夏花

 ゴスロリのユキちゃんはいつも気怠そうだ。死にそうな顔をしてスマホいじってる。
「ラインが鳴り止まないんすよ」
 能面のような青い無表情で述べた。現代っ子は大変らしい。がんばってレスしないとクラスの話題に置いてかれると言うから哀れになってくる。まずその独創的なファッションセンスから見なおした方がいいよ。
「ほっとけっすよ。これは趣味。プライヴェ~ト。」
 ということは、僕はユキちゃんの秘密の姿を知ることが許された数少ない人間なわけか。どうしよう、どこのスレに写メ晒そう。
「しねばいいのに」
素晴らしい毒な声。齢17でそんな強気なことが言えるなら将来は安泰だろう。ゴスロリも相まってとても画になっている。
「…………」
夏日が差し込む、晴れた日の廃工場。人が立ち入る場所ではないけれど、不思議と空気はカラッとしている。錆びた鉄骨のそば、隅っこのほうでは雑草なんかが生え出しているけれど、苔のようなうっとうしさは感じさせない。むしろ、根性草のようで微笑ましくなる。僕もユキちゃんほどではないけれど、先週買ったばかりの新しい服を着て、そういえば少しだけお洒落になったと言えるのかもしれない。服だけで満足せず、茶色の靴までちゃんと新しい。
アコースティックギターの5弦目をつま弾く。久しぶりにケースから出してチューニングがぐだぐだだった。
「そういえばなんか久し振りだけど、元気してたの。」
退屈なCコードを静かに奏でながら、雑草の花と戯れているゴスロリ子に声を投げる。その小さな背中は本当に、猫のようだ。
「はぁ。別に病気も事故もしてねぇから元気なんじゃないっすかねぇ」
 と、いい顔で笑った。聡い娘。自分が彼女と同い年くらいだった頃なんて、おぞましくて思い出したくもない。(黒歴史)
 ユキちゃんが、ニンマリとチェシャ猫のようにいやらしい顔をして僕をあざけった。
「そっちこそ、フリーターから1歩も前に進めない時期は卒業したんすか? お兄さん、自分の書く小説までフリーター未満しか出てこないもんね」
 カッコ失笑。たいそう意地悪く笑ってる。本当に嫌みで賢い子。でも、そんな17歳の女の子に今日は、とっておきの笑い話を聞かせてやれる。
「ああ、終わったよ」
「はぁ? またそんなこと言って、」
「就職した」
期待通り、絶句した、ぴしゃりと凍りついて、手の中の花も花弁を落とす。漂白剤よりも表情を漂白して、そして、少年のように大袈裟に叫んだ。
「はぁああああぁああ!?」
がっつーんと厚底をならして立ち上がり、詐欺で3億かっぱらってきた馬鹿を目の前にしたようにパニックする。
「ちょ、おま、ちょ、」
「いや驚きすぎでしょ」
まったく失礼きわまりない。僕だってもう二十代も後半だって言うのに。
「………信じらんない。私、おにーさんは一生プータロだと信じてたよ」
「裏切ってすまないね。なんか、期待してたの?」
ああそうっすよ、とユキちゃんがやさぐれたようにそっぽ向いた。
「ダメなお手本があるとさ、ほら、安心するっしょ。あーあ、つまんねーの。さっさとやめてニートに戻れ」
「冗談。もう金のない暮らしなんて考えられないね」
ニヒルに、手の中のギターを自慢すると、ユキちゃんは厚底で蹴ってきた。どうにも本当に悔しがっているらしい。めいっぱいの憎しみを込めて、僕をにらむ。
「このうらぎりものめ。」
意味不明。本当に年頃の女の子は脳が宇宙だ。特にゴスロリは宇宙電波を浴びやすい素材でできている。
「誰が、何を裏切ったの。……あ、もしかして不安なの? 自分の将来とか将来とか将来とか。僕が真っ当コースに進んだことによって、これからの進路が見えない自分自身が置き去りにされた気がして不安定になっちゃったとか?」
「……………………………………」
図星かよ。いや図星かよ。そんなマジで泣きそうな顔するなってのに。
「それで、どうなんすか。地獄の社畜生活は。」
ぷいとそっぽ向いて、苛立たしげに小枝をザクザク床に突き立てながらユキちゃんが述べた。それこそ拗ねたお子様のよう。まぁお子さまなんだけど。
「そうだねぇ……」
こっちはこっちで、思い返す。ここ最近の自分の日々を。結論は退屈だ。
「変わりないよ。どこだろうと、人間の住む場所には変わりない。」
「ーーーーーー、」
ユキちゃんが、ふっと目を見開いた気がした。そして枝を地面に
突き立てる。ざく、ざく。
「そうなんだ」
「ああ、そうさ」
「じゃあ、ちょっとは安心かな」
「ああ、安心していいよ。別に、なにも違わない。このしみったれた街に、特別なことなんて何もない」
ざく、ざく。さっきまでとは違う、ちょっとだけ嬉しそうな「ざく、ざく」だった。
「そう。じゃあ許してあげる。おにーさんの裏切りを」
「裏切った覚えも、許される覚えもないけどいいや。仕方ないから許されてあげよう」
「スタバおごれ。いちばん高いの飲んでやる」
「いやだ。自分でバイトして払いなさい」
立ち上がり、うだうだと雑談しながら歩き出す。かつてはこの少女の隣を、大人になれず、ただ未来に怯えながら暮らすフリーターが歩いていたそうだ。もしそいつに会えるなら、言ってやりたいことがある。


変わりない。
特別なことなど何もない。
別に、過剰に怯える必要なんてなかったんだ。


「………ねぇ見て。またコンビニ潰れてる」
ユキちゃんに言われて目を向けたさき、看板を外してショップカラーも分からなくなった白塗りのコンビニあとがある。これだけ車通りが絶えない場所でも、収支が悪くなれば潰れてしまうのだから何だか不思議だ。
「私の将来も、いつかあんな風になるのかな……」
「はい?」
アホみたいなポエムを聞いた。でも見下ろせば、賢いはずのユキちゃんの顔は真剣そのもの。まじめにそんなことを憂いでる。……ああ、子供だ。幼いってのはこういうことだったんだ。
「ユキちゃんみたいな恵まれてる子の人生を、あんなショボいコンビニに例えるのはどうかと」
「何が恵まれてるって?」
「何もかも。主に顔。あと親」
一瞬、怒り出しそうだったが、少し考え込んで咀嚼したようだった。
「まぁ、確かに親には恵まれてるかな。普通だし」
ああ、それは理想的だね。実にいいことだ。

夏日は眩しく、ユキちゃんのゴスロリは暑苦しい。
「もうじきくーるびずします。」
それまでゴスなハンカチで汗をぬぐいながら、ユキちゃんがいった。ゴスロリにもそんな概念があったとは驚きだ。個人的にはハンカチまでこだわったディティールを誉めてあげたい。
つまらなくて退屈で平坦な土曜日の昼下がり。
いつかスタバでマックブック広げてどや顔で仕事するのがユキちゃんの夢だとか、最近テレビで山田孝之を見るだけで笑ってしまうとか、そんなくっだたない雑談を垂れ流した。
「トールってでかくね」
「うん、トールはでかい」
テーブルにうなだれ、ユキちゃんがぼんのうを漏らした。
「お金ほしいなー」
いつか手に入る。そんなのはいつでも手にはいる。理想にはほど遠いかも知れないけれど、それなりに収入を得る時が必ず来る。そんなことより大事なのはーー
「ねぇねぇ、そういえばさおにーさん」
「ん?」
ユキちゃんが、身を乗り出して言ってきた。楽しそうに、なんだか嬉しそうに。
「もう、小説書かないんすか、小説。あのつまんなくて退屈で、でもちょっとポエムなやつ」
「…………え」
「なんかこう、おにーさんの人生観が乗っかってるっていうか? うん、正直よくわかんねんだけど、なんかこう…………うまくは言えないけど、なんでかまったく分かんないんだけど、私、けっこう嫌いじゃなかったよ、あれ。」
 スタバの空気は緩やかだ。僕の頭のなかも、緩やかになる。ユキちゃんの、期待と挑発が入り混じったような蠱惑的な目に、僕はしっかりと応えなければならない。
「ああ――書いてるよ。ずっと。」
 橙色の花のように笑う少女。ゴスな服装からかけ離れた、歳相応の元気な表情に安心する。

 変わらない。
 何一つとして、変わりはしないのだ。



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