永遠の探求

 あるところに、年老いた銀縁眼鏡の科学者がいました。
 科学者はたいへん技術と知識のある人で、世界最高の学者と謳われる人でした。
 科学者は退屈でした。
 年老いるまでに、この世のほとんどの技術と知識を収集し終えてしまったからです。
 科学者によって世界は変わりました。
 たくさんのものが利便化され、向上し、生み出されました。
 人の寿命が200歳に届く時代になりました。
 今日も科学者は、大統領の家に招かれ政治のためのマクロ思考機器をメンテナンスし、音楽家の家に招かれ理想旋律ピアノに改良を施し、死産した赤子を心停止から蘇生させました。
 役目を終えた科学者は、ガンの治療技術を公表すると共に隠居。
 愛する妻と共に、ささやかな余生を過ごすことにしたのです。
 世界は揺れました。
 テレビが、マスメディアがマイケルジャクソン死去の時のように騒然となりました。
 引退を惜しむ声が寄せられます。
 たくさんの署名が集められます。
 しかし、科学者は誰の声にも応じず、たくさんの人に惜しまれながら静かにトレードマークの銀縁眼鏡を外すのでした。引退の挨拶と共に。
 妻との余生は穏やかなものでした。
 財もあり、哲学も話術も芸術も、いろんなものを持っている科学者と妻が退屈することはありませんでした。
 しかし終わりは突然やってきます。
 それはあるよく晴れた冬のこと。
 妻が、倒れたのです。キッチンで料理をしている最中のことでした。
 老衰。
 どうやっても延長しようのない脳年齢の限界。
 病床で、命が失われゆく妻の手を取り、老いた科学者は思い出しました。
 現役時代に、どうやっても果たせなかった研究課題があるのです。
 それは彼の人生でただのひとつきりの敗北。
 すべての学問を究め、すべての技術を極めても届かなかったのです。
 ――どうして、私には、“永遠”を作ることが出来ないのか。
 再び科学者は、銀縁眼鏡を掛けました。
 この世のすべての学問と技術を寄り集め、また新たに生み出し、更に更に先へと手を伸ばします。
 また世界が進み始めました。
 人々は歓喜しました。
 科学者は、不自由になった身体を自分の科学で補いながら、ただ“永遠”だけを研究し続けました。
 長い長い道のりでした。
 何度も何度も倒れました。
 途中で妻は息を引き取りました。
 挫けそうになる科学者でしたが、これも妻の供養のためと研究を続行しました。
 妻の残した遺言を胸に。
 たくさんの不可能を乗り越えて。
 そしてとうとう、“永遠”が完成したのです。
 世界は湧きました。
 でも、もう、救うべき妻は失われていたのです。
 科学者は人々に“永遠”を分け与えました。
 すべての人に均等に。
 不老不死の完全世界。
 いまテレビで笑っている大統領は、千年後も変わらず笑っているでしょう。
 いま演奏会で奏でている音楽家は、二千年後も変わらず奏でているでしょう。
 あの日の赤子だった少女は、もう2度と死に怯えることなく生きてゆけるのです。
 ただ科学者の胸にだけ、ひとつぽっかりと空いた穴。
 失われた妻。
 でも死を取り戻す研究には手を出しませんでした。
 それが妻の遺言だったからです。
 満たされた、けれどどこか淋しい余生を過ごしました。
 それはあるよく晴れた春のこと。
 世界は幸福のただ中にありました。

 科学者は最期まで、自分に“永遠”を使うことはありませんでした。