「おいジジイ! ちょ、これ! これ消せよ! アンタのなんだろ!?」
「やじゃわーぃ。大体お主、それ消したらもう立ってられんかも知れんぞ? つーか無能の分際でわがまま言うなよ、ほれ、そのイレズミ色々と特典あるし。初回限定」
「いらねぇ! ポスターとかすげぇ邪魔! いやいやマジで、そういうのいらねぇからいますぐ消せって! なぁ!」
 泣きそうになりながら掴みかかるが、しかしひらりと躱される。惨めに地面に両手をついて、俺は鬼面のコスプレ異常者に見下ろされた。
「ま。お試し期間ちゅーことで、儂の後継、それ使って本気で考えてみてくれな。少年」
 ふんふふーんと鼻歌うたいながら去っていこうとする。マジかよ。せっかく事件解決したのに、このイレズミまだ消せないってのかよ……!
 一度深く息をつき、胸の中の怒りを排出する。
「――――なぁアンタ、一体何者なんだよ?」
 ぴしゃりと呼び止める。何も言わない背中に続けた。
「……呪いの譲渡といい、膨大な呪いといい、それにこの入れ墨も。あんた普通じゃないぜ。大体――」
 俺の見間違いじゃなかったら。
 あの時、確かにじーさんは、切断された首を再生して死から復活した。死者再生なんて異常現象側からしても異例中の異例、見たことも聞いたこともない与太話の類だ。
 いやそれだけじゃない。般若のことといい、悪の組織のことといい、そもそも異常者で到底まっとうじゃないし、どこか人間離れした、悪行の化身。
 俺の目の前に立っている、この鬼は、一体何者なんだ――――?
「――――――幾つもの呪い。似通った思念、怨念、膨大な数の死者の声――」
「え……?」
 路地の反対から、誰かが歩み出てくる。誰だ? 不意に顔を出した月光に照らされる、その足元は緋色の袴――。
「ねぇ羽村君、あなたは知っているはずよ。人でもない。亡霊でもない。呪いだけれど呪いでもない。何十人もの子供たちの声が、呪いが、たったひとつの方向性のもとに共鳴し融合し合う――――」
 目眩と共に、過去に回帰した。俺は、縁条市の夜天に浮かぶドス黒い小惑星を幻視していた。
 周囲に呪いの暴風を撒き散らかし、声の渦を形成し、いまかいまかと落下の時を待つ、誰かが描いた、偽物の楽園構想。
 『ネバーランド事件』のあの悪夢は、まだこの目に焼き付いている。
 総括――変わらず巫女服の雪音さんが、厳しい表情で、鬼の面で素顔を隠した大男を見据えていた。
 鬼蜻蜒の周囲に大気の渦が巻き、囁きを響かせる。死者の声――いや、死者“たち”の囁き。嘘だ、まさか。
「そう…………そのひとは人間じゃない。決して人間なんかじゃない…………」
 異常現象大別、第一から第五現象のどれにも属さない超級番外。
 地震や大津波などの災害で大量の死者が発生し、近しい方向性の呪いが大気を覆い街中を埋め尽くした時、数多の呪いが融合しこの世に顕現する、百鬼夜行をも超える地獄絵図の名前。

「――――――――“魔王現象”、鬼蜻蜒。狩人本部より出頭命令が出ています。四日後に本部から迎えが来るまでに、身辺を整理しておくように……」

 いつになく冷たい幽霊のような声を残して、雪音さんはさらりと背を向ける。闇しかない路地で、俺は、そいつと二人きりで取り残されてしまった。
「か……かかか、かっかっかっかっか………………」
 げたげたと、喉を鳴らしている。その赤鬼が俺を振り返り、形容しようもないような重苦しい視線で射た瞬間。
「ッ!?」
 ……一瞬にして、路地裏は地獄の泥に飲み込まれていた。逃げようと考える間もない。悲鳴、苦鳴、絶叫、悪しき者たちの大合唱が俺の聴覚をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。
「視るなよ――気が狂うぞぇ? けけけけけ。」
 俺は反射的に両目を手で覆った。それでもそこに異空間があるのだという恐怖は、違和感は消えない。指の隙間に、この世のものならざる、まさに“地獄絵図の呪い”が展開されていたのだ。
 俺は何をされた――?
 ただ、鬼蜻蜒はそこに立っているだけだ。ほんの少し隠蔽を解いたに過ぎない。いままでその身に秘匿していた都市災害レベルの呪いを、ほんの少し明るみに出したに過ぎない。
「かかかかか――――しかし“魔王”か。実に、いや実に儂に相応しい呼称じゃと思わんかぇ? ……のぅ、我が後継者よ。」
 鬼が、泥に染まった手を差し伸べてくる。その末にあるのが破滅なのだと死にそうなほど理解している。俺は何を迷った? 鬼蜻蜒の呪いの後継者となる? ――阿呆が。どうしてこの悪鬼の前で、隙や迷いなんてものをカケラでも見せてしまった――?
「さぁ――帰ろうぞ、少年。我らの家へ、なぁ…………?」
 地獄のほとりに、一輪きりの鈴蘭が咲いていた。血雨に濡らされ、地獄絵図の世界に囚われて、逃げ出すことも出来ず未来永劫そこで泣き濡れ続けている。



                           /毒花