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白金記外伝・異世界レストラン編

   1

 ぼくの名は|白金《しろがね》ヒデル。世界征服を目指す秘密組織白金機関で日夜身を粉にして働くエージェントだ。
 先日の任務(二〇一三年十月二十二日、鷹条宮美奪還作戦)で足を負傷し、任務から外されて暇を持て余していたぼくは、日本で最も高い百階建ての第三白金タワーの三十七階レストラン街フロアで昼食をとろうとしていたところ、一風変わったレストランを発見した。
 |fumyu《フミュー》か。初めて聞く名前だけれど、こういう変わったところで食事するのも面白いかもしれない。
 たまにはヒヅル姉さんや妹の|星子《せいこ》を誘って|姉弟妹《きょうだい》仲睦まじく食事でもしようか、と企み、ぼくは白金エレストロニクス謹製のスマートフォン〈|IRIS《イリス》〉で彼女たちに誘いのメールを送った。星子はまだヒヅル姉さんのことを本当に信用できるかどうか疑っていたみたいだったし、これを機に二人の距離を縮め、仲良くしてほしいという思惑があった。
 星子も姉さんもぼくの誘いを快く受け入れ、ちょうど正午にこのレストランfumyuの前に集合することとなった。
「ごめーん。ちょっと友達と|Rhine《ライン》してたら遅くなっちゃった」
 星子がエレベーターから降り、小走りでぼくと姉さんのところまでやってきた。ちなみにRhineとはドイツ発祥のSNSであり、簡単に無料通話できるなどの利便性から、今現在日本で最も普及しているSNSである。その名の由来は言うまでもなくドイツのライン川。
「ほゝゝ。良いのですよ、星子。いずれこうして三人で本当の|兄妹姉妹《きょうだいしまい》のようにゆっくり食事でもしたいと思っていましたから。ありがとう、ヒデル。私の方から何度か星子をお誘いしたのですが、なかなか都合がつかなかったようで」ヒヅル姉さんが星子をちらりと|一瞥《いちべつ》してからぼくに言った。
 星子はびくりと身を震わせ、ぼくの純白のスーツの袖を掴んだ。そして「そ、そうなんだよ。兄貴。ほら、あたしけっこう友達多いからさ」と、何だか弁明するように言った。
 やはりぼくの思ったとおり、星子とヒヅル姉さんの仲はお世辞にも良いとはいえない。いや、星子が姉さんに対して距離を置いているというべきか。星子も姉さんもぼくにとっては大切な家族であり、そんな二人の関係がギクシャクしているのはぼくの悩みの種だった。
 三年前、姉さんはぼくと星子の本当の関係、すなわちぼくたちが血の繋がっていない義兄妹であることと、ぼくの出生の秘密、そして父さん母さんの死の真相を、すべて包み隠さず星子に打ち明けた。無論ぼくや姉さんと違って星子はただの一般人であり、裏社会の真実など語るべきではなかった。が、母さんに似て勘の鋭い星子は、この|兄《ぼく》がくたくたになって深夜に帰宅する毎日を疑問に思い、ぼくを問い詰めた。伝説のスパイに弟子入りして地獄の稽古を受けている、などという真実は、愛する我が妹に要らぬ心配をかけぬよう内緒にしていたのだが、訓練で疲れていたぼくはうっかりボロを出してしまい、星子の疑念を確信へと変えてしまった。結局星子を欺き通すことはできないと判断した姉さんが、すべてを話すことにしたのだ。
 ぼくはヒヅル姉さんの誘いで白金機関に入り、以前とは豹変したように(と星子は言った)ヘリオスとの戦いに明け暮れるようになった。それを星子は快く思わず、ぼくが姉さんに洗脳され、都合のいい駒としてこき使われているとでも思ったのか、姉さんに対して食ってかかろうとした。姉さんは今さら説明不要な気もするが、ぼくの所属する闇組織白金機関の総帥であり、そんな彼女には人を惹きつけ従わせるカリスマ性があるが、星子のように明らかに敵意を持った人間に対してはどうしようもない。
 だが星子。君は姉さんを誤解している。姉さんは君のように善良な一般市民が安全に幸せに暮らせる〈完全世界〉を作ろうとしていて、ぼくはその理想に感化され、ぼく自身の意志で協力しているにすぎないのだ。今日は三人仲良く食事でもして、二人の間にあるわだかまりを解いてやる。
「しかし。|fumyu《フミュー》、というのですか。こんなレストランが新しくできたという話は聞いてませんね。いつ造られたのでしょうか」姉さんが銀色の雲海が描かれた扇子を口もとに当て、不思議そうに呟いた。
「珍しいね。姉さんはこのビルのことならすべて把握してると思ってたんだけど」
「ええ。そのつもりだったのですが」心底不可解、というように姉さんは首を傾げた。すべてにおいて完璧とばかり思っていた姉さんにも可愛いところがあるんだな、と、ぼくは頰をほころばせた。
「まあ、細かいことはどうでもいいさ。中へ入ってみようよ。今日はぼくが奢ろう」
「あら。費用なら私がお支払いいたしますわ。ヒデル、あなたはボーナスが出たらブガッティ・シロン(三億円のスーパーカー)を買うと言っていたではありませんか」
「そんな高級レストランでもないだろうに。ぼくが誘ったんだし、今年はたくさん稼いだから、星子の前でくらい格好つけさせておくれよ。姉さん」
「なるほど。そういうことなら、かまいませんわ。ほゝゝ」姉さんは今度は派手な黄金の極楽鳥が描かれた扇子を口もとに当てて微笑んだ。
 星子は先ほどから気まずそうに時々横目でこちらを伺いながら、スマホをいじっていた。

 真新しい白金タワーに不釣りあいな、レストランの木製の古びた扉をぼくが押し開けようとする直前に、それは勝手に開いた。自動ドアだったらしい。
 中に入る瞬間――ほんの一瞬ではあったが、ぼくは奇妙な感覚に襲われた。突然宇宙空間に放り出されて体重を失い、体が宙を泳いだ。そんな感じ。
 姉さんも何か感じとったのか、やはり不思議そうに眼を見開いていた。星子にいたっては何か仕掛けでも探しているのか、周囲をきょろきょろ見渡していた。
「いらっしゃいませ。異世界レストラン・fumyuへようこそ。三名様ですか」
 長い赤毛を左右で三つ編みに束ねた歳の頃十代後半くらいのかわいらしいウェイトレスが、ぼくたちを出迎えた。
「異世界レストラン……?」星子が|怪訝《けげん》そうに復唱した。最近流行りのコスプレ喫茶とかそういう類の店だろうか。
 ウェイトレスに案内されるがままに、ぼくたち三人は窓際の席へ座った。
 窓の外には横浜の街並み……ではなく、見たこともない黄金の大草原が地平線まで広がっていた。ここは横浜新都心の中心にある白金タワーの三十七階のはずなのだが、窓に液晶ディスプレイでも仕込んであるのだろうか。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいませ」
 赤毛のウェイトレスはうやうやしく一礼すると、厨房の奥に去っていった。
 早速メニューを広げてみるも、見たこともない料理名がずらりと並んでいた。バトルフィッシュの塩焼き、魔界カピパラのサーロインステーキ、雷豚の唐揚げ、などなど。
「見たこともないメニューばかりだなあ」ぼくは嘆息して言った。
「何これキモい。エイリアンみたい」星子がホラー映画か何かに出てきそうなグロテスクな|生き物《クリーチャー》の姿焼きを指差した。木星深海魚の丸焼きと書かれていた。木星にも深海魚がいたのか。
「これは面白いレストランですね」ぼくたちとは逆に、姉さんは興味深そうにメニュー表を眺めていた。世界のありとあらゆる一流料理を食べ尽くしている姉さんにとってはかえって新鮮なのかもしれない。
 さて、問題はどう星子と姉さんの距離を縮めるか。ふたりの共通点は、正直まるでない。姉さんの趣味といえば、読書やクラシック鑑賞、絵画や彫刻などの美術品収集、盆栽いじり、チェス(ぼくは何度か挑んだが、勝てる気がしなかった)などといった、星子のような今ドキの現役女子高生には縁遠いものばかりであり、星子は星子でV系バンドを追ったり、お洒落をしたり、友達と甘いお菓子を食べたりカラオケしに行ったりするくらい。共通の趣味を題材にして打ち解けさせるというシンプルだが最も効果的な手は今回採用できない。が、ぼくも何の策もなく彼女たちを誘い出したりはしない。この異世界レストランとやらの存在は予想外だったが、それ以外はすべてぼくの思い描いたシナリオ通りに進んで――

 ふいに異常な気配を察知したぼくは、星子を抱えてすばやく横に跳躍した。

 がしゃーん。
 すさまじい音とともにガラスが飛散し、いつのまにか窓から高齢者マークのついたプリウスが生えていた。
「うっそ。ここ三十七階よ? どうやって突っこんできたの、このじじい」
 星子が眼を丸くして言った。
「最近は飛行自動車の開発に各社しのぎを削っているからね。プリウスにも飛行機能が搭載されたモデルが出たのかもしれないね。ははは」
「いや、どう見ても普通の車っしょ。てか、うわ、兄貴、頭だいじょうぶ?」
 星子に心配そうに見つめられ、ぼくはようやく頭にガラスの破片が突き刺さっていることに気づいた。
「ああ。これか。だいじょうぶ。かすり傷だよ」
「素晴らしいですわ。ヒデル。身を呈して星子を守ったのですね。姉として誇らしく思いますわ。星子は、怪我はありませんか」
 姉さんが星子に手をさしのべ、微笑んだ。
「あ、うん。あたしは大丈夫。あたしより兄貴が」星子は姉さんの手をとり、立ちあがった。
「ぼくは大丈夫さ。それよりこのレストラン、何だかおかしいね。あんなゴリラ、白金タワーにいたかな」
 厨房近くのカウンター席では、どこから現れたのか、三メートル近くもある巨大なゴリラがバケツの如き器に盛られたバナナを次から次へとむさぼり食っている。
「何あのでっかいゴリラ」星子が眼を丸くしていた。「白金タワーって動物園あったの」
「ないよ」即時に否定するぼく。
 それから程なくして、ぼくたちの入ってきた反対側の扉からひとりの男が入ってきた。何と、全身緑色の肌だった。男は得体の知れない動物の肉をテーブルの上に勝手に陳列し始めた。
「赤色人種の肉だ。安くしとくぜ。焼肉にすると美味いぞ」
 てっきり映画かドラマの撮影で、特殊メイクでも施しているのかと思いきや、緑の男の手にはカエルのような水かきがあり、尻からはウナギのような尻尾がぶるんぶるんと、まるで別の生き物のように動いていた。
 ぱちぱちぱち、と、唐突にぼくの背後で調理服に身を包んだ銀髪の若い男が手を叩いていた。
「異世界レストランfumyuへようこそ。店主のクレブと申します」クレブと名乗った店主は、ぼくを指差して続けた。「あなた、なかなか素晴らしい動きですね。どうです? 当店はちょうど明日、開店五百周年を迎えます。ので、記念メニューを作るために、実はリヴァイアサンの尻尾肉が必要なのです。もし獲ってきていただけたら、一キロにつき六万オーロで買い取らせていただきますよ」
「オーロとは何だ。日本円に換算するといくらくらいになるんだ」
「日本円ですか。地球の地方通貨ですね。二〇一三年十一月三日現在のレートで換算すると、金六千五百キログラム相当、約三百五十七億七千二百万円になります」
「ずいぶん太っ腹だな」ぼくは嘆息して言った。
「ひとつお訊ねしたいのですが」姉さんが挙手し、ぼくと店長の間に割って入った。「私、白金タワーのオーナーの白金ヒヅルと申します。このレストランの存在は本日初めて知ったのですが、いつどのようにして我が白金タワーにいらしたのでしょうか」
 姉さんが不思議に思うのも無理はない。なぜなら白金タワーは無数のカメラと人工知能|IRIS《イリス》により二十四時間絶え間なく監視されており、データにない人間がタワーに侵入すればただちに警備員に捕らえられるのだ。むろん白金タワーにレストランを築くには姉さんの許可が必要であり、彼女の知らぬ間にレストランを築くなんて芸当は、たとえ世界最大の闇組織、秘密結社ヘリオスの連中でも不可能だろう。
「我がfumyuは先ほども申したとおり、異世界レストランでございます。どこにもあるし、どこにもない。あなたのビルの一画にたまたま空きがあったので、〈ゲート〉ができたのでしょう。もしご迷惑ならば、あなた方がお帰りになられた後にすぐ他の場所へ移動いたしますよ。我々の目的は、色々な世界の方々に最高の料理をふるまうこと。それだけですから。ご注文はお決まりになりましたか? お金の心配なら大丈夫です。現金の持ちあわせがなくても、カード払いや電子マネー払いにもちゃんと対応してますよ。ありとあらゆる世界のね」店主クレブはそれだけ言い残し、姉さんに背を向けた。「では私も忙しいので、これにて失礼」
「変なの。コスプレ喫茶とか、そういうとこなの? ここ」
「ほゝゝ。そうかもしれませんね」姉さんが穏やかに微笑みながら星子の頭を撫でた。「とりあえず、オーダーを決めましょうか」
 姉さんはこの異常事態にまったく動じることなく、まるで日常であるかのように冷静だった。店主の態度から特に問題ないと判断したのかもしれない。姉さんは相手の表情や仕草、筋肉の微妙な強張りから脈拍、発汗にいたるまでをその超人的な観察力で見極め、相手が嘘をついているかがわかるのだ。
 姉さんが大丈夫というなら、大丈夫なのだろう。ぼくはなかば自分に言い聞かせるようにして席に着き、ふたたびメニューを開いた。

「ご注文をお持ちしまし――」
 ぼくの傍を通りかかろうとした先ほどの赤毛のウェイトレスが、床の段差に|躓《つまず》いた。
 同時にぼくは席を飛び出し、ウェイトレスが顔面から床に突っこむ前に彼女を抱きかかえ、支えることに成功。ウェイトレスの手から離れていったお盆と料理は、ぼくと同様零秒で反応したヒヅル姉さんが見事にキャッチしていた(皿の上のステーキはおろか、グラスに注がれたワインの一滴すらこぼれていない。さすが姉さん)。星子は一瞬のできごとにようやく反応が追いついたのか、感心したように拍手しだした。
「怪我はないかな。お嬢さん」
 ぼくが|爽やか美男子微笑《イケメンスマイル》でそう訊ねると、ウェイトレスは左右のお下げを別の生き物のように跳ねあげさせ、顔を紅潮させた。
「あ、はい」ウェイトレスは純真無垢な笑顔で頷き、そしてすぐに顔を歪め、左足を手で押さえた。「いたた」
「足をくじいてしまったのかな。スタッフルームまで、ぼくが送るよ」
「あ、ありがとうございます。でも、お客様に料理をお持ちしないと」
「心配いらないよ」
 ウェイトレスが運んでいた料理は、すでにヒヅル姉さんが客のところへ届けていた。ぼくと同じく〈人工全能〉すなわち遺伝子改造された新人類である姉さんは、白金グループという巨大コングロマリットを率いる立場上数十人の話を同時に聞き分ける能力の持ち主であり、おそらくこのレストランのすべての人間の会話を聞き取り、誰がどんなものを注文したかもすべて把握していたのだろう。
「え。よくわかりましたね。私があのお客様のもとへ行こうとしてたの」赤毛のウェイトレスは驚きを隠さずにそう言った。
「彼女は何でもお見通しなのさ。それより、君の足が心配だ。応急処置くらいならできるから、スタッフルームへ行こう」

   2

 足をくじいてしまったウェイトレスの少女をスタッフルームまで送り届け、簡単な応急処置を施した帰り際、ふいに何者かがぼくのズボンの裾をつかんだ。
「お、おい」
 そこには顔色の悪い屈強そうな、しかしぼろ切れをまとった怪しげな男が地べたを這いずり回っていた。その背には長さ一・五メートルはある大きな剣、それもかなり使い古されているのか鞘も柄も汚れてボロボロになっている。
「た、たのむ。み、水を、くれ。砂漠で、遭難しちまって」
「な、何だお前は」その男の異様さに、ぼくは思わず後じさりをした。
「お茶でよろしければ」姉さんが何事もなかったかのように、いつのまにか手にしていた湯呑みをぼろ切れの男に渡した。
「ありがてえ」男は姉さんから受けとったお茶を一気に飲み干した。「俺はアダム。悪魔に乗っ取られたバーチー王国を救うために旅をしている。この恩はいつか必ず返すぜ。それにしてもあんた、何だかその、女神様に似てるな」
「あら。ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ。おほゝゝゝ」
「お世辞じゃねえ。本当に似てるんだ。俺は一度だけ、女神様に会ったことがある。何となくあんたと似てるんだ」
 どか。
 アダムと名乗った男は突然何者かに尻を蹴飛ばされ、地面と濃厚な|接吻《キッス》を交わした。
「邪魔よ。ドリンクも頼めない貧乏人はさっさと消えなさい」
 やたらと態度のでかいウェイトレスがアダムをにらみつけて罵り、ぼくたちのテーブルの上に伝票をぴしゃりとたたきつけた。
「オーダーは決まったのかしら。決まったのなら、さっさとおっしゃい」
 何だかウェイトレスらしからぬというか、おかしな女だった。アングロサクソン系の二十歳くらいの美女だったのだが、その腰まで伸びた金の巻き毛、頭にはやたらと豪華な装飾の施された銀……いや、|白金《プラチナ》のティアラ、そしてそのコバルトブルーの瞳は、獲物を狙う爬虫類のごとく鋭い光を放っていた。その尊大な態度と相まって、まるでどこかの国のお姫様のようだった。
「ちょっと、何。あんた態度悪くない?」星子が顔をしかめた。
「何か文句があるのかしら」高圧的なウェイトレスは星子を睨みつけた。あまりに鋭い眼光に星子はたじろいだのか、ぼくの手を強く握ってきた。
「まあまあ。ふたりとも。ぼくの方は注文は決まったよ。デビルポークの唐揚げと魔界|法蓮草《ほうれんそう》のソテーに|蓬莱山《ほうらいさん》ラーメン、そしてそれから、貴女の素敵な笑顔かな。女性は笑顔が一番だよ」
 ぼくが得意の|爽やか美男子微笑《イケメンスマイル》でそう言うと、ウェイトレスは口角を吊りあげて笑った。しかしそれは心から笑っているというよりはもっと凶悪な――そう、獲物を見つけた時の猛獣のような、そんな攻撃的な笑みだった。
「面白いことを言うのね、あなた。肝が太いのか、何も考えてないのか。気に入ったわ。私のペットにしてあげてもよろしくてよ」
「はあ? 意味わかんないし」星子が身を乗り出して|吼《ほ》えた。
 ぼくはそんな愛する妹を手で制し、ウェイトレスに対して柔らかく笑んだ。
「ペットよりも、ぼくは貴女の|騎士《ナイト》でありたいな。お姫様」
 そう言って一礼しウインクするぼくを見て、ウェイトレスは今度は何かがツボにハマったのか、腹を抱えて笑いだした。しかしその笑い方にはどこか気品が感じられた。
「私はアトランティス海老のピラフと、月兎肉の塩焼きを。星子。オーダーは決まりましたか」
 何事もなかったかのように姉さんが淡々とそう言うと、星子は「あ、うん」とだけ頷いた。「じゃあ、あたしも蓬莱山ラーメンにしようかな」
「オーケー。それで以上かしら。なら、私の方から厨房に伝えておいてあげるわ。感謝しなさいな。平民の下郎ども――いや、あなたは何だか他のふたりとは雰囲気がちがうわね」
 姉さんの放つ高貴なオーラを感じ取ったのか、ウェイトレスの態度が一変した。
「名乗りなさいな。どこかの国の王族か、それとも貴族の家の生まれかしら」
 ウェイトレスは突如ヒヅル姉さんに顔を近づけ、威圧的に命令した。
「私の名は白金ヒヅル。多国籍コングロマリット・白金グループの会長を務めております。以後お見知り置きを」
「商売人って柄じゃないわねえ。あなた」ウェイトレスは値踏みするように姉さんを睨め回した。「私と同じ匂いがするわ。その仮面の裏に、どんな野心を隠しているのかしら」
「買いかぶりですわ。ほゝゝ」
「私の名はキャサリン」ウェイトレスは優雅な仕草で胸に手を当て、自分の名前を名乗った後に一瞬だけ間を置き「キャサリン・シンフィールドよ」と、続けた。まるで自分の本当の名を言うべきかためらった、そんな感じだった。度を超えた尊大な態度といい、彼女がただの一般人とは到底思えない。もしかして本当にどこかの国のお姫様か、貴族の令嬢だったりするのだろうか。だとして、なぜそんな女性がここでウェイトレスをしているのか。謎は深まるばかりだった。
「お会いできて光栄ですわ」姉さんは淑やかに微笑み、キャサリンに手を差し出した。
「姉さん」
 ぼくが叫ぶと同時に、姉さんはとっさに星子を押し倒し、自らもテーブルをひっくり返して床に伏せた。
 ぴいー。
 甲高い高周波の音とともに、青白いひと筋の光が、レストラン内をなぎ払った。
「うわあ」
「ぐおお」
「やめてくれえ」

 レストラン内にいた客の何人かが、得体の知れない光によって体を瞬時に〈切断〉された。

 傷口が高熱で炭化してしまったのか出血はなく、まるでバラバラにされたマネキンのように客の体が四方八方ごろごろと床を転がり、何だかとてもシュールな光景だった。
「え。な、何」
 星子が困惑して声を洩らした。それを姉さんが人差し指を口に添えて沈黙を促した。
 レストランの入口には、紫色の肌にトカゲの顔をした、SF映画もかくやという人型のモンスターが十五、六人、見たこともない形状のライフル――いや、レーザー銃を構えていた。中央のリーダーと思しき、額に鉤爪か何かでひっかかれたような三本傷を持つひときわ大きなやつが、野太い声でこう叫んだ。
「全員動くな。俺たちはフリード星からやってきた自由戦士である。このレストランは俺たちが乗っ取った。文句のあるやつは出てこい」
 厨房の奥から、店主クレブが出てきて〈トカゲ〉たちの前に立ちはだかった。
「あの、お客さん。困りますね。レストラン内で揉めごとは――」
 次の瞬間、彼はトカゲの一匹が放った光線に頭を貫かれた。
「ほかに、文句のあるやつはいるか」
 今度は誰も何も言わなかった。姉さんはテーブルの裏で星子を抱えながら様子を見ていた。
「この異世界レストランの噂は前々から聞いていた。こいつがありゃ、帝国軍の連中なんてメじゃねえ。好きな時に、好きな場所から攻撃できる。無敵の基地じゃねえか。〈革命〉が成功するまで、使わせてもらうぜ。逆らうやつは全員殺す」
「ヒデル」姉さんがぼくの耳元で小さくささやいた。「こちらには星子がいます。そして敵の力は未知数。あのレーザーの攻撃範囲は厄介です。何とか隙を作って出口を確保し、ひとまずここを脱出しましょう。もっとも、白金タワーに出られるという保証はありませんが」
 レストランの二つの出口は、すでにレーザー銃を構えたトカゲによって塞がれていた。無事に脱出するには、最低でも出口にいる一体は倒さなければならない。しかし相手は未知の宇宙生命体で、戦闘能力は未知数。リスクは大きい。
「ちょっと。なに店長殺してるのよ。彼が死んだら、誰が私の給料を払うのかしら」
 ぼくの背後からキャサリンが仁王立ちしてトカゲたちを指差し、詰った。
「よせ。やつらを刺激するんじゃない」ぼくは身を隠しながら小声でキャサリンに言った。
「給料なら俺がくれてやるぜ。ただしこいつでな」
 三本傷のトカゲがキャサリンに銃口を向け、レーザー光線を放った。
 ぼくは何とかしてキャサリンを救おうと思っていたのだが、その必要はなさそうだった。素人とは思えぬ身のこなしでレーザーを避け、彼女はカウンターの裏側へ隠れた。やはりただのウェイトレスではない。
「やってくれるじゃないの。下等生物ふぜいが」
 次の瞬間、ぼくは眼を疑った。
 キャサリンがやつらにその白く細長い腕を伸ばしたかと思うと、それは瞬時に〈変形〉し、一秒後、巨大なバルカン砲と化していた。彼女はロボットなのか、あるいは機械の体を持ったサイボーグか何かなのか。いずれにせよ、あんな変形機構はたとえ白金グループの技術力を結集しても造れないだろう。
 キャサリンは周りに客がいるのもお構いなしに、腕のバルカン砲から無数の鉛玉をばら撒いた。
 ヴヴヴヴヴヴヴ。
 秒間百発を超える鉛玉の大群は、〈点〉というよりは〈線〉の攻撃であり、それはトカゲ連中のレーザー兵器にひけをとらなかった。
「ぐぎゃあ」
「ぶええ」
 トカゲ戦士のうちふたりが、キャサリンのバルカン砲によって体を引きちぎられ、絶命した。
「この女、サイボーグか」
 トカゲ戦士たちもレーザー銃で反撃し、レストランは一瞬にして戦場と化した。
 とはいえ、多勢に無勢だ。
 あのキャサリンの兵器は強力だが、トカゲどもにはレーザー銃があり、しかも数は十匹を超える。いったんレーザーの集中砲火が放たれれば、彼女はすばやく柱や壁、テーブルの影などに逃げこむしかない。いくら彼女がサイボーグでも、あのレーザーの直撃を受ければひとたまりもないだろう。
 姉さんはおそらく丸腰で、しかも星子が傍にいる。ぼくがキャサリンを援護しなければ。

   3

 姉さんと星子はテーブルの陰に身を潜めていた。が、トカゲどものあのレーザー光線は、木製の机などたやすく撃ち抜くであろう。このままではジリ貧だ。姉さんもそれがわかっていたのか、星子に「ここでじっとしているのですよ。声をあげたりしてはなりません」とだけ言い、次の瞬間ものすごいスピードでトカゲどもに飛びかかった。
 姉さんはおそらく丸腰だ。ぼくも加勢しなければ。星子を守るためにも、ぼくたちがこのトカゲどもを倒すしかない!
 ぼくは隠し持っていた小型拳銃ワルサーPPKをすばやく抜き、姉さんを援護するべくトカゲどもに弾幕を張った。
 トカゲの注意がぼくに向けられ、レーザーの集中砲火が放たれる。
 しかしいくら敵のレーザーが強力でも、射撃から零秒で反応できる〈全能反射〉を持つぼくに正面からの攻撃は通用しない。すばやく各光線の軌道を読み、回避し、壁の裏に逃げこむ。
 ぼくに気を取られている隙に、背後から回りこんだ姉さんが、トカゲの胴体を、鎧の隙間から貫手でぶち抜いた。
「ぐええ」トカゲは青色の血液を口から大量に吐き出し、絶命した。
「よくもやったな」
 残りのトカゲが姉さんにレーザー銃を向けたが、今度はぼくがトカゲに対して連続で発砲、二匹の顔面を鉛玉でタコ殴りにした。宇宙人だろうが、頭に銃弾を受ければ死ぬようだ。胴体は剣道の防具のような鎧で覆われているので、連中を殺すにはむき出しの小さな頭を狙うしかないが、ぼくの射撃技術なら造作もない。
「野郎。全員ぶっ殺してやる」トカゲの一匹が|咆哮《ほうこう》し、レーザーを無造作に放った。
「星子」
 机の裏で息を潜めていた星子の方へと、その光は向かっていく。〈全能反射〉でぼくはすばやくトカゲの息の根を止めようとするが、他のトカゲが放ったレーザーに妨害された。
 だが次の瞬間、星子を狙ったトカゲの頭部と胴体が〈分離〉した。
 星子を今まさに切り裂かんとしていたレーザーは明後日の方向へと向かい、やがて消失した。
 姉さんが先ほど助けた、ボロ切れをまとった行き倒れの冒険者アダムが、その身の丈ほどもある大剣でトカゲの首を切り裂き、星子を守るようにしてその前に立ち塞がった。
「あら。我が|義妹《いもうと》をお守りいただき、ありがとうございます」姉さんが丁寧にアダムに一礼した。
「女神様の妹さんだったのか。だったらなおさら死なせるわけにゃいかねえな」アダムは大剣の切っ先をトカゲどもに向け、一瞥した。
「あの。何の騒ぎでしょうか」先ほどぼくがスタッフルームに連れていった赤毛のウェイトレスが出てきた。
「来るな」
 ぼくが叫ぶと、赤毛のウェイトレスは床に転がった店主クレブの死体を見て、「ひ」と短く声を洩らした。
「ウェディ。何してたのよ。遅いわね」キャサリンが柱の裏から顔を覗かせ、赤毛のウェイトレスことウェディをなじった。
「一体何が」
「見ればわかるでしょ。このトカゲテロリストどもがfumyuを乗っ取りに来たのよ。もたもたしてないで、早く変身しなさい。レストランごと潰されたいの」
 変身……?
 キャサリンにまくし立てられた赤毛のウェディはなぜか恥ずかしそうに、ぼくの方を見つめてきた。
「うう。変身なんてしたくないのに」
 恥ずかしそうに顔を覆っているウェディの体が、みるみる巨大化していく。手足は丸太のように太くなり、全身が赤い体毛で覆われ、口からは鋭い牙が生えた。数秒後、そこには体長三メートルを超える赤毛の熊がいた。
「がお」熊がトカゲを睨みつけ、咆哮した。
「何だ、この化け物は」
 トカゲの一体がレーザーを放ったが、熊はその巨体に似合わぬ俊敏な動きで|躱《かわ》し、トカゲの一体に襲いかかり、むき出しの頭部にかじりついた。首が引きちぎられ、トカゲは絶命した。
 周りのトカゲどもが怯んだ隙に、今度は反対側からアダムが飛びかかった。
「女神様には指一本触れさせねえ。くらえ、必殺グルーチョ・ブレイク!」
 男は黄金色に輝く巨大な剣をトカゲの一匹にたたきつけ――いや、一匹だけでは足らず、後ろにいた数匹をも巻きこみ、さらにはその奥、若い金髪のカップルが座っているテーブルの上のピザをも真っ二つに両断した。
「何だこいつ」
 うろたえたトカゲが数匹同時にレーザーを発射したが、アダムは素早い動きで避けた。
「ぐるあ」
 アダムに気を取られていたトカゲの一匹が、熊の爪によってバラバラに切り裂かれた。
「くそ。腹が減りすぎて力が出ない」
 ぐるると鳴る腹を押さえうずくまるアダムに、いつの間にか両手に骨付き肉を持った姉さんが駆け寄った。おそらく隙を見て厨房から盗……いや拝借してきたのだろう。「それはいけませんわ。腹が減っては戦はできません。さあ召しあがれ」
「あんたやはり女神様や」
 唐突に関西弁になったアダムは目を輝かせて、姉さんから骨付き肉を受け取り、どえらい勢いで喰らい尽くした。
「ごちそうさん。これで百パーセントの力で戦えるぜ」アダムがふたたびトカゲに向き直ると、その手に構えた大剣が黄金の光に包まれていく。「ひぃやっはー」
 アダムとウェディ熊がトカゲを切り裂き、キャサリンのバルカンがふたりを援護するように他のトカゲたちの攻撃を妨害する。
 彼らがトカゲどもをぶちのめしているうちに、ぼくは姉さんと星子を連れ、出口を塞いでいたトカゲを銃殺した。
「おかしいな。ドアが開かないぞ」
 木製の古めかしい扉のノブは、ぼくが全力で回そうとしてもびくともしなかった。
「破壊しましょう」
 姉さんが扉に強烈な蹴りをたたきこんだ……のだが、古めかしい木製の扉は、まるでぶ厚い鋼鉄の扉のごとく姉さんをはじき返した。完全に予想外だったのか、姉さんは足を抱えてしばらく悶絶していた。
「だ、大丈夫?」星子が心配そうに姉さんに言った。
「貴様ら何してやがる。一匹たりとも逃がさんぞ」
 こちらへと向けられる、トカゲのレーザー銃。
 そのまま引金が引かれていたら、姉さんも星子もそのへんに転がっている一般客のバラバラ死体の仲間入りをしていたかもしれない。
 だがそんなことはこのぼくが許さない。
 トカゲが引金を引くより早く、その眉間に銃弾をたたきこんでやった。むろん致命傷、姉さんと星子を殺そうとした|不埒《ふらち》者は地面に崩れ落ち、生命活動を停止した。
「ぼくの姉さんと星子には、指一本触れさせないぜ」
 西部劇のガンマンがやるように、トリガーガードに指をひっかけくるくると回しながらぼくは決め台詞を言い放った。
「ヒデル。逞しくなりましたね」
 そう言ってぼくの頭を撫でるヒヅル姉さんの顔は、とても嬉しそうだった。
「足は大丈夫かい」
「ええ。まだ少し痺れていますが、骨に異常はなさそうです」
 姉さんはいつもの淑やかな微笑みでそう言ったが、弟のぼくの手前やせ我慢しているのか、うっすらと脂汗をかいていた。
「ぼくたちが出るまでもなさそうだね」
 そう、サイボーグ姫のキャサリン、赤毛熊のウェディ、そして謎の冒険者アダムが人智を超えた鬼神のごとき強さを発揮し、トカゲどもは明らかに劣勢だった。一匹、また一匹と|斃《たお》れ、最後には三本傷のリーダー格のトカゲを残すのみとなった。
「残るはあなただけね」キャサリンがサディスティックに笑い、トカゲリーダーにバルカン砲の砲口を向けた。「さあ、|跪《ひざまず》きなさい。降伏してfumyuの修理費用と私たちのお給料、そして死んだ店長やお客たちの遺族に対する賠償金を支払うなら、命だけは助けてあげるわ」
 追いつめられたトカゲリーダーは、悔しそうに顔を歪めた。

   4

「任務失敗か」トカゲどものリーダーは悔しそうに顔を歪めた。「もうこんなレストランはどうでもいい。てめえら全員殺して食ってやる」
「まだ減らず口をたたく余裕があるのね」キャサリンがまるでこの戦を楽しんでいるかのように獰猛に笑い、トカゲリーダーを見おろした。「それとも何か切り札があるのかしら」
「寿命が縮むから、できればやりたくなかったんだがな」トカゲが不本意そうな顔でため息をついた。
 めきめきめきぼきばき。
 肉や骨がきしむ気色の悪い音が、レストラン全体に響きわたり、みるみるうちにトカゲは巨大化していく。レストランの天井を破壊し、そして……
 巨大なドラゴンのごとき怪物と化した。
「フリード星人の中にはごく稀に変身能力を持って生まれてくる〈特別種〉がいる。それが俺様だ」
 トカゲ改めドラゴンは、周りに解説するように言った。
「くわあ」
 ドラゴンの口が白く光り、直径一メートル以上ある巨大な熱線が放たれた。
「星子」
 ぼくはとっさに星子のもとへ飛びこみ、彼女を抱きかかえてドラゴンと距離をとり、カウンターを飛び越えて厨房内に身を隠した。
「な、何なのあれ」星子は恐怖のあまりがたがた震えていた。
 今の一撃で天井が崩落し、悲惨な屍山血河の地獄と化したレストランの上に、清々しいほど青い空が見えていた。今日の横浜は曇り時々雨の予報だったのだが、やはりここは横浜ではなく、どこか別の場所なのだろう。
「俺様の下僕どもを可愛がってくれた借り、てめえらの命で返してもらうぜ。楽に死ねると思うなよ」ドラゴンが低く野太い声でそう言った

「この化物」
 キャサリンのバルカン砲が火を噴き、無数の銃弾がドラゴンに叩きこまれた……が、弾丸は白い火花を散らし、砕け散ってしまった。
「無駄だ。俺様の皮膚はダイヤより硬い。くわあ」
 次の瞬間、ドラゴンはキャサリンに熱線を発射した。
「ち」
 キャサリンは素早く横に飛んだものの、熱線が巻きおこした爆風に吹き飛ばされ、レストランの壁に叩きつけられてしまった。熱線を避けきれていなかったのか、腕のバルカン砲が融けてぐにゃぐにゃに変形し、赤く発光していた。
「死ね」
 ドラゴンがキャサリンにとどめを刺そうと先ほどの熱線を放つ――前に、ぼくが一瞬でトカゲの死体からレーザー銃をぶんどり、ドラゴンの顔面めがけて発射した。
 トカゲどもの使っていたレーザー銃ならもしかしたら、と思ったのだが、ドラゴンの皮膚をわずかに焼いた程度で、致命傷にはほど遠かった。人間でいうなら料理中にちょっと油がはねて火傷した程度だろう。
「ハエが」
 ドラゴンはぼくに向かって熱線を発射した。
 だが、ぼくは〈人工全能〉。敵の攻撃を〈見て確認〉してから回避できる。ぼくは瞬時に熱線の軌道を読み、俊敏な動きでかわし、建物の外側まで下がった。地平線まで広がる金色の草原、そして雲ひとつないロイヤルブルーの空。どう見ても横浜ではなかった。
「レーザーでもだめですか」姉さんが落ち着いた声で呟いた。
 ぼくに気を取られているうちに、ドラゴンの背後からウェディ熊が飛びかかった。
 がきいん。
 自称ダイヤよりも硬い皮膚は、ウェディ熊の鋭い爪でもびくともせず、逆に彼女の爪の方がべりべりと剥がれてしまった。
 そして次の瞬間、ドラゴンの右手がウェディの胴体を一閃。

 ウェディの胴体が、四つに引き裂かれた。

「あっ」キャサリンが眼を見開き、声を洩らした。
「バカが。熊がドラゴンに勝てるか」
 ドラゴンは血みどろの爪を威圧的に見せつけた。場の空気が瞬時に凍りついた。
「この野郎」
 キャサリンは憎々しげにドラゴンを睨みつけ、左手を突き出した。彼女の左手は右手同様機械なのか、瞬時に変形して大砲と化した。
 そのままどかんどかんと三発立て続けに発射した。が――
「ダイヤより硬いっつってんだろ。人の話聞けよ」ドラゴンがキャサリンを叱った。
「私の百二十ミリ砲が」無傷のドラゴンを見て、キャサリンは苦笑いした。
「俺に任せろ」
 素早く脇に回りこんだアダムが、黄金に輝く剣を構えていた。
「必殺グルーチョ・スラッシュ」
 勇者の必殺剣はドラゴンの肉体をも切り裂いた――ら、どんなによかったことか。現実は甘くなかった。
 ドラゴンは勇者の剣を片手で受け止めていた。手のひらの皮膚が切れ、紫色の血がぽたぽたと滴り落ちたが、ドラゴンの図体のでかさを考えればかすり傷である。
「俺様の体に傷をつけられたのは、おめーが二人めだ。ほめてやるぜ」ドラゴンはニヤリと笑った。「くわっ」
 アダムはドラゴンに掴まれた剣を手放し、素早く回避行動に移った。行き場を失った熱線はレストランの壁を破壊し、天井を完全に崩落させた。もはや異世界レストランfumyuは原型をとどめていなかった。
「うぐ」
 アダムは苦しそうにうめいた。それもそのはず。熱線を避けきれていなかったのか、左足が焼かれて炭になり、ぶすぶすと黒い煙をあげていた。
「姉さん。ぼくがやつを引きつけるから、星子を頼む。そして、できればここから脱出する方法を見つけてくれ」
 ぼくはもう一体のトカゲからレーザー銃を奪い、左右の手に一挺ずつ計二挺のレーザー銃を構えて姉さんにそう言った。
「わかりました。ヒデル。決して無理はなさらぬよう。必ず生還するのです」姉さんは真剣な表情でぼくに命じた。
「ははは。相変わらず注文が厳しいな。姉さんは」
 ドラゴンがアダムにとどめを刺す直前に、ぼくは二挺のレーザー銃でドラゴンに突撃した。
「うおお」
 ドラゴンはぼくに気づき、熱線を放った。
 おそろしく攻撃範囲の広いこの殺人光線を、ぼくは〈全能反射〉を駆使してレストラン内を飛び回り、全力で回避する。間近に熱線が飛び交い、サウナのように暑い。
 ヒヅル姉さんはキャサリンのもとへ駆けつけ、扉を開ける方法を訊いているようだった。
「元の世界へ帰るには、どうしたら良いのですか。扉が開かないのですが」
「知らないわよ。扉が壊れたんでしょ。扉のメーカーに電話して訊きなさい」
 キャサリンはめんどくさそうに返答し、融けてもはやただの鉄塊と化したバルカン砲を、トカゲから奪ったレーザー銃を使って切断した。
「こんな扉」
 星子がトカゲの死体からレーザー銃を剥ぎとり、扉に向けて放った。レーザーの強烈な一撃は、扉を貫通した。
 しかしその穴の向こう側には、レストランの外の情景、黄金色の草原が延々と広がっているのみだった。
 あの扉が壊れてしまった今、ぼくたちは元の世界に帰れなくなってしまったのだろうか。
「一匹も逃がさねえぞ」
 ドラゴンが星子に向かって、その大きな口を開けた。
 星子の顔が、恐怖に歪んだ。
「星子」
 ぼくはレーザーでドラゴンの顔を狙ったが、ほとんどノーダメージに等しく、やつの攻撃を止めるには至らない。
 姉さんが星子を救うべく、猛スピードで飛びこんだ。
 まずい。
 あのままでは、星子も姉さんも、ドラゴンの熱線で焼き殺されてしまう!

   5

「おや。想像以上に硬いですねえ。フリード星のドラゴンの皮膚は」
 ぼくは眼を疑った。
 ドラゴンが星子と姉さんを熱線で焼き殺そうとする瞬間――何と先ほどトカゲのレーザーに頭を貫かれ、絶命したはずの店主クレブが、青白く光る剣をドラゴンに一閃したのだ。
 それは大口径銃弾も砲弾もレーザー銃も無効化したドラゴンの皮膚を貫き、腕の肉を切り裂いた。初めてダメージらしいダメージを与えた。
 大きく切り開かれたドラゴンの二の腕の傷からは出血はなく、ただぶすぶすと黒い煙があがっていた。
「腕を切り落とすつもりだったんですがねえ」クレブが青白く光る剣を構え、ドラゴンに冷たく鋭い視線を送って言った。
「てめえ。たしかにレーザーで頭をぶち抜いたはずだが」ドラゴンがクレブをにらみつけた。
「はい。おかげで〈再生〉に少し手間取りました。が、あの程度の傷で死ぬようではこの異世界レストランfumyuの店主は務まりませんよ。こんなことは日常茶飯事。私の体のどこかにある核を破壊しない限り、私は何度でも蘇ります。くっくっく」
 クレブは誇らしげに胸を張り、光の剣を構えた。
「その光の剣。てめえフミューの騎士か」余裕|綽々《しゃくしゃく》だったドラゴンの表情が一変した。クレブを警戒しているようだ。
「いえいえ。今はもう引退してただの料理人ですよ」クレブの笑顔は好戦的な狩人のそれだった。
「料理人って面じゃねえな」ドラゴンの顔もまた、戦を楽しむ狂戦士そのものだった。
 ドラゴンとクレブの戦いは、我々人類の常識をはるかに超えた、まるでSF映画のヒーローと怪獣の戦いそのものだった。まるでビデオの早送りのような動きでドラゴンの攻撃を避け、光の剣を振るうクレブと、レストランを一瞬で廃墟と化し、鋼鉄すら切断する爪を持つドラゴン。もはやこの異世界レストランは原型を留めていなかった。しかしドラゴンの攻撃はクレブには当たらず、またクレブの攻撃もドラゴンに大した傷は与えられてなかった。そう、このドラゴン、巨体の割に素早いのだ。
「屁でもねえな。かすり傷がいくら増えたところで俺様は倒せねーぞ」
 あのドラゴンの強靭な皮膚と|巨躯《きょく》には、クレブの光の剣でもなかなか大ダメージにはいたらないようだった。
「その光の剣、予備はありますか。クレブ」姉さんがクレブにそう訊ねた。
「うちの見習いが使っているのがスタッフルームにありますよ。今日は非番なので、必要ならお貸しします。このドラゴン、なかなか手強い」
「ありがとうございます」姉さんは軽くクレブに頭を下げ、オリンピックの|短距離走選手《スプリンター》も真っ青のスピードでスタッフルームに駆け出した。
 ドラゴンが熱線を放射したが、クレブが素早く背後に回りこみ襲撃したため、熱線は明後日の方向に逸れた。
 しばらく膠着状態が続いていたが、姉さんが加わることで戦況は一変した。
「ふむ。とても軽くて何だか不思議な感じですね。異世界の武器というものは」
 姉さんがクレブと同じ光の剣を持ってスタッフルームから飛び出し、ドラゴンを切りつけた。
「しかも、伸びるのですね」
 姉さんが柄に据えつけられたつまみのようなものを親指で上下すると、光の剣の長さが変化した。
「普通はそうすぐには扱えないものなんですがねえ」クレブが肩を竦めた。「あ。あと長くすると充電早く切れますよ」
 充電式だったらしい。
「剣術の心得ならありますので」
 姉さんは剣を持った右手を前に突き出すように構え、淑やかに微笑んだ。そう、昔秘密結社ヘリオスのエージェントとして多くの修羅場をくぐり抜けてきた姉さんは、ありとあらゆる武器が扱えるよう訓練を受けたと聞く。
「ハエが何匹来ようが俺様の敵じゃねえ」
 ドラゴンの長大な尻尾が、鞭のごとくレストラン内をなぎ払った。が、クレブはもちろん姉さんも彼に負けず劣らずの身のこなしで直撃を避けた。
 姉さんが加勢したことにより、ドラゴンの全身には徐々に大きな傷が増えていった。体が大きいため、一発で致命傷を与えることは難しいが、このままじわじわと体力を削り、動きを封じてしまえばどうにでもなる。
「何あの動き。白金さん、あんなに強かったの」
 星子が眼を丸くしていた。無理もない、ぼくや姉さんが遺伝子改造された人造人間ということは知っていても、実際にぼくたちの戦いを見たことはないのだ。
「くそったれ。この虫けらども。この誇り高きフリードドラゴンの俺様に、よくも。ハエはハエらしく、くそでも食らいやがれ」
「言いたいことはそれで終わりですかねえ」
 クレブが真横に飛びながらドラゴンの背中に光の剣を一閃し、大きく切り裂いた。
「えけ」ドラゴンの大きな体がびくり、と、跳ねた。
「今です。お姉さん」クレブが姉さんにそう言い――

 バナナの皮で、足を滑らせた。

「何っ」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔、というのだろうか。今のクレブの表情が、まさにそれだった。ぼくたちが入店した直後、巨大なゴリラが貪り食っていたバナナの皮が、よりにもよってクレブの着地点に落ちていたのだ。戦闘中は敵から眼を離さない。それが大原則だ。つまり戦闘中の人間に、床に落ちていたバナナの皮を避けろと言ってもそれは極めて難しい。だからバナナの皮をポイ捨てしてはならないのだ。

 がし。

 ドラゴンの大きな右手が、クレブの左腕を掴んだ。

   6

「あっ」
 クレブは眼を見開いた。光の剣でドラゴンの腕を切り落とそうとするが、なかなか切れない。
「核だか何だか知らねーが、全部食ってやるぜ」ドラゴンが大きく口を開け、クレブの下半身に噛みついた。
「うぎゃあ」クレブの顔が苦しみに歪んだ。
 ばりばりむしゃむしゃ。
「星子。見るな」
 人間が生きたまま食われる残虐ショーで星子にトラウマを植えつけないよう、ぼくは彼女の眼をとっさに手で覆っていた。
「今助けます」
 姉さんがドラゴンを背後から光の剣でひと突きにしたが、ぶ厚い筋肉と脂肪に阻まれ、致命傷を与えるにはいたらなかった。ドラゴンは尻尾を鞭のごとくひと振りして反撃、姉さんは素早く距離をとり、避けた。
「食事くらいゆっくりさせろ。礼儀知らずが」
 言うやいなや、ドラゴンは一気にクレブの残された上半身にかじりつき、そのままぐちゃぐちゃと素早く噛み砕き、飲みこんでしまった。あまりに凄惨なその光景に、血みどろの戦場を駆け抜けてきたぼくでも吐き気がした。さすがのぼくも人間が生きたまま食われるところなんて見たことがない。映画以外では。
「不味いし食い足りねえ。言い忘れたが、俺はこの姿になると腹が減るんだ。気が変わった。てめえら全員生きたまま食らってやるぜ。俺様の血肉となって生きながらえるのだ」
 ドラゴンは姉さんを指差した。
「お前は美味そうだな。お前から食ってやる。そしたら他のやつらも順番にゆっくりと食べてやるぜ」
「では私が勝ったら今宵はドラゴン肉で焼肉パーティといきましょうか」あれほどの残虐ショーの後だというのに、姉さんはまったく物怖じせず、不敵に微笑んだ。
「くわあ」
 ドラゴンの熱線が姉さんに襲いかかるが、むろんぼくと同じ〈全能反射〉を持つ姉さんに正面からの攻撃は通用しない。クレブにも劣らぬ人間の限界を超えた機敏な動きでレストラン中を駆け回り、避けた。
「てめえもフミューの騎士だったか」
「私はしがない一企業グループの会長に過ぎませんわ。ほゝゝ」
 ドラゴンと姉さんが熾烈な戦いを繰り広げる中、ぼくと星子は、姉さんがクレブの二の舞にならぬよう、身を低くしながら床に散乱したバナナの皮を撤去していった。時々ドラゴンの熱線がやってきたが、ぼくが星子を抱えて素早く跳躍して|躱《かわ》した。バナナの皮拾いは星子に任せて姉さんに加勢したいところだったが、そうすればドラゴンの熱線や尻尾攻撃に星子が巻きこまれてしまうかもしれない。
 姉さんは比較的肉の薄いドラゴンの頭部や首筋に狙いを集中しているようだった。戦いが長引けば、ぼくがついている星子はともかく、戦闘不能になったキャサリンやアダム、そしてテーブルの裏に身を隠しながら震えている家族連れの一般客(青い肌をしているが)をドラゴンの無差別攻撃に巻きこみ、死なせてしまう可能性がある。が、しかしドラゴンも頭や首は切らせまいと厳重に守っており、姉さんは攻めあぐねているようだった。
「うぜえ」
 痺れを切らしたドラゴンが、その巨大な翼を広げ、ばっさばっさと空高く飛びあがった。
「くわあ」
 そして上空から一方的に熱線を発射。
 ぼくは星子を抱きかかえ、全速力で荒れ狂う熱線の間を走り回った。
「もう。夢なら|醒《さ》めてよ。何なのこのレストラン」星子がやけくそ気味に叫んだ。
 さすがの姉さんも空なんか飛べるはずもなく、唯一の攻撃手段と言ってもいい光の剣も、ドラゴンが空中にいる今では無用の長物で、ただドラゴンの攻撃から逃げるしかなかった。
「高射砲は……さすがに置いていませんか。ならば」
 しかし姉さんは顔色ひとつ変えず、トカゲのレーザー銃を拾い、ドラゴンの羽に狙いを定めて発射した。
 姉さんの正確な射撃はドラゴンの羽を捉えた。
 が、皮膚と同じく表面を少し焼いた程度で、貫通には程遠かった。
「羽ならレーザーでぶち抜けるとでも思ったか、ばか」
 ドラゴンが口を|鰐《わに》のごとく大きく開いた。
「くわあああ」
 ドラゴンの口の前に白い光の玉が出現し、どんどん大きくなっていく。
「とっておきを食らわせてやるぜ。レストランごとふき飛ばしてやる」
「さて。どうしましょうかね」
 姉さんが観念したように苦笑し、レーザー銃を床に置いた。

   7

 光の玉が直径十メートルほどまでにふくれあがった頃、ドラゴンは何か違和感を感じたように腹に手を当てた。
 そして次の瞬間、ドラゴンの腹から細い光の筋が生えてきた。
「うげえ。まさか」
 そう、先ほどドラゴンに食われたクレブが腹の中で蘇り、一緒に飲みこんでしまった光の剣を使って内部から徐々にドラゴンの腹を突き破ったのだ。
「言ったでしょう。私の〈核〉を破壊しないかぎり何度でも蘇ると。焦ってライトソードごと飲みこんだのが運の尽きでしたね」
 切り裂いた腹の中から顔を出したクレブが、その光の剣をノコギリのごとく前後に動かしながら、ゆっくりとドラゴンの腹を引き裂いていった。
「ぎーこぎーこ」
「いぎい。やめろばか」
 力が弱ったのか、ドラゴンの光の玉は消滅し、羽ばたきも徐々に遅くなって高度が下がってきた。
 ぼとぼと、と、ドラゴンの切り裂かれた内臓が空から落ちてきた。光の剣の高熱に焼かれたそれは、焦げ茶色のバーベキューと化していた。
「ナイスファイトです。クレブ」
 姉さんがいつの間にかドラゴンの頭の上に乗っており、その脳天に光の剣を突き立てた。鋼鉄のように硬い皮膚や肉、骨も、光の剣の高熱で徐々に融け、ずぶずぶと埋没していく。
「あっ」
 とうとう脳みそまで焼かれてしまったのか、ドラゴンは白眼を剥き、力なくレストランに墜落した。

   8

「ウェディ。しっかりなさい」キャサリンが叫んだ。
 そこには胴体をばらばらに引き裂かれた赤毛の熊――ではなく、赤毛の可愛らしい少女の無残な姿が、あった。
 キャサリンの必死の呼びかけに対し、ウェディは赤く染まった口をぱくぱくさせるだけだった。もう虫の息だろう。まだ生きているだけで奇跡だ。
「クレブ。彼女を治療できる病院は」姉さんがクレブに訊ねた。
「彼女は森の惑星ワルドの出身です。医療設備は皆無に等しい。宇宙熊の治療をやっている病院など聞いたことがない」
「ウェディを見捨てろというの」キャサリンが吼えた。
「残念ですが。その傷では、彼女は助からない」
 クレブの言う通りだった。もしウェディに猛獣並の生命力があるとしても、胴体をばらばらにされて生き続けられるはずもない。
 それでもキャサリンは納得いかなかったのか、分離したウェディの肉片を集め、彼女の上半身にくっつけようとしていた。出来の悪いホラー映画のようだった。
「くっつけ、くっつけ」
 キャサリンは何かに取り憑かれたようだった。その氷のように冷たかったコバルトブルーの眼尻から涙がこぼれ、見ていて痛々しかった。
「ウェディはキャサリンのトレーナーだったんですよ。家出してうちに転がり込んできた彼女の面倒を見て、fumyuでの仕事のいろはを教えこんだ。だから、彼女の死を――」
「待ってください」解説するように語るクレブを遮って、姉さんが落ち着いた声で挙手をした。「我が白金グループには最新鋭の医療設備があります。我々に任せていただけますか。助かるかどうかはわかりませんが、最善は尽くします。クレブ、元の世界へ戻る方法はありますか」
「扉が壊れてしまいましたか。ご心配なく。ただちに業者を呼び、代わりの扉を持ってこさせましょう」
「それなら私がさっき手配しておいたわ。もうすぐここに着く頃だと思う」キャサリンが言った。
「さすがはキャサリン。仕事が早いですねえ」
 この事態に相変わらず|飄々《ひょうひょう》としているクレブには眼もくれず、キャサリンは姉さんの眼をまっすぐに見て、こう言った。
「お礼なら後でいくらでもするわ。ウェディのこと……その、お願いね」
 どこかの国のお姫様のごとく終始高飛車だったキャサリンが、姉さんに懇願した。

 扉の業者はそれから数分ほどして、何もない金色の草原のど真ん中に突如出現した扉を開けて数人体制でやってきた。この扉はfumyuに設置されていたものと同じ製品らしく、客が中へ入るとコンピュータが自動的に識別して元の世界の空間座標に扉を作り、そことつなぐらしい。何を言ってるのか正直よくわからなかったが、現代の技術では実現不可能であることはたしかだった。
 姉さんはすぐさま元の世界へ戻ると、白金機関のエージェントたちに呼びかけ、瀕死のウェディを秘密研究施設へと送りこんだ。ここでは〈人工全能〉の研究をはじめとした、生物の遺伝子改良やクローン技術、再生医療の研究などが行われているという。詳しいことはぼくも知らないが、姉さん曰くウェディの体を冷凍保存して仮死状態にし、DNA情報を解析、失われた体や臓器をクローン技術によって再生して移植してみる、とのことだった。
 白金機関の最新鋭の技術と、ウェディ自身の驚異的な回復力により、ウェディはふたたび異世界レストランfumyuで働けることとなった。
「ありがとうございます。白金ヒヅルさん。うちのスタッフを救っていただいて」店主クレブが、調理帽を脱ぎ、姉さんに深々と頭を下げた。「あなたには返しても返しきれない大恩ができた。今日はすべて私の奢りです。そしてこれからも、異世界レストランfumyuへいつでもいらしてください。いつでも最高の料理をご馳走しましょう」
 ウェディをfumyuへと送り返した後、姉さんの元にクレブから招待状が届いていた。姉さんと、そしてウェディを救ってくれたスタッフたちに無償で最高級ディナーに招待したいと。
「彼女を助けたのは私ではありませんわ。白金グループの優秀なスタッフの懸命な働きあってのものです」
「本当にありがとうございます」クレブが白金機関の職員たちひとりひとりに頭を下げて回った。
 すっかり元気になったウェディも、料理を運びながら同様に|頭《こうべ》を垂れ、礼を述べた。
「あっ」
 ウェディがうっかり床の段差につまずき、派手に転んだ。がしゃーん、と、皿に盛られた料理が割れた皿とともに散乱した。ぼくたちの席から遠かったため、〈全能反射〉でも間にあわなかった。
「何やってるのよ、ドジね」
 キャサリンが後ろであきれたようにため息をつき、一緒に皿や料理を拾いだした。そして姉さんの存在に気づき、こちらへやってきた。
「こほん」キャサリンは照れくさそうに視線をそらし、咳払いをした。「ウェディのこと……その、よく助けてくれたわね。ほ、褒めてつかわします」
 人に礼を述べたことがないのか、彼女はしどろもどろになりながら姉さんにそう言った。本当にどこかの国のお姫様なのかもしれない。以前の高飛車な態度とのギャップが何だか可愛らしかった。星子にも見せてやりたかった。
「あら、それは光栄ですわ」姉さんはただ淑やかに微笑み、そう返した。
「もし何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってきなさい。力になるわ」
 キャサリンはそう言い残し、ウェディとともに厨房へ戻っていった。あの華奢な体に一騎当千の兵器を搭載している異世界のサイボーグ王女のひと言は、とても頼もしかった。
「しかし、残念でしたね」姉さんがため息をついた。
「何が残念なんだい。姉さん」
 ぼくはドラゴン肉のハンバーグを食べながら姉さんに訊いた。ぼくも今回のディナーに同席している(星子も誘ったのだが、「あんなレストラン二度と行きたくない」と突っぱねられてしまった。もっともだ)。
「異世界へワープする扉のことですよ。あわよくばあれを我が白金タワーに一台、と思って業者に交渉してみたのですが、フミューの騎士など、一部の人間のみが所属できる会員制のクラブに入っていることが条件のようです。残念ですわ。これがあれば〈完全世界〉の構築に大きく近づけるというのに」あのいつも超然としている姉さんが、珍しくがっくりと肩を落とし、うなだれていた。
「あなたなら、きっと良い騎士になれると思いますよ。私が保証します」
 クレブ自らが大皿に盛られたドラゴンの頭の丸焼きを持って現れ、姉さんにそう言った。

by 富士見永人

世界征服を目指す秘密結社白金機関のエージェント白金ヒデルは、ある日姉と妹の不仲に悩まされていた。彼女たちの間にあるわだかまりを解く方法はないかと悩む中、奇妙な異世界レストランが、彼の前に現れる。

白金記本編 → https://ncode.syosetu.com/n7989eg/

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