火を吹く怪物の夢

【SCENE 2/7】
×●××○○○
「もう助からないのよ――」
 え……?
「もう手遅れだから。どうしようもないことなの。本部から出頭命令が下っていてね……」
 何、言ってるんですか雪音さん。そんな。らしくないですって。
「だから、最期に、何をしたい? って聞いたら――映画を観たいって言うのよ。好きだったんですって。ちょうどこの街でシリーズ最終回が上映されていたの。なんだか、悲しいわよね……」
 いや、ダメでしょう。ちゃんと助けてやりましょうよ。そんなの、ねぇですって。
「…………夜になったら本部から迎えが来るわ。今生の別れになる。それまで、あの子を、お願いね……」
 いやいやダメですって。映画? 知りませんよ。俺に連れてけってんですか? 俺みたいなのに、何をやれってんですか?
「何もしなくていいわよ。ただ、迷子にならないよう見ていてあげて」
 いや――――けど、
「色々うまくないでしょう? 呪いに精神を侵食されているみたいなの。貧血や頭痛くらいならまだしも、記憶が飛んだり、意識が濁っていたり、言葉を失いかけたり、意味もなく転んだり――」
 でもダメですって。あいつ、あんな無害そうなのに――
「あの子はね…………もう、」
 家族も身内もいなくなるくらい
 この世界から居場所がなくなってしまうくらい、
 たくさんの人間を殺してきて、それすら自分では忘れてしまっているのよ、と――。
「仲良くなりすぎないようにね。きっと、別れが辛くなるわ……」
 そんなことを知らされた。
 俺は……。
 石畳で踊る少女の背中には、邪気のカケラもない。



【SCENE 5/7】
××××●○○
「…………っ」
 果たして、本部からの迎えは間に合わなかった。俺は絶望的な気分で目の前の怪物を見上げている。
 ――――いよいよ完全暴走に差し掛かった呪いに侵食され、少女が絶叫を上げていた。
「           !」
 どこで間違った。どうすればよかった? 俺は、どこまで時間を巻き戻せば山田を救えるのだろう――。
 答えは、無い。俺たちは出会った瞬間からこういう結末を約束されていた。
 俺は無力だった。具現化寸前の巨大バケモノの心臓部、そこに固定され生きたまま融解されていく山田を助けることも終わらせてやることもできなかった。
 だからって、黙って見ていられるかよ――ッ!
「がッ!?」
「羽村くんッ!」
 囚われの少女に手を伸ばすも、無慈悲な衝撃に吹っ飛ばされた。どこからか滑り込んだ相方のお陰でアスファルトに頭から激突するのを回避する。
 全身の骨が砕かれたように痛んだ。言葉も紡げず、明滅する視界の中に俺はただただ必死でその怪物を収めつづけていた。
 ――なぁ山田、痛いか? 痛いよな、そんな風に泣き叫んで、痛くて怖くて苦しいに決まってる。
 もう戻れないのかよ………。
「らああああッ!」
 天から、魔女が降ってくる。滑空する鴉のような暴速で墜落し、隕石のように日本刀の切っ先を少女の胸の真ん中に打ち込んだのだ。
 ――斬、と終末の音が鳴る。


【SCENE 6/7】
×××××●○
 ――――溶け崩れていた自分の意識は、宇宙の始まりのように壮大な衝撃で呼び起こされた。

 ゼロであり無限であった世界から、私っていう個の形骸を引きずり出す。それは新たな誕生に似ていた。海から海水を掬い上げるようでもあった。
 水面のままそっと眠らせておいてくれればいいものを、再構成されていく私の器官ひとつひとつが、まず一度破裂するように脈動して活動を始める。
 ――忌まわしき、生の奔流。大気は酸性、空は無限の毒溜り。
 ガ、と内蔵をおもいきり吐き零す。それは錯覚であったのかも知れないが、意味的には大差ないだろう。私は目覚めた瞬間から胸を貫かれて死にかけていた。おびただしい量の命を吐き出して壊れた。ひどい世界だ。私を、殺すために呼び戻したっていうのだろうか……?
 目の前には、ひどく美しい死神がいて――
 私は既に命の源泉を貫かれていて。
 死にかけの視界で見る現世は、あんまりにも衝撃的で、見ている端から発狂してしまうほどに恐ろしい地獄だった。
 …………燃え盛る炎さえ私を嘲っている。この私の死の苦痛を、あまりに悲しい呼吸の一つ一つを撫で回すようにみんなが私を笑い物にしている。
 私は、何?
 どうしてこの世界は私を歓迎してはくれないの……?
「…………ァ、」
 あまりにも、酷いじゃないか。
 命は祝福されるものだ。誰もが喜びと共に、愛の成就と共に産み落とされ、大切に大切に育てられるはずだっていうのに、なのにそんな当然さえ私には与えられていない。……目に映るのは、怒りのような恐怖のような、本当はただ冷たいだけの残酷さを突きつけてくる魔の目。
 またびきり、と私の視界はひび割れ故障していく。
「……………………あァ、」
 殺される。
 このままでは殺されてしまう。
 このままでは消されてしまう。
 私そのものが、この肉体で甘受する世界のすべてが略奪され破壊され千々に裂かれてしまう。
 きっとこの眼球さえ粉微塵に砕かれる…………そんな恐怖が私を駆り立てた。
「    !」
 目の前にいた死神を力任せに振り払う。何度振り回してもしつこくて、気が狂いそうだったけど、自分自身の体表ごと投げ捨ててしまうつもりで振り払えばいつの間にかいなくなっていた
 ――――気のせいか、風景が少し変わる。踏まれたようにボロリと崩れる。
 次に私は、痛いと泣いた。痛い痛いと泣き叫んだ。胸のつっかえが、私の芯を掴んで放さない残酷な鉄の杭が痛かった。
 引き裂かれてしまうような苦痛にむせび泣き、また一歩死に近づいていく。
 ――――――ああ、空が死神の群れに覆われている。だからあんなにも真っ黒い。暗雲のような速度で行進していく恐ろしい死の群れが頭上を往く。
 眼の前には、泣き叫べば泣き叫ぶほどに壊れていく地獄。炎の地獄。私を殺そうと飛び回る鴉の影たちがいて、あちこちから私の身を切り刻もうとする。
 どうして?
 ねぇどうして?
 怖いから私は破壊する。殺そうとするのにうまくいかない。ただ叩き潰すだけのことが難しくてヒステリーは加速する。私は、ただ、恐ろしかったのだ。
 ただただ死にたくなかったのだ。
 なのに肌から伝えられるものは死の気配と死の苦痛のみ、この世界は真っ暗で、私は目が覚めた瞬間から殺意っていう暗黒の海に溺れていたのだ。
 死にたくない、死にたくない。
 ただただ私は殺されたくない――


 ――――――――生きたい。



【SCENE 7/7】
××××××●


「――――――ああ、ちゃんと聞こえてるよ、山田。」
 目の前には地獄があった。台風のように暴れ狂う巨大怪獣がいて、悪夢のような勢いで街の一角を破壊し尽くしていく。
 その剛力、死に体《てい》だっていうのに、いや死に体だからこそより苛烈になる火炎のようだった。
 空間を駆け回る先生とアユミ、ふっと気を抜けば押しつぶされてしまうような猛威の中をしかし2人は無傷で抜ける。一太刀入れては離脱し、それを安全に繰り返していく。侘しくなるくらいに勝敗の見えた狩りだった。
 次第に、四肢の機能を削がれて動きが悪くなっていく。
 それでも怪物は耳をつんざく重々しい声を上げる。それが咆哮ではなく悲鳴だったのだと俺は知っている。
「怪物の声は悲しい声………………だよな?」
 タイミングを合わせて先生とアユミがこっち側へ移動してくる。終わりの時が来たのだ。誘い込まれ、愚直にも怪物は俺の方へとまっすぐやって来る。
 ――――ただただ、生き残りたいがために。
「いまだッ!」
「お願い、羽村くん――!」
 俺は短刀を構えていた。構えは横一文字、峰に手のひらを押し当て、意識を集中する。
 怪物の心臓部で、先生の日本刀『小笹』に縫い付けられ実体を取り戻した少女がいる。呪いに憑かれ、既に正気を逸してしまった少女の成れの果てが。
 耳に木霊する。
 もし“その時”がきたら――――
「…………ああ、分かってるよ……」
 ――――決して迷わないでね。地球防衛軍さん。
「ッ!」
 声もなく、俺は短刀を投擲した。美しい放物線を描いて、ひとつの命を終わらせるために吸い込まれていく。
 …………断末魔は長く、重く。
 その悲しい声はいつまでもいつまでも俺の耳に木霊し続けた。
「……………………なぁ、山田……」
 取り残されたちっぽけな少女の遺体に俺は、ひどく痛ましいものを感じていた。
 そのそばに腰を下ろして項垂れる。山田は動かない。命なんてぜんぶ、すべて悲しい声にして吐き出してしまったに決まってる。そんなにも、怪獣の悲鳴は重いものだったのだ。
 はぁああ、と長い溜息を零さずにはいられない。人が死ぬってのだけは慣れない。俺が人であるかぎり、きっと慣れることなんて一生無い。
 目の前の死を受け入れられない愚かな俺は、いまにも目を覚ましてくれそうな静かな寝顔に投げるのだ。
「…………映画でも、観に行きたいよなぁ……FINALじゃなくてさ、」
 元祖、観ようぜ。
 また語って聞かせてくれよ。俺に宇宙語は分からないけど、きっと好きだって熱意だけは伝わるはずだからさ――。
「…………………」
 長い長い沈黙の中――どこからか、あの痛ましい怪獣の悲鳴が聞こえ続けていた気がした。



                               /MONSTER